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 その後大きなニュースが飛び込んできた。真秋さんはマシューの言った通り鬼道に殺されていた。マレーシアで殺人を依頼したブローカーから足がついて逮捕となった。動機はやはりデザインの盗用発覚を恐れてのことだった。マシューが警察に提供した情報が役に立ったようだ。

 

 マシューがやってきた。最近は帰りついてドアの前に誰もいないとがっかりする。姿を見つけた時、僕の顔はきっと電気がついたようにパッと明るくなった筈だ。

 マシューはいつものように「よお」と手を上げた。意外にも白いシャツと黒いパンツだ。上下ともざっくりしていて体のシルエットを隠しているが、マシューにしては地味だ。いつもは手ぶらなのに今日はバッグを斜め掛けにしている。バッグは黒を基調にしたアジアンテイストの布で作られている。僕がバッグをまじまじと見つめているのに気づいて説明を始めた。

「インド綿で作った。てか作ってない。ただの布だ。ハンモックみたいにぶら下げて中に物を入れてる。腕を骨折した時の三角巾のやり方だ」

「普段はバッグ持ってないだろ」

「うん。すぐに踊れるように手ぶらが好きだ。だから俺が作る服には隠しポケットを作ってある。ちなみにこれにもあるぜ」

 そう言うと白いシャツのヒダの部分から普通より大きいポケットを摘まみだして見せた。

「じゃあ今日はどうして」

「ポケットに入りきらない荷物があった。三角巾もパンパン」

 僕は玄関に入ると早々にコーヒーを淹れるつもりでキッチンに向かった。するとマシューが声をかけてきた。

「俺はいらない。これがある」

 そして三角巾の中からコーラを取り出した。すると三角巾は中身が無くなってぺしゃんこだ。マシューは首から布を取って結び目を解いた。広げると確かに四角い布だ。それからまた三角形に折り直し、首元に巻き付けた。

「中身が無くなったらストールになる。ほら、これで手ぶらだ」

「いつもより色みが地味だ」

 率直な感想を口にするとマシューが頷いた。いつになく素直だ。

「これは本気で弔意をこめた服装だ。景山の家に行ってきた。鬼道が捕まって一区切りがついた。卒アルじゃ寂しいから、持ってる写真を全部写真立てにいれて飾ってきた。今日もカレーぬれ煎とコーラを供えた。それで俺の分も買った。煎餅は歩きながら食って、残ったのがこれだ」

 マシューはコーラをプシュと開けた。ハンモックに揺られていたので泡が飛び出した。マシューは反射神経を駆使して零れるのを防ぎ、喉を見せながらコーラを飲んだ。

「親友だもんな」

「そうだ、親友だ」

「咲良さん達、どうだった?」

「伊織さんは仕事中、咲良さんはこの前と変わらずだ。鬼道が捕まったところで何も変わらないさ。真秋はかえってこない。だけど真実が白日のもとに晒されるのは、いいことだ。少しは胸のつかえがとれるだろう。それでおまえは? 成果はあった?」

 実家に行った話だ。二瑚には隠した。マシューにもこれから嘘をつく。

「成果なし」

 マシューはその答えが意外だったのか「はぁ」と言って不満そうに口をゆがめた。

「策は有効じゃなかったのか」

「ああ、親父に聞いてみた。何だ、それ。で終わった」

「神田と会ったのは認めたのか?」

 僕は言葉を選んだ。どこまで話していいのだろう。

「ああ、会ってた。神田が死んだときに警察がパソコンを調べたらしい。でも何も見つからなかったそうだ。だから盗作の証拠がない」

「音声が実際にあったら?」

 やはり小出しにしていたのか。それとも肝心なことを隠しているのだろうか。

「あるのか?」

「神田の家族が持ってる。神田はガラケーで交換会の話を録音していた。それは仕舞い込まれて十年以上たって見つかった。聞き直して、間違いに気づいたんだ。それで白濱雅に連絡をとったが、現れたのは白濱直彦だ」

「借金があったんだろ。その音声をもとに強請ったっていうのか」

「神田は死ぬ前に自己破産していた。もう会社はとっくの昔に諦めていたんだろう。強請ったのか、断罪したかっただけなのか。それは分からない」

「警察が調べた結果が事故死ということだろ。それは覆らない」

「そうだな。自殺も疑われたが遺書はなかった。白濱直彦以外と接触した形跡もない。事故死は妥当かもしれない。だけど白濱直彦に大きな動機はできた」

「そこまで調べたのか?」

「ああ」

 確かにおかしい。二瑚の言う通りだ。これはいくら何でも熱量が高すぎる。不安になるレベルだ。

「神田の家族に会ったのか? 奥さんか?」

「会ったというか、おふくろだからな」

「えっ」

 それ以上の言葉が出てこなかった。思考も停止したままだ。

「本間はおふくろの旧姓だ。親父が神田だ。十年前から商売は上手くいってなかった。それでいつ破産してもいいように偽装離婚して、僅かなおふくろの財産を守った。その時に俺は神田から本間に変わった。だけどずっと一緒に住んでた」

「最初から凪子さんを知ってたのか」

「そりゃ盗作関係者の名前は覚えてる。親父の死に関係することだからな。偶然クラスメイトになった景山の家に行って驚いた。凪子さんがいたからだ」

「じゃあ僕に近づいたのは……」

「そうだ。白濱の家を探るためだ」

 二瑚の言っていた違和感の答えがここにあった。

「音声はあるのか」

 僕の質問にマシューがニヤリと笑った。見透かしているようで薄気味悪い。

「あるのなら出してみろ。そう親父に言われたか。ははーん。成果なしの報告は嘘だな」

 僕は方向性を完全に見失った。マシューが当事者なら勝ち目はない。

「これは推測だ。うちの親父は携帯の録音をボイスレコーダーにコピーして白濱直彦に聞かせた。一緒にあった古いレコーダーが失くなっていたからな。白濱直彦はレコーダーがかなりの旧式だから原本だと思ったんだろう。親父と会った時に回収して処分した筈だ」

「警察は携帯を調べなかったのか」

「押し入れの奥に隠してあった。警察は家宅捜索した訳じゃないからな。盗作の経緯は親父が死んでから知った。音声を見つけて内容から話を組み立てた」

「どうして音声を見つけた時に警察に行かなかった」

「親父がなぜ偽証したのか。証言した時には勘違いしていて、後で音声を聞き直して間違いに気づいたとする。それをネタにして強請ったというのなら理にかなっている。だけど複雑な心境ってやつだ。俺から積極的に親父の強請りをチクるのもな」

「それで僕に断罪させようと思ったのか」

「音声の話を出せば焦るだろうと思った。一つの策として提案した。使うかどうかはおまえ次第だ。だけどおまえは律義に言われたことを実行する奴だと知っている」

「酷いな」

 やっとひと言だけ口にした。

「ああ。だけど親父をなくした子どもの仕返しだ。それくらい許される」

 その通りだ。酷いのはマシューじゃない。マシューの目的は何だろう。

「それでどうする?」

 僕の質問にマシューはオウム返しのように同じ言葉を返した。

「それでどうする?」

 僕等は黙ってお互いを見つめ合った。マシューの悲しそうな顔をみた。僕はこの顔をこの先ずっと忘れないだろう。マシューは立ち上がって僕を見下ろしながら言った。

「泣きそうな顔だ。俺は帰る。おまえはもう眠れ」

 マシューは背中をむけて帰って行った。「じゃあな」も別れの挨拶代わりのダンスもなかった。ドアが閉まる音が世界の断裂みたいに聞こえた。

 それから何日も、何をするにも上の空だった。二瑚が心配して毎日来てくれた。二瑚にはマシューの正体を教えた。二瑚は頷いただけだった。

 

 僕は正月にも帰省せず、両親にも連絡をとるのをやめた。マシューが父のことを警察で話すのかどうか見当がつかない。けれどそうなっても仕方ないという覚悟はできていた。

 ある日、父が電話をしてきた。やり過ごそうかと思ったけれど、何となく嫌な予感がして電話をとった。父の声は震えていた。

「お母さんが、刺された。重傷だ。すぐに病院に来い」

 頭が真っ白になった。父も動揺して経緯までは言わなかった。病院に向かうタクシーで一瞬マシューの顔を思い浮かべた。関係しているのかという考えが頭の中を巡っていた。病院に着くと、僕の姿を見つけるなり父が「命はとりとめた」と言うので安堵した。

 母は背後からナイフで刺された。犯人は小説家志望の男だ。小説を出版社に送り付けたが、相手にしてもらえなかった。その後白濱雅の新刊に自分の作品からの盗用部分があると思い込んだ。白濱雅の経歴を調べるうちにデビュー作に盗作疑惑があったことを知った。それで確信したのだという。そして恨みを募らせて、本屋での新刊サイン会に出向いて刺したということだ。母と男の小説は似ても似つかぬもので、少しだけ状況が被る程度のものだったそうだ。

 母はその後、脊椎損傷で車椅子生活になった。「作家として何の問題もない」と笑ったけれど、強がっているだけだ。自由に身動きができない姿をみると、哀れに思う。母よりも憔悴したのは父の方だ。「命があっただけで十分だ」そう言いながらも、悲痛な思いは隠しきれなかった。母への愛情が強かった分、苦しみを抱え込んだようだ。

 この一件の後、僕はもう二人の罪には触れなかった。けれど因縁というものがあるとすれば、しかるべく罰を受けたことになる。自分の親のことだけれど、冷静に考えられることに寂しさを覚えた。決して元に戻ることはないと思うと、なんだか切ない。

 

 ある日、ポストを開けると蛇腹の水色の布が入っていた。真ん中が同じ布で結ばれている。開くと水の中みたいな柄だった。ゆらゆらが良く似合いそうだ。どんな服がつくられたのだろう。黒いマジックで文字が書かれている。

「リギーが俺より先に死ぬことがあったら手を合わせる。

 鮭のおにぎりとコーヒーを供えてさ。

 このまま一緒に爺さんになりたかったけど無理みたいだ。

 一生リギーのままでいろよ。きっちりとボタンをしめて暮らせ。

 二瑚とはお似合いだ。

 マグカップ、珊瑚だろ。最後の礼儀だ。ちゃんと漢字に変換した。

 じゃあな。さよなら」

 

 今度はさよならだ。また、はない。

 

(了)