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 咲良さんから連絡がきた。凪子さんの知り合いの看護師さんからの年賀状をみつけたという。やはり菊丸さんだった。新しい情報ではないが住所が分かる。五年前のものなので引っ越ししているかもしれないという注釈付きだった。そして肝心の弟の写真だ。

「捜したけれどスナップ写真がないので、高校の卒業アルバムの写真をおくります」

 景山真秋と名前が添えられた四角い枠の中で男は笑っていた。明るい性格を物語っているような屈託のない笑顔だ。それは僕が全然知らない人物だった。

 マシューとは別人だ。これはこれで、またモヤモヤポイントが増すばかりの結果だ。僕の迷路は更に入り組んだのか、そもそも迷路には何の関係もなく同じ名前という偶然のなせる業だったのか。このタイミングで消えるマシューを恨んだ。話を複雑にするばかりだ。二瑚に咲良さんからの返事を報告すると僕とは観点が違う言葉が返ってきた。

「咲良さん、最小限の律義だよね。卒アルか」

「ダメなの? 捜してもなかったから思いついたんだろ。マシューじゃないと分かったから少しは進展があった。だけど景山真秋、誰にも似てない」

「これ一枚じゃあ判断材料が少なすぎる。小さい頃の写真もないのかな。それに進展だとは思えない。マシューが景山真秋で秋を探ってたって方が話は進むでしょ。景山真秋は現在、行方不明。余計な謎までしょい込んだ感じ」

「子どもの頃の写真は参考にならないと思ったんだろ。それに行方不明って程じゃない。連絡はとれてるみたいだからさ。そのことは別物だから今のところ考えなくていい」

「そうかなあ」

 二瑚は納得していないようだった。

「凪子さんが妄想によって手の込んだ復讐劇を画策した。だけど事実ではない。景山真秋の失踪はこの本筋には無関係で、マシューはただの気まぐれな風来坊。どう? 単純にこれで終わりにする?」

 納得のいかない表情とは裏腹な提案だ。だけど簡単に「うん」と言えない。

「靴を裏返して叩きつけて、小石を全部取り出せばいい。小石がどこから入ったのか、どんな石なのか知ったこっちゃない、って思えばすむ」

 以前、僕がした喩え話を引き合いに出した。

「これ以上何もできないから、正直迷った。でも終われない」

「それなら続けなきゃ。次にできるのは菊丸さんの家を訪ねること。それと凪子さんから鍵を借りて日記帳を見せてもらうこと。無駄かもしれないけど、進むならやるべき」

 二瑚は冷静だ。マシューのいう通り俯瞰しているようだ。まずは菊丸さんを訪ねることにした。凪子さんの日記帳よりハードルが低そうだ。住所を訪ねるにあたり、アポを取りたいが、手段がなかった。

「高井産婦人科でもう一度聞いてみようか」

 僕の提案に二瑚が首を振った。

「この前頼んだのに返事がないでしょ。それは菊丸さんが渋っているからだよ。不意打ちの方が効果的だよ。引っ越してれば無駄足だけど」

 一緒ならば心強いという理由で、今度も二瑚に同伴を頼んだ。何とも情けない。

 

 あれから人混みの中で待ち合わせする時は、背の高いポールを目印にして掴んで待つという形式が定着した。やはり消火栓の標識ポールが一番目立って優れモノだ。菊丸さんの最寄り駅で待ち合わせ、先に着いたのでポールに手を回して待った。二瑚は僕の姿を見つけたのに近づかず、周りを見回している。僕が傍らに立つと一方向を指さした。

「あの団地だよね」

 菊丸さんの家は建物が何棟も連なる大型団地の中にある。歩いて向かうことにした。

「これで無駄足だったら歩き損だ」

「二人で見知らぬ街を探索してると思えばいいでしょ。面白いものを見つけながら歩こう」

 二瑚は前向きな誘い文句で僕の腕を取った。目的地が見えている分、検索した時間よりも早く着きそうだ。けれどいざ歩き出してみると中々辿り着かない。周りに高い建物がなく距離感が分からなかったのだ。まだ暑い季節ではないけれどじっとりと汗ばんだ。

「面白い物が全然ない。つまらない町」

 疲労感も手伝って僕がそう不平をこぼすと、二瑚も小さく頷いた。途中に小さなスーパーがあった。看板には「スーパーきて」とある。歩きながら番地表示の地名が「木手」とあるのを目にしていた。「きて」と読むのだろう。地名をそのまま店名にしたようだが、平仮名にしたので絶妙だ。二瑚も看板を見つけて笑っている。店の前で防犯協会のたすきをした人がウェットティッシュを配っていた。汗拭きに丁度良さそうなので貰った。二瑚も受け取ったが、そのティッシュを手にしてまたクククと笑った。

「つまらない町、いきなり巻き返してきた。このキャッチコピー、潔すぎ」

 ティッシュには「お金の話は詐欺」とだけ書かれていた。確かにストレートだ。二人で汗を拭きながらニタニタして歩いた。それからすぐに目的地に到着した。団地は古くてエントランスには自由に出入りが出来た。ポストの部屋番号を辿ると「菊丸」の名前があった。

「第一段階、クリア」

 僕は声に出して言った。

 目指す四階に上がるためにエレベータを待った。ドアが開いて小柄な女の人が出てきた。やり過ごしてエレベータに乗り込もうとすると、二瑚が振り返って小さな声で呼んだ。

「菊丸さん」

 さっきエレベータから出てきた女の人がホールの入り口付近で振り向いた。

「え、ああ、はい」

 不思議そうに僕達を見ている。そして多分僕も同じ顔をしているだろう。けれどこの人が菊丸さんのようだ。二瑚に太ももを突つかれた。挨拶をしろという合図だ。

「僕、白濱秋といいます。お話を聞かせてください」

 菊丸さんは驚いて表情を固めたが、諦めたように頷いた。自分から連絡をとりたくなかったけれど、来られたなら避けようがないと腹をくくったのだろう。

「駅の方にファミレスがあるから、そこに行きましょう」

 着いたばかりで一息つきたいところだが、駅までの道を引き返すことになった。菊丸さんは前を足早に歩いていく。来た道は遠回りだったのか、違う経路で進むと案外すぐに駅が見えてきた。歩きながら小声で聞いた。

「何で分かったの?」

 二瑚も菊丸さんを気にして小声で返した。

「エレベータは四階から下りてきたでしょ。年齢的にもあってるからダメもとで声をかけてみた。ポストは一階あたり五軒分あったから、五分の一の確率。外れても同じ階の人なら菊丸さんのことを知ってるかもしれないでしょ」

 四階から下りてきたのも気づかなかったし、そこまで気が回らなかった。

「一瞬でそこまで考察するとは鋭い」

「エレベータ、下りて来るのに二分くらいかかった。スローな機種。一瞬じゃない」

 僕の注意力が散漫なのか、二瑚が卓越しているのか、どっちだろう。

「最終ミッションクリア」

「終わるの早すぎ」

 ファミレスは半分ぐらい席が埋まっていた。案内された席は奥まった場所にあって込み入った話をするのに丁度良かった。席につくと菊丸さんに頭を下げた。

「お忙しいところすみません。どこかへお出かけでしたか」

「買い物です。どうせここら辺まで来るつもりだったから」

「スーパーきて」の誘いには乗らないらしい。

「あの、こちらは?」

 余計なことを考えて紹介を忘れていた。

「彼女です。事情を知っているので同席してもいいですか」

 もう座っているのに今更同意を取るのも変な話だ。菊丸さんはオドオドとした動きで頷いた。少し騒がしいくらいの店内が上手い具合に僕のドキドキを紛らせてくれた。三人ともコーヒーを注文してから改めて短い自己紹介をすませた。僕が菊丸さんを訪ねた経緯も説明した。コーヒーがきたが誰も手をつけなかった。僕は思い切って聞いてみた。

「菊丸さんは凪子さんに頼まれて赤ちゃんを取り替えましたか?」

 静かな店内なら言えなかった一言かもしれない。菊丸さんは少し驚いたようだが、思いのほか落ちついている。

「いいえ。取り替えていません。凪子さんから頼まれましたが、取り替えませんでした」

 僕がどんなに安堵したか誰にも分からないだろう。マシューが言うようにそれが今後どんな展開に繋がるか分からなくても出自がはっきりしたことで、まずは気持ちが落ち着いた。断言してくれた菊丸さんの手を握ってお礼を言いたいくらいだ。

「頼まれたんですか」

「はい。凪子さん、赤ちゃんを抱いて病院まで来ました。白濱さんの赤ちゃんと取り替えてくれと頼まれていました」

「それで?」

「凪子さんの連れてきた赤ちゃんを預かりました。そして病院専用の肌着に着替えさせて返しました。凪子さんには取り替えてきたと言いました」

「他に人はいなかったんですか」

「夜間です。当直は二人体制ですが、一人が新生児室に入って世話をする仕事があります。長い時間ではありませんが、その間もう一人は手があくのです。その時間をあてました」

「凪子さんは不審に思わなかったのですか」

「私が赤ちゃんを預かった時にそっくりだから、これなら上手くいくと何度も刷り込みをしました。新生児の顔はみんなそんなに大きく変わりません。たまに特徴のある子はいますが、前もって特徴はないと聞いていたし、白濱さんの赤ちゃんもそうでしたから」

「機転をきかせて取り替えを防いだということですか」

 菊丸さんはその答えに間をとった。

「凪子さんにはお世話になりました。助けてもらったっていうか、恩があったんです。それでも凪子さんに復讐の計画を聞かされた時に悩みました。事情を聞いて同情もしました。だけど、そんな、赤ちゃんを取り替えるなんて……。無理に決まっています」

「事情というのは盗作のことですか」

 菊丸さんは訝しそうな顔で口を結んだ。僕の持つ情報量を推し量っているのだろう。

「ご存じなんですね」

 声が心なしか小さくなった。

「はい。盗作は事実ですか? 凪子さんの妄想ではない?」

 菊丸さんは頷いた。

「今は病気でせん妄がありますが、二十年前は若年性アルツハイマーを発症していません。白濱雅の小説がネットに掲載される一年ほど前に凪子さんの原稿を見せてもらいました。それまで小説家志望だったとは知らなかったんです」

 盗作について具体的な証言が出てきた。

「小説は好きだったし、感想を聞かせて欲しいと頼まれたから一生懸命に読みました。仕事の休憩時間にも読んでいたから同僚もその姿を見ています」

「じゃあ盗作疑惑がでた時に証言すれば良かったじゃないですか」

 僕の言い方が悪かったのか、菊丸さんはキュッと口を尖らせた。気に障ったかもしれない。

「同僚が見ていても私が読んでいたのが凪子さんの小説だという証明にはなりません。それに白濱さんがそれよりも前に小説を書き上げていたと言われたらどうしようもないから」

 証言だけでもすれば良かったのだ。取り替えが事実でないと分かった途端、盗作の件を冷静に考えられるようになった。

 テーブルの上には冷めてしまったコーヒーがある。僕が口をつけると、二瑚も菊丸さんもコーヒーを飲んだ。気遣いしている余裕がなかった。

「凪子さんとはどういったお知り合いですか」

 二瑚が遠慮がちに口を開いた。菊丸さんは一瞬「え」という顔をした。二瑚が質問してきたからだろう。

「当事者ではないのにすみません。私からも聞かせてもらっていいですか」

 菊丸さんは素直に頷いて、二瑚の質問に答えた。

「昔、同じアパートに住んでいました。その頃私は夫と離婚したくて、凪子さんに相談に乗ってもらっていました」

 菊丸さんはそこで話を区切ったけれど、それだけで凪子さんに恩義を感じる訳がない。すると同じことを考えたのか二瑚が疑問を口にした。

「一度は引き受けたってことですよね。断われなかった理由でもあったんですか」

 菊丸さんは黙って俯いた。彼女にどんな感情が渦巻いているのかその様子からは窺い知れない。僕も二瑚も黙ったままで応えを待った。菊丸さんがコーヒーカップを手に取って一口飲んでから、口を開いた。

「主人に殴られて顔を腫らしていたことがあります」

 突然の告白だ。菊丸さんはそれが昨日の出来事のように、悲痛な顔をしている。そして腫れてもいない頬を隠すようにそっと手をそえた。僕達は黙って聞いた。

「凪子さんは私の顔を見て、主人に詰め寄りました。今度やったら、警察にも行くし、行政にも相談する。何より私は絶対に諦めないわよ。驚くほど執念深いから。そう言ってくれました。一言一句覚えています」

 執念深いのは証明済みだ。爆弾を仕掛けてから二十年間も爆破の機会を窺っていた。

「それでご主人のDVはおさまったんですか」

 菊丸さんはゆっくりと首を横に振った。

「でも凪子さんの存在は助けになりました。有難かった」

「だけどそれだけで、赤ちゃんの取り替えを引き受けませんよね」

 菊丸さんは相変わらず俯き加減だが、二瑚が質問する度にその顔をチラチラと覗き見た。そして躊躇いながらも少しずつ話し始めた。

「景山さんに赤ちゃんが生まれたけれど、奥さんが亡くなったと聞かされました。それでうちの病院で白濱さんが赤ちゃんを産んだことを凪子さんに言ったんです。守秘義務に反しているのは分かっています。今ほど厳しくなかったとはいえ、普段なら言いません」

「凪子さんの因縁の相手だったから、つい、口をすべらせたということですか」

 二瑚の言葉に菊丸さんはかぶりを振った。

「白濱さんがお産で高井産婦人科にかかったことは知っていました。だけど因縁の相手だからこそ凪子さんには黙っていたんです。だけど白濱さんが赤ちゃんを産んで、同じ日に景山さんの赤ちゃんが生まれました。その境遇の違いに何か得体のしれない義憤のような感情が湧いてきたんです。きっと私が不幸だったからですね」

 菊丸さんは一点を見つめながらそう言った。哀しそうな表情だ。

「そんな私の思いを凪子さんは見抜いたんでしょう。復讐を手伝ってほしいと言いだしました。神様が与えてくれた復讐の機会だって。確かに私もそう思いました。こんな機会、二度とない」

 菊丸さんは運命の交錯の場に立ち会って、自分に委ねられた重責を前にして途方に暮れたようだ。菊丸さんはコーヒーカップを両手でギュッと包み込んだ。

「凪子さんは私が協力すると確信してたみたいです。初めから共犯という立場で計画を打ち明けましたから」

 菊丸さんの険しい顔は凪子さんの決めつけを非難しているように見えた。

「でも、あなたは出来なかった。それで凪子さんに嘘をついたんですね」

「実は景山さんに相談しました」

 ここで景山伊織の名前をだされて驚いた。二瑚もそれを聞いて一呼吸あけた。同じように意外に思った筈だ。僕が質問を続ける。

「景山さんは知っていたのですか」

「はい。凪子さんに取り替えを頼まれて、困り果てて相談しました。その頃、景山さんは近くの薬局で働いていて、私も顔見知りでした。それに復讐に景山さんを巻き込むのはおかしいと思いました。赤ちゃんの取り替えは両方の運命を変えることになりますから」

 僕達の思考回路は菊丸さんが、かつて通った道だ。

「景山さんは何て?」

「何とか取り替えたことにして赤ちゃんを返してほしいと言われました。そして凪子さんには取り替えが成功したと思わせてほしいと頼まれました」

「凪子さんはずっと景山さんの息子を白濱雅の息子だと思ってきたということですね」

「はい。その上、白濱さんが赤ちゃんに秋という名前をつけたと聞いて、景山さんに真秋という名前を進言しました。景山さんは言う通りにしました」

 僕は景山伊織の行為に驚くしかなかった。他でもない。我が子の名前だ。どうしてそこまで凪子さんの言うことを聞くのだろう。

「景山さんと凪子さんはどういうご関係ですか」

 菊丸さんは答えに詰まった。困っている様子だ。

「私にもよく分かりません。二人は幼馴染だそうです。景山さんの奥さんは凪子さんの勤めていた会社の後輩で、凪子さんの勧めで二人は結婚したと聞いています。奥さんが亡くなってから、凪子さんは二人のお子さんの面倒をよくみたと思います。真秋君のことは白濱さんの子だと思い込んでた筈だけど、だからって酷い仕打ちをしたというのは聞いたことがありません」

 僕は水の入ったコップの水面を見つめた。菊丸さんがまた話し始めた。

「凪子さんが言っていました。子どもが二十歳になった時に、育てていたのは我が子ではないと白濱雅に知らせると。その執念に正直驚きました。それほど盗作の恨みは凄まじかったということです。凪子さんが若年性アルツハイマーを発症して、もうその執念が断ち切られると思うとホッとしました」

 僕が黙ったのを見計らって、二瑚がおもむろに口を開いた。

「凪子さんは取り替えが成功したと思っていたわけですね。それなら一通目の手紙にあった人殺しの父親とは景山さんのことになります。それに何か心当たりはありますか」

「え、それは、あの、さっき盗作された小説の一文だと。そう、その一文だから……」

 なぜか菊丸さんは二瑚の質問に動揺していた。答えがしどろもどろだ。確かに最初に説明した時に小説の中に同じ文面があると補足した。それにしても受け答えが不自然だ。景山に秘密があるということか。それは菊丸さんにも関係があることだろうか。

「心当たりありませんか?」

 二瑚が重ねて聞いた。声は柔らかいが尋問しているようでもある。

「ありません。もともと景山さんのことはあまり知りません」

 はっきりとしない受け答えをした後なのに、この質問には即座にきっぱりと答えた。少しも考えようとしなかった。

「そうですか。あと一つ。咲良さん姉弟と交流はありましたか」

 二瑚はあっさりと追及をやめて質問を切り替えた。

「凪子さんが施設に入るまでは何度か伺ったので、その時に話をしました。咲良ちゃんは化粧品の品質管理の仕事に就いたって言ってました。仕事内容を聞いたら、本当にピッタリで。良かったねと言った覚えがあります」

 菊丸さんはフッと笑った。咲良さんの性格を考えてのことだろう。

 重苦しい雰囲気が和んで、最後の別れの挨拶をした時には菊丸さんも少し笑顔をみせた。笑って別れる間柄でもなかったが、僕はそれで良かった。ファミレスを出て二人で駅まで歩いた。

「白濱秋で安心した?」

「うん。水中でもがいて、やっと水面にあがって息ができた感じ。でも、どうして菊丸さんに関係ないこと聞いたの?」

「関係ないこと?」

「ほら、咲良さん達のこと」

「関係はある。菊丸さんの言う通りなら咲良さんは嘘をついてるでしょ」

「え、どうして?」

「だって菊丸さん、景山一家と交流があったみたいでしょ。真秋君、咲良ちゃん。どう考えても知り合いの呼び方だよね。それなのに咲良さん、最初は菊丸さんの名前を出さなかった。気を遣ったのなら、ここまでは良しとする。だけど連絡先は時間をかけて、やっと年賀状を引っ張り出してきた。卒アルと一緒だよ。最小限の律義」

「そうかなあ」

「日記帳を見つけてくれた時は律義万歳って気分。だけど卒アルと年賀状は違うんだなぁ」

 二瑚の観察力には恐れ入るが、そんなに深い意味はないと思う。

「じゃあ日記帳を見つけたことも、わざわざ言う必要ない」

「そこ。咲良さんの性格だと、まるまるは隠しきれないの。自分の主義に帳尻を合わせたい気持ちが働く。誰かが夜中に約束の辻褄を合わせに来るのと同じ。そんな感じなの」

「ごめん。迷惑だったよね」

「まあね。睡眠至上主義だから」

「知らなかった。これから気をつける」

 二瑚はこっくりと頷いた。

「それに沙良さん、日記帳の鍵が凪子さんの首にぶら下がっていることを言わないでしょ」

「気づいてないだけかもしれないだろ」

「一回会っただけの私が気づくのに、それはない。対立している訳じゃないけど、結局咲良さんは凪子さん寄りということだよ。日記帳は見つけたけど鍵がないから読めない。そういうスタンスをとりたいの。最小限律義説」

「嘘って程でもない」

 その言葉に二瑚は少し考えた後で応えた。

「そうだね。知ってても言わないこともある。嘘をついてる訳じゃないけど、嘘をついてるみたいなこと。そう、誰にだってあるよね。秋にも私にも」

 二瑚が腕を絡めてきた。その言葉の意味が少し怖かった。確かに僕も隠しごとをしている。腕を組んで歩きながら二人で空を仰ぎ見た。空はグラデーションがかかって、ゆっくりと夜へと向かっている。もうそんな時間だ。夜のとばりは闇夜の幕開け。マシューの声を聞いたような気がした。

「マシューがいたら、謎はさっさと解けよって叫んだかも」

 そう言ってしまって、マシューを引き合いに出したのはまずかったかなと横を向いた。二瑚は少しも意に介していないようだ。相変わらず空の彼方に視線を向けている。

「そうだね。それがリギーのリギーたる所以だろって、きっと言うよ」

 二瑚の横顔は美しい。凛としているのに柔らかい。二瑚で良かった。

 

 もう一度、丹波凪子と景山伊織に会うべく連絡を取った。

「凪子は風邪から肺炎をおこして入院中だから面会はできない」

 伊織さんからそう告げられた。伊織さんも忙しくて時間がとれないそうだ。

「前もって言わずに行った方が良かったかな」

 避けられているような気がしてそう呟いた。二瑚は小さくかぶりを振った。

「結果は同じだと思う。それに入院したのは嘘じゃないでしょ。流石にすぐばれる。だけど日記帳は読みたい。咲良さんに頼んでみる?」

 二瑚の主張する説に乗れば、断わられそうである。二の足を踏むうちに、半月程が過ぎた。そして思いもよらない訪問者を受けることになった。

 

 その夜はバイトがなく、一人で部屋にいた。ドアホンの呼び出しに訳もなく不安にかられた。モニターの男は刑事だと名乗り手帳を提示した。二人だ。

「景山真秋さんをご存じですか?」

 答えに困った。説明が難しい。僕は返す言葉が見つからず黙っていたが、きっと困惑が顔中を覆っていたのだろう。刑事は次の質問をした。

「本間さんはいらっしゃいますか? 同居されていると聞きましたが」

 景山の名前をだされて、当然のように咲良さんからの情報だと思っていた。それなのに次にマシューの名前が出たのは意外だった。

「マシューが、同居?」

「マシュー? ああ、本間さんはそう呼ばれていたようですね。どうさんから聞きました。半月程前に鬼道さんに本間さんのことで問い合わせたそうですね」

 鬼道はマシューが居候していると言っていたデザイナーだ。マシューがいなくなってから、デザインオフィスを調べて問い合わせた。返された説明は聞いていたのとはまるっきり違っていた。その時に鬼道に僕の住所を教えた。マシューに渡す書類があるが連絡がつかないので、友達なら預かって欲しいと頼まれたからだ。僕が預かる義務はなかったが「友達なら」という言葉にほだされた。だけど実際には何も送られてこなかった。

「マシューはいません。同居もしてない。それでどうして景山さんの名前がでるんですか」

 頭が整理できなくて困り果てた。何かがおかしい。鬼道とマシューは知り合いだが、どうして景山の名がでるのだろう。刑事は訝しそうな顔だ。僕は疑問を口にした。

「景山さんと鬼道さんは関係があるんですか?」

 問答がずれているのか刑事達はポカンとしている。けれどすぐに表情を和らげた。

「それをご存じないんですか」

 僕が頷くと、刑事達は顔を見合わせた。

「景山さんは鬼道さんのオフィスでデザイナーとして働いていました」

 初めて聞く話に、状況を飲み込むのがやっとだ。それなら鬼道のところに出入りしていたマシューと景山は顔見知りだったことになる。

「景山さんは海外に布の買い付けで出国してから連絡がとれなくなりました」

「咲良さんから時々は連絡があったと聞きました」

「景山咲良さんとお知り合いですか」

 刑事達は少し身を乗り出した。

「僕の母と、景山さんと同居していた丹波凪子さんが昔の知り合いです。丹波さんに確認したいことがあって景山さんの家を訪ねました。それで知り合いました」

「弟の真秋さんのことも聞いたわけですね」

「はい、だいぶ前から居場所が分からないと言ってました」

「そうですか。それで本間さんとはどのように知り合ったのですか?」

「僕は夜にラウンジでボーイのバイトをしています。マシューが同じところでバイトを始めてから親しくなりました」

「本間さんが後から入ってきたということですね」

 その通りなので僕は頷くが、不安は増すばかりだ。

「それで咲良さんから失踪届が出されて、真秋さんの行方を追っているということですか」

 刑事はもう一人と目配せをして、おもむろに口を開いた。

「実はマレーシアで景山さんの遺体が見つかりました」

 僕は言葉を失った。やっと絞り出したのは全ての疑問への問いかけだ。

「どうして?」

 声が震える。

「景山さんが亡くなってから遺体が見つかるまで半年以上かかっています。発見されてからも身元不明のままでした。景山さんは首都のクアラルンプールに飛んでいますが、遺体が見つかったのは東マレーシアの離島です。これがだいぶ距離が離れていましてね。家族はラインのやり取りがあったために捜索願を出さなかった。いくつかの要因が重なってしまったようです。最近やっと捜索願が出て身元照会が動いたという訳です。それで本間さんが景山さんのことを探っていたという証言がありまして」

 僕は茫然とその話を聞いた。景山真秋のスマホは見つからず、ラインの返信も死亡した時期から考えると不可能だ。刑事ははっきりと言わなかったが、誰かが代わりに返信していたということだろう。発信地はマレーシアだったようだ。

 それからの問答は核心に触れることはなく、刑事達は引きあげて行った。少し気にかかったのは、やり取りの中で僕に対する不審が垣間見えたことだ。

 僕は刑事達が帰った後も頭の中がぐちゃぐちゃで筋道が立てられないままだった。景山真秋の死によって、伊織さんや咲良さんがどんなにか悲嘆しているだろうと考えた。けれど本当に気になったのはマシューとの関係だった。

 マシューは僕と出会った時には既に景山真秋と知り合いだった。ラウンジのバイトを始めたのは偶然だろうか。悶々としながら時間をやり過ごしていると、二瑚からラインがきた。

「近くまで来てる。寄ってもいい?」

 このタイミングで、願ってもない。主観で足踏みしているより俯瞰の神に頼りたい。

「勿論。会いたかった」

 すぐに返信した。恋人の顔をみるのを、こんなに待ち焦がれたことはない。

「何があった?」

 二瑚は部屋に入って開口一番にそう聞いた。そして手に提げたビニール袋をテーブルの上に置いた。勢いがよすぎて袋の中身が飛び出た。どら焼きとお茶だ。

「何かあったって分かった?」

「だって、会いたかったのラインは驚く」

「そうかな」

「初めてでしょ。そんな熱烈。秋は普段、熱烈じゃないもん」

 マシューの言っていたその言葉を二瑚から聞こうとは思ってもみなかった。確かに二瑚を待ちわびた理由が恋愛ではなかったことは後ろめたい。

「ここは黙るところじゃない。違う、熱烈だ、って言うのが正解」

 二瑚が笑ったので僕もつられて笑ったけれど、その直後に二瑚が真剣な顔に戻したのをみて自分の失敗を悟った。だけど熱烈に愛を語ろうとしている相手に手渡す手土産がどら焼きというのもおかしな話だ。それから僕は刑事から聞いた話をした。二瑚はどら焼きを大きな前歯で少しずつかじりながら聞いた。

「マシューは意図的に秋に近づいたってことだね」

 一番のモヤモヤ部分で認めたくないところをズバッと指摘されてしまった。

「たまたま知り合いだったってことはないよね?」

 僕はそれでも食い下がった。

「ないでしょ。マシューは手紙の存在も知っていた可能性がある」

「どうして?」

「だって手紙を見たマシューが、折角の美しい封筒が台無しだって言ってたって。秋がそう言ったでしょ」

 確かに封筒を手にした時の状況を二瑚に話した。

「あの封筒、配達指定のシールと住所の転送シールがペタペタ貼られて先にそっちに目がいった。元がどんな状態かなんてすぐには考えないでしょ。マシューはきっと綺麗なままの封筒を見たことがあったんだよ」

「でも封筒はきっちりと糊付けされて、何が書いてあるのかは分からなかった筈だ」

「マシューも内容は知らなかった」

「だと、どうなる?」

「手紙の内容が知りたくて秋に近づいた。誕生日に手紙が届くことを知ってたってこと」

 マシューは確かに誕生日の日に会いたがっていた。二瑚との先約があって断ったが、キャンセルになるとすぐにやって来た。それからの流れを思いおこすと、二瑚の推理が正しい気がした。

「手紙の話をする程マシューと景山真秋は親しかったってことか」

 二瑚の視線は上に逃げず、僕の目を真っ直ぐに捉えた。

「全てのことより気になるのはそこなんだ。友達は世の中にマシュー、一人だけ?」

「この一年近く、僕の世界は殆どが二瑚とマシューだった」

「もしかしたらマシューはその世界から消えるかもしれない。覚悟して」

 疑い始めた時からそう考えるのを避けてきた。二瑚は手加減なしだ。

「暫く咲良さんや伊織さんに話は聞きづらいよね」

「うん。家族が亡くなったのに頼みごとは無理。まだ真秋さんのこと詳しく分かってないんでしょ。ここは秋には関係のない部分だけど、マシューが絡んでるから関係なくもない」

 その通りだ。どんどん厄介な方向に話が進んでいく。

「だけどマシューを諦めてしまえば、どうってことない」

 僕は精一杯マシューへの思いを払拭しようとして、そう口にした。二瑚は眉間に少しだけ皺を寄せた。けれど僕の努力を認めたのか、すぐに皺を顔から追い出した。

「人、一人死んでどうってことないっていうのも不謹慎だけど。秋がそれでいいならいい」

「考えてみたら、タイムリミットがあるわけでもない。暫く休むことにする」

 僕がそう言うと、やっと二瑚がにっこりと笑った。大きな前歯がちょっとだけ見えて今までで一番可愛かった。

「そうだね。その暫くは私がもらった。秋の世界を私と二人だけで生きよう」

 小石の入った靴はシューズボックスの奥に放り込んだ。それから普通の恋人達がするようなデートを重ねた。相変わらず僕達の間に「熱烈」は顔を出さなかったけれど、十分に穏やかな日常を取り戻した。

 

(つづく)