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 伊織さんに連絡をとった。咲良さんから日記を見せたと聞いたからだ。断られることも覚悟していたが、すんなり会うことを了承してくれた。やはり二瑚に同行を頼んだ。

「センシティブな感じだから当事者じゃない私は遠慮する」

 僕は「えー」と口にだした。ずっと横にいてくれて心強かった。それに僕と違う視点が新しい情報を引き出してくれる。

「きっとニコイチだと思われてるから大丈夫」

 二瑚はぷっと吹きだした。これは行ってくれる感じだ。

「ニコイチか。いいよ。行こう」

 思わず口走った言葉だけど、案外いい。「二瑚が一番」の語呂合わせにもなっている。我ながらいいことを思いついて、自然に頬がゆるんだ。

「そういうのは、いいから」

 二瑚は掌を僕の目の前に突き出した。口にしなくても分かるみたいだ。

 僕達は施設を訪ねるべくバスに乗った。花の散った桜はありきたりの道沿いの木々となって、時の流れを担うという責務を果たしたようだ。

 職員は僕達の来訪を聞いていたのか、最初から面談室に通した。大きなガラス窓から景色が見渡せた。前回は気持ちの余裕がなくて気づかなかったけれど、眺めがいい。緑が広がって街並みがよく見える。あまり待つことなく伊織さんが姿をみせた。硬い表情だ。怒っているように見える。二瑚が隣で頭を下げた。ニコイチへの不満なら気にしないことにした。僕は少し気後れしながら聞いてみた。

「日記、読まれました?」

「読んだよ。それについては君達のしたことに腹を立てている。人のプライバシーを覗きみる権利はない筈だ」

 静かな口調ではあるが、怒りを押し殺しているような顔つきだ。確かにその通りだ。

「だけど僕には、知る資格があると思います」

 伊織さんは険しい顔のままで唸るようにため息をついた。

「凪子は殆どのことを忘れている。凪子の記憶はもう凪子のものじゃない」

「そうですか。伊織さんが菊丸さんのご主人を殺したことも忘れていますか」

 なぜか悪意のある言葉が口をついた。

「私は殺してない。あの人は心不全で亡くなったんだ。凪子が殺してほしいと言った時期と重なっただけだ。凪子は私が何人かを凪子の為に殺したと思っている。原因を調べれば、私とは全然関係のない病気や事故死だと分かる筈だ。しかし私は釈明をしなかった。凪子もそう信じたかったのだろう」

「それが本当かどうかは僕には分かりません」

「もうやめないか。何十年も昔の話だ。凪子の無念も風化している。また蒸し返すようなことがあれば、記憶の破片が凪子の心にさざなみを立てる」

「風化だって? 先に始めたのは凪子さんだ。僕は手紙を無理やり送り付けられた」

 怒りの矛先が分からなかったが、伊織さんの言葉に猛烈に腹が立った。

「手紙のことはすまない。気づけなかった」

 伊織さんは頭を下げた。伊織さんに謝られても、溜飲は下がらない。

「あなたのせいじゃない」

 伊織さんは俯いたままだ。

「最初に凪子のチャンスを潰したのは私だ。そして二度目もだ。盗作をそのまま見過ごした。私が菊丸さんに、はっきりした証拠がないなら名乗り出ても無駄だと言った」

 顔を伏せて表情は見えないが、膝に置いた手は固く握られている。痛みをこらえているようだ。

「償う為にずっとそばにいると決めたんですね」

 僕がそう言うと伊織さんがゆっくりと顔をあげた。口が少し開いて目は見開かれている。驚いているような顔だ。すぐに同意すると思っていたのに、この表情は何だろう。

「償う?」

 伊織さんは呆けたようにその言葉を繰り返した。すると二瑚が独り言のように呟いた。

「もしかして……。いや、きっとそう。私、勘違いしてた。償いじゃない」

 伊織さんはコマ送りのようなスローな動きで二瑚に顔をむけた。二瑚の言っている意味が分からなかった。

「伊織さんは小さい頃から凪子さんが好きだった。事故も盗作も、伊織さんにとっては好都合だったってことだ。だってそれなら凪子さんは離れていかないから」

 二瑚は何を言いだしたのだろう。伊織さんは黙ったままで否定しなかった。僕は説明が欲しくて次の言葉を待った。伊織さんは一度大きく息をしてから口を開いた。

「子どもの頃の事故はわざとじゃない。だけど凪子がオーデションに行けなくなって内心喜んだ。子役で成功すれば遠くに行ってしまう。作家で成功するのも嫌だった。盗作を撤回させる方法はあっただろう。だけど何もしなかった。それどころか邪魔したんだ。凪子にずっとそばにいて欲しかったからだ」

 この告白に驚きを隠せなかった。

「じゃあ、なぜ凪子さんと結婚しなかったんですか。凪子さんも伊織さんが好きだって知ってたでしょ」

 伊織さんはフッと笑ったけれど、いつの間にか目を少し赤くしていた。

「そうだな。分かっていたよ。足が治って普通に歩けることも知っていた。結婚を断って欲しいことも、全部分かっていた。だけど凪子を安心させてしまえば、何処かに行ってしまいそうで怖かった。凪子はいつも私の助けが必要で、私を頼って、そして憎んでいて欲しかった。どんな感情でもいいから繋ぎとめたかった」

 その心理に思考がついていかなかった。もうお手上げだ。

「残酷な人ですね。我が子の名前までも凪子さんの復讐のために差し出すなんて」

 二瑚は全てを理解しているようだ。伊織さんがポツンと呟いた。

「凪子は拾った不幸を全部手放せるだろうか」

 あの一文だ。凪子さんが綴った最後の一文。伊織さんは身を切る思いで読んだはずだ。

《私は瓦礫の中から宝物を探し当てるように不幸を拾った。もう手にあるのはそれだけだ》

 その一文を読んで胸が締め付けられた。伊織さんに想いを伝えたかったけれど躊躇いがあった。僕が言うのは虫がよすぎるような気がしたからだ。だけど思い切って口にした。

「きっと手放せます」

 伊織さんは僕の目を真っ直ぐに見てから小さく頷いた。

 その時、面談室がノックされた。顔を出したのは職員の女の人だった。

「景山さん、丹波さんが捜してますよ」

 伊織さんは両手で顔をひと拭きしてから、急いで立ち上がった。

「もう行くよ」

 そう言ってから走り出した。僕はその後を追って部屋から出た。伊織さんの背中はもう小さくなって廊下の先にあった。その先には凪子さんが立っていた。伊織さんの姿を見つけて満面の笑みを浮かべている。これは二人にとってハッピーエンドなのかな。

 その時になって僕は真秋さんのお悔やみを言い忘れたことに気づいた。あれから真秋さんの事件は何か進展があっただろうか。

 

 週末に帰省すると母に連絡したら、嬉しそうな声が返ってきた。父も家に居ることを確かめた。喜ばれると気が引ける。帰る目的を知ったら、穏やかではいられないだろう。

 帰省する日の朝はどんよりとした気分だった。来週に先送りしようかと考えたほどだ。けれど二瑚からラインがきた。

「先送りは考えないで。難問も解かなきゃダメ。頑張って」

 二瑚は頻繁にラインのやり取りをするのが苦手だそうだ。だから何気ない会話っていうのが殆どない。前にマシューにラインの不満を打ち明けたことがある。

「恋人達のラインは、もっとハートとかが溢れてるもんだよね」

 僕はじっくりと見られない程度に一瞬だけ二瑚とのライン画面を見せた。全体的に空白が多い。大抵一言、二言しか返してこないからだ。マシューは大笑いすると思ったのに笑わなかった。

「いいだろ、別に。俺も嫌いだ。言葉はウェブに載せるより会って直接伝えたい派だ。でも、俺は主義だけどニコは面倒くさいだけだ」

 その面倒くさがりが今朝は、わざわざラインしてきたのだ。頑張って帰るしかない。電車に乗っている間、どんな風に話を切り出そうか色々と考えた。途中でお土産に芋けんぴを買った。帰り着いて母に渡したら大袈裟に驚いた。

「お土産? 恐ろしい」

「乗り換えの時に改札を出たら、たまたま正面に芋屋があったから」

「そうなの? じゃあ、椎茸屋があったら、椎茸だったか」

 最初から突っかかる。リビングのソファに座っている父の笑顔はどこかぎこちなかった。僕がイレギュラーに帰省する理由を考えたからだろうか。芋けんぴは仕舞われて、代わりに洋菓子とコーヒーが出てきた。母は父の横に腰を下ろした。僕が二人の前に座ると自然に向き合う形となった。何から話していいのか分からなかった。切り出し方を何パターンか考えたのに全部飛んでしまった。けれど母が先に口を開いた。

「言うことがあって帰って来たんでしょ」

 もうこれは単刀直入に聞くしかない。

「盗作したの?」

 あまりにも直球すぎた。けれど後悔しても遅い。リビングの空気が変わった。父は飲みかけたコーヒーをテーブルに置いた。

「何言ってるの?」

 こうなったら一気に聞こう。

「手紙を見せてから色々調べた」

 二人は二通目の手紙のことを知らない。情報としては《あなたの父親は人殺しです》という文面だけだ。

「秋も知ってるでしょ。あの手紙、小説の中の文面だって。盗作ってどういうことなのよ」

「丹波凪子に会って確かめた。あの小説は丹波さんのもので、盗作されたと言っている」

「嘘に決まってるわ。あの人、認知症だって聞いたわよ。もう何も分からないんでしょ。昔の記憶なんてない筈。でまかせをを言っているのよ。その病気、せん妄もあるでしょ。全部妄想。相手にしなくてもいいわ」

 母は早口でまくしたてた。却って後ろめたいことがあるからだと勘ぐってしまう。凪子さんの状態は父から聞いているようだ。

「神田さんの話も聞いた。事情聴取を受けたそうだね。人殺しって、神田さんのことだろ」

 父は口を一文字に結び、僕とは視線を合わせず俯いた。母は口が開いたままだ。

「あなた、誰に何を吹き込まれたの?」

「神田さんが証拠を持ってたんだろ。音声ファイル。その音声ファイルを聞いたよ。お母さんは盗作してた。神田さんは自分が思い違いをしていたことに気づいて、連絡してきたんだね。強請ゆすられた? それで殺したの?」

「何てことを……」

 母は小刻みに震える手で頭を抱えている。父は何も言わずに俯いたままだ。けれどその表情はとても苦しそうに見えた。厄介事の抜け道を探ろうと必死にもがいているようだ。やはり本当だったのだ。

 実は一昨日マシューが訪ねて来た。僕が両親と対峙すると打ち明けると、こう言った。

「一つ策を授ける。音声ファイルを聞いたと言ってみろ。心当たりがなければ、何、それ、で終わる。けど心当たりがあれば態度に出るだろ。鎌を掛けてみるんだ。どうだ、両親相手に心苦しいか」

「音声ファイル。何の?」

「小説の意見交換会をした時の音声だ。プロットを出し合ったやつだ」

 マシューはニッと笑った。小出しにして楽しんでいるようでいい気はしない。それがあれば確実に盗作疑惑の答えがでる。けれど警察が調べて分からないものをマシューが易々と見つけられる訳がない。

「どこにある?」

「だから親父に聞けって」

 マシューはそう言って帰って行った。

 授けられた策は有効だった。それどころか予想以上だ。父がやっと口を開いた。

「音声ファイルはどうやって手に入れた?」

 それがどんな記録媒体でもたらされたのかを考えてなかった。咄嗟にでまかせを言った。

「神田さんのパソコンに残っていた」

「それはおかしい。警察がパソコンを調べた筈だ」

「そこまで知っているんだね。もしかして音声ファイルを処分したの?」

 父はその質問には答えなかったけれど、意を決したように口を開いた。

「神田には会った。金を貸してくれと言われたけれど断った。貸す理由がないからね。知り合いだと言っても何十年も付き合いがなかったんだ」

「神田さんはお母さんの知り合いだろ」

「お父さんも顔見知りだ。講座の送り迎えで顔を合わせれば、挨拶ぐらいする。それに盗作疑惑を晴らす証言をしてくれた時に話した。世話にはなったが、強請られる理由はない」

「何十年も付き合いがない人に、わざわざ会いに行く理由は何? 借金の申し込みなら普通、向こうが来るだろ」

 母は盗作の言い訳にあんなに饒舌だったのに、だんまりを決め込んでいる。ボロを出さないためには父に任せた方が得策だと判断したのかもしれない。

「そうだな。向こうが来るべきだ。だけど、電話で連絡してきた時には用件を言わなかった。何事かと思って興味が湧いたってところだ。それで話を聞きに行った」

「後ろめたいからじゃないの?」

「盗作の事実がないのに、後ろめたく思う必要があるか。その音声とやらを、持ってきてくれ。実際に聞いてみようじゃないか」

 音声がないという確信があるのだろうか。自信があるような言い方だ。

「お母さんは盗作もしてないし、お父さんは神田さんの死にも関係がないと言い切れる?」

 父は僕を睨みつけた。

「ああ」

 冷たい声だ。一言ですませるつもりだ。二人とも自分の口で「盗作はしてない」「人殺しはしてない」とはっきりと言うべきだ。

「もう、やめて」

 母は哀願するように僕に手を合わせた。母にそんな姿は似合わない。これ以上僕に何が出来るというのだろう。

 

 実家から帰ってタイミングが合わず、二瑚と会ったのは四日後だった。僕には報告義務があったが、何と説明したらいいか分からなかった。四日間考えあぐねて答えを決めた。

「二人とも凪子さんを嘘つき呼ばわりして終わった」

「そう」

 二瑚はそれしか言わなかった。何か様子がおかしいぞと気づいている筈だ。

「靴の小石はとれた?」

「粗方。これからはあんまり気にせず履いていく」

 二瑚は僕に近づいておでこのホクロに指を置いた。

「分かりました。じゃあこれで終了ボタンを押します。カチッ」

 そして指に少し力をこめた。泣きそうになったけれど懸命に堪えた。

 やっぱり僕はポンコツだ。

 

(つづく)