7
土曜日、待ち合わせ場所に現れたマシューは全身真っ黒ないで立ちだった。弔意を服装に反映させるなら僕にも伝えるべきだ。
「そういう感じで来るなら言ってくれよ」
完全に失念していた。僕は派手ではないが山吹色に細いこげ茶のストライプのシャツだ。
「別に喪服じゃない。この前のシャツと同じパターンで縫った。コンセプトはドラキュラだ。実は袖と裾の折り返しと裏前立てに赤を使ってる。ほら」
マシューは袖を折り返して見せた。赤い色が見えた。首からは鍵のペンダントがぶら下がっている。この前見た時と印象が違った。
「チェーンだけじゃ心もとないから革紐もつけた。いいだろ。折角ペンダントありきのコーディネートなのに回収されたら帰りは胸元が寂しくなる。だから貰って帰るつもり。日記は開けたままでいいだろ。てか、もともと鍵を貰ったのは俺だしな」
咲良さんが納得するかどうか疑問だ。
「オーデションどうだった?」
「落ちた」
あんな夢を見たから受かっているような気がしていた。思い出せない得意顔を実際に確認することが出来ると思っていた。目の前のマシューは笑っている。取り敢えず笑い顔は確認できた。気の利いた慰めの言葉が見つからず黙っていた。
「けど、審査委員特別賞的な成果はあった。そんな賞、実際にはないけどな」
「褒められたってこと?」
「おまえは小学生か。落とすけど、よくできましたってか。ばーか。審査員の一人から個人的に誘われたんだよ。だから踊る。あんまり金にならないからパターンと二刀流だ」
「黒服との二刀流は思いつかなかったのか」
「ああ。酔っ払いとお姉さんの相手は苦手だ」
そんな言葉を聞こうとは思いもしなかった。あんなに客あしらいが上手くて、キャストのお姉さんに気にいられていたのにそれはない。完全に僕の立場を無視だ。
「やっぱり僕に近づくことが第一目的か」
精一杯、嫌味を言ったつもりだ。けれどマシューは気にもとめず、肩と腕をウェーブのようにしならせた。何だか馬鹿にされてる気分だ。
「ま、そう言うな。それで友達になったからいいだろ」
予想外の言葉に、気恥ずかしさが先に立って全然別のことを口にした。
「やっぱり黒っぽい服にすればよかった」
「そのシャツ、お供えのバナナみたいな色で丁度いいじゃん。ちょっと置き過ぎてやられた感じもいいぜ」
くだらない話をしながら景山家に向かった。顔を出した咲良さんは、やつれた感じがした。けれどもともと静かな人なので、言葉少なに僕等を仏壇のある和室に招き入れた。
景山真秋の遺影は、咲良さんが送ってくれた卒業写真と同じものだった。最近の写真がないというのは本当だったのだ。
「もっと最近の写真、沢山あったのに」
マシューはコーラとカレーぬれ煎を供えながらそう言った。そして仏壇に手を合わせてからすぐに本題に入った。前もって頼んであったのか、リビングのテーブルには日記帳が置いてあった。聞いていた通り木箱みたいにみえる。厚さは五センチくらいあって、ハードカバーの単行本より少し大きめだ。表紙には百年日記と書いてある。
「百年? これ一冊にそんなに書けるか?」
まずマシューが率直な感想を口にした。それからすぐに鍵を挿し込んで蓋を開けた。木でできた扉と裏表紙がパタンと百八十度開いた。四方の厚みは小さな蝶番で表紙に繋がっていて、木の板の上に分厚いノートが置かれている状態になった。
僕等は顔を見合わせて、手に取る順番を咲良さんに譲った。咲良さんは日記帳をテーブルの上に置いたままで、ザッとページを捲った。
「日記と言っても日々の出来事をメモするだけですね。スペースが小さい」
最初の方のページは格子の枠が印刷されて、カレンダーのようになっている。曜日は上部に印刷してあるが、日付は自分で書き込む形式だ。一ページに二ヶ月分、これなら一年が六ページですむ。それでも百年なら六百ページが必要になる。
「この後に日記らしい記述がありますね。特記事項を書くスペースのようです」
メモ程度のカレンダーは三十年程前から始まっている。咲良さんは日記を手に取って、読み始めた。そしてすぐに読むのをやめてテーブルに戻した。
「日記を読んでいいか、凪子さんに確かめました。いいって答えたけど、分かってないみたいでした。父は知りません。これって本当に私達が勝手に読んでいいものでしょうか」
急に躊躇し始めたのは凪子さんの重要なプライバシーに関わる記述が出てきたからだろうか。僕が黙っていると、マシューが体を乗り出した。
「先に俺が読んでもいいかな。第三者の方がいいってこともある」
あんなに主張していた「何でおまえ?」は無視のようだ。
それから二十分近くマシューは黙って日記を読んだ。咲良さんは別室に消えて、僕はその間スマホをいじって時間を潰した。
「きっと持ち出し不可だろ。じゃあ、次はリギー」
マシューはそう言って僕に日記を手渡した。僕はマシューと同じくらい、いやそれ以上に時間をかけて日記を読んだ。カレンダーの部分には、僕等を取り替えたとする日、それに僕の二十歳の誕生日などが書かれていた。文字は手紙と同じように美しく読みやすかった。僕には関係のない箇所もあったが、凪子さんの想いはあからさまに書かれていた。
凪子さんはネット上で自分の小説に似た作品が評判になっているのを知った。作者は同じ小説講座に通っていた白濱雅だ。その小説が出版されると知って出版社に抗議の電話を入れた。しかし、結果はその事実はなしという返答だった。かつて白濱雅とは同じ講座の受講生だった神田と三人でプロットを持ち寄って意見交換会をしたことがある。雅の小説で間違いないと証明したのが神田である。雅がその小説への思いを熱弁していたのを記憶していたという。確かに交換会で雅は自分の小説そっちのけで、凪子の小説のことを語っていた。雅と神田にも抗議したが、埒が明かなかった。自分の小説だと証明できる証拠は見つからなかった。
神田というのは、後になって父に金の無心をしたという男のことだろう。六年前に亡くなったことは書かれていなかった。凪子さんはそのことを知らなかったのかもしれない。
盗作の件はこの経緯からすると、凪子さんの主張が不利な状況だ。凪子さんの思い込みということではないだろうか。真相は分からない。けれど謎が少し解けた部分があった。
最初の手紙の一文についてだ。
《あなたの父親は人殺しです》
赤ちゃんの取り替えをしたつもりの凪子さんにとって、白濱秋の父親は景山伊織だ。凪子さんは菊丸さんに貸しがあった。夫のDVの相談をされ、自分のことのように憎悪を膨らませた。そして伊織さんに菊丸さんの夫を殺してくれと頼んだ。菊丸さんの夫は心臓疾患があり心不全で亡くなったが、それは薬局に勤めていた伊織さんが処方した鎮痛剤のせいだ。そのお陰で、菊丸さんは平穏な日々をおくれるようになった。だから赤ちゃんの取り替えにも協力してくれる。日記にはそのように書かれていた。
菊丸さんに手紙の文面の人殺しについて心当たりがないか聞いた。その時、菊丸さんは狼狽して、何かを隠しているような印象を受けた。これで納得がいく。
日記には、その後も凪子さんにつらく当たっていた親戚や知人が亡くなったのは伊織さんが殺してくれたからだと書かれていた。
僕が顔をあげるとマシューと目が合った。
「どうだ。犯罪オンパレードだろ。凪子さんの日記のまんまが事実だとするとやばい」
「咲良さんはどんな気持ちで読むんだろう」
僕は別の部屋で待っている咲良さんに気をつかって声を低くした。実は日記の始めに凪子さんの伊織さんへの気持ちが書いてあった。話し声が聞こえたのか、咲良さんが顔を出した。後でゆっくりと読むだろうと思っていたら、咲良さんはすぐに日記を手に取った。それから次々とページを捲り速読の速さで一通り読み終えた。何だか一つ一つを考えながら読むのを避けているみたいだ。
「この中にでてくる殺人事件、菊丸さんのダンナの話とか本当なのかな?」
マシューが聞いた。マシューも咲良さんも今日はお互いにフランクな話し方だ。そういう付き合いだったのだろう。
「後の方は、妄想や錯乱が始まっていた頃だから多分その類のものだと思う。書いてある親戚や知り合いもそんなに関わり合いがなくて、噂で亡くなったって聞いた程度なの。確かに凪子さんはその訃報を聞いて、自分に意地悪してた人だって言ってた。でもそのくらいで父が人殺しをする訳ない」
断言してはいるが、不安そうなのは表情で分かる。菊丸さんの夫が亡くなった時にはまだ病気を発症していないからだろう。マシューが助け舟をだした。
「凪子さん、思い込みが激しいところがあるから。狂信的な固定観念もあるだろ。ほら、書いてあっただろ。伊織さんのこと。だから病気がなくても妄想が先走りしたんだ」
マシューにしては言葉を尽している。
「父に見せてもいいものかどうか迷ってる」
「この際みんなで情報を共有して、意見交換会でもするか」
マシューが殊更明るい声で言った。けれど実は一人だけ部外者だ。
「不謹慎だ。他人事だと思って」
僕は言葉が足りないけれど、精一杯咲良さんを思いやったつもりだ。それ程日記に書かれた伊織さんについての言及は、ナイーブな話だったからだ。日記を伊織さんに見せるかどうかは咲良さんに委ねることにした。帰り際にマシューはもう一度真秋さんの遺影の前に行って「じゃあな」と静かに呟いた。僕との別れ際にするダンスは鳴りを潜めている。
景山家を後にして、僕等は並んで歩いた。マシューが切りだした。
「そんなに収穫がなかった。盗作も凪子さんの言い分が詳しく分かったに過ぎない。真偽に触れる決定的な証拠がない。凪子さん、神田が死んだこと知らないみたいだな」
「神田? ああ、盗作じゃないと証言した人か。転落死が六年前だろ。大きく報道されたのかな。じゃなきゃ、知らなくても当然だ」
「それよりも伊織さんの話は、取扱注意だ。愛のあり方はさまざまだというニコの言い分には納得する。だけど、凪子さん、だいぶひねくれ者だ。今まで知らなかった」
「咲良さん、伊織さんにみせるかな」
「あ、俺こっち。ダンスのレッスンがある」
マシューはいきなり方向転換して走り出した。そして背中を向けたまま右手を小さく振った。僕の問いかけには応えなかった。それから二瑚に連絡をとって部屋を訪ねた。
「収穫、無しって顔だね」
僕は首を落とす勢いで頷いた。そしてその時に思い出した。意気込んで確かめてくると宣言した疑問についてだ。マシューの「偶然という言葉の裏」「熱量の源」二つはどうなった。結局分からずじまいではないか。というか聞いてもいない。
「収穫どころの話じゃない。マシューに確かめるって意気込んだのに忘れてた。せっかく用意していった手土産を渡し忘れて持って帰ってきた気分」
二瑚は口元を押さえてクックッと笑った。大きな前歯は隠されたけれど、それはそれで愛らしい。肩を落とす僕を座らせてコーヒーを淹れてくれた。
「喩えが良かったから良しとしよう。それで日記には何が書いてあったの?」
菊丸さんのご主人の話とか、いくつかの報告をした。
「それよりも凪子さんと伊織さんの関係が少しは分かった気がする。伊織さんへの気持ちが書いてあった。何だか僕らが読むのが申し訳ない気がした」
「そうなの? じゃあ私は聞かない方がいいよね」
「だけど凪子さんの背景を知るため聞いてもらおうかな。これは一つの愛のあり方の話だ」
二瑚は真剣な表情で耳を傾けた。
凪子さんは小さい頃から目立って可愛い子どもだったようだ。伊織さんとは家が近所で幼馴染だ。凪子さんが小学四年の時、住んでいた場所の近くでテレビのロケがあった。その時に芸能関係者の目に留まり、子役の誘いを受けた。テレビドラマの脇役ながらすぐに役が付いた。そのドラマを見たある映画監督が凪子さんを気に入って、次回作の主人公の少女時代の役を打診してきた。オーデションはするが、もう心に決めているという意向だった。
オーデションの数日前、凪子さんは近所の公園で友達と芝すべりをして遊んでいた。六年生の伊織さんも一緒にいたそうだ。芝そりが激しく動くと乗っている子どもがはしゃぐので、引っ張り役の伊織さんはスピードを出した。凪子さんを乗せていた時にそりが転倒して、投げ出された凪子さんはフェンスに激突した。右足首の複雑骨折で手術をしたが、全治三ヶ月の大怪我だった。凪子さんはオーデションに行けず、別の子が選ばれた。撮影までに復帰するからと頼み込んだが、全速力で走る場面があるから無理だと断られた。
凪子さんは表舞台に上がるチャンスを逃したと悲しんだ。そしてそのチャンスを潰したのが伊織さんだと決めつけた。伊織さんはそれを負い目に思い凪子さんの我儘を受け入れるようになった。
凪子さんは事故の後、右足を少し引き摺るようになった。足が治ってからも、伊織さんに見せつけるために長い間引き摺って歩いていたら、そのうちに本当にそういう歩き方になってしまったという。
「これ、どう思う」
「そういえば、凪子さん右足を引き摺ってたね」
僕は全然気づかなかった。やはり二瑚の観察力はすごい。
「凪子さんは怪我した時に、輝かしい人生を奪われた気がしたんだって。それから盗作された時も。二度も自分に悲運がふりかかって、余計に悔しい思いが募ったそうだ」
「それが執念の原動力か。だけど二十年は長い」
「伊織さんを何十年も縛り付けて、母には長い下準備をして復讐しようとした。日記にあった凪子さんの想い。マシューは凪子さんがひねくれ者だって言ってた」
「凪子さんは伊織さんが好きだったんでしょ。憎んでいるけど愛していた」
「え、何で分かったの?」
「憎いと愛してるは表裏一体ってよくある話でしょ。その上、凪子さんのはメビウスの輪みたいに捻じれてどっちが表かも分からない。だけど伊織さんの子どもまで復讐の手段として使おうなんて一線を越えてる」
よくあると言われても僕は知らない。だけど黙っておこう。愛にはそんなに詳しくない。
「凪子さん、後輩が伊織さんを気に入ったと聞いて、伊織さんに結婚を勧めたらしい。断って欲しかったんだって。それなのに伊織さんは結婚した。だから当てつけみたいに復讐に巻き込んだ。確かに相当、ねじねじだ」
「凪子さん、幸せじゃなかったよね」
それについては凪子さん自身が日記の最後に綴っていた。僕は記憶していた一文をそのまま二瑚に聞かせた。切ない一文だった。
「みんな愛情表現が下手すぎる」
僕がそう言うと、二瑚が笑った。
「秋は上手いの?」
「僕は全力で表現するタイプ。しかも熱烈」
「それぞれの熱烈キャパがあるから、人がどうこう言うことじゃないよね。よく分かる」
僕はその言葉に満足した。