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 それから一ヶ月が過ぎた。二瑚と別れて部屋に帰りつくと、誰かがドアにもたれて立っていた。派手な幾何学模様の丈の長いシャツに、黒い中折れ帽を目深に被っている。シャツは光沢があって柔らかそうだ。こんな格好をする知り合いは一人しかいない。

「よお」

 マシューが小さく手を上げた。僕は湧きあがった色んな感情を悟られまいと、殊更平気な振りをした。

「今日も派手だな」

「そうか。パンツはグレイで抑えめだぞ。シャツは全体的にドレープを入れて膨らませた。実際の体より大きく見えるだろ。威嚇が目的だ」

 マシューはそれからシャツの襟を立ててみせた。普通よりも大きく作られた襟は針金でも入っているのか帽子につきそうなくらい広がった。マントの立ち襟みたいだ。笑っている顔が憎らしい。

 マシューはドアが開くのを待って僕より先に部屋に滑り込んだ。テーブルに帽子を置いてからソファを占領するように大きく足を広げて座った。帽子を一周しているリボンはシャツと同じ布で、部屋の明りを受けてテラテラと光っている。僕は向かいに座り、マシューの顔を改めて眺めた。消えてから二ヶ月が経つが、時間の経過を忘れてしまいそうだ。

「どうしてた?」

「色々」

「刑事が来た」

「何で?」

「景山真秋が死んだからだ」

「そうか」

「驚かないのか。知ってた?」

 マシューは腕組みをして顔と肩を小刻みに動かした。そのうちに体と指先にも動きを伝染させた。それから動きの途中でピタッと静止して僕をみた。

「知ってた」

 一体何から聞けばいいのだろう。

「僕と知り合う前から景山真秋とは顔見知りだったのか?」

「ああ。高校の同級生だ。鬼道のオフィスでも顔を合わせていた。景山はちゃんとした就職で、俺はパターンを受けるだけのバイト」

 さらっと言ってくれる。

「それはいつ頃の話? ラウンジでバイトしてた頃?」

「ラウンジでのバイトはその後だ」

「偶然、僕とバイト先が一緒になったということ?」

「いくら何でも、そんな偶然はない」

 マシューは当たり前だと言うように表情を変えない。きっと僕は情けない顔をしている。平静を取り繕うことができないのが悔しい。

「言い訳を聞こう」

 やっとそう切り出した。

「白濱秋に近づくために大学やバイト先を調べたのさ。そして首尾よく潜入。その後まんまと友達になった。本来の目的を達する為の付き合いだと割り切ったつもりが、意外にリギーはいい奴で親睦を深めた。だけど景山の件で心当たりがあって調べるのに忙しくて、しばしの間ドロン。どうだ、これでオッケー?」

 マシューは破願した。どうしてそんな顔ができるのだろう。腹が立ったがその笑顔を見ていると全てを許してしまいそうになる。何を画策して僕に近づいたのか、答えを待っている。僕はこの状況を納得したかった。結果的にそれなら仕方がないと思いたいのだ。

「本来の目的って何だ」

「うん、それな。あ、先にコーヒーにする」

 マシューは立ち上がってキッチンの棚を開けた。

「お、新しいカップがある」

 僕はあれからマグカップを三個買っていた。ドリッパーがグラグラしない口の広いやつだ。マシューはその時にはもういなくなっていたけれど、彼の分も買った。

「俺のは? これだ。まあまあだな」

 マシューには惑星や流れ星が描かれた濃いブルーの宇宙柄のカップだ。僕と二瑚のカップはお揃いで、上に向かって少し広がった形だ。生成の下地に図案化された木の幹と枝が描かれ、小さな丸が散らばっている。二瑚が二人の名前からイメージして選んだ。僕には絵柄が橙色で自分にはコーラルピンクだ。橙色は実をつけた秋の木で、コーラルピンクは珊瑚だ。小さな丸は木の実にも珊瑚の節にもみえる。二瑚の瑚は珊瑚を意味している。初めて名前を聞いた時に説明を受けた。それがずっと漢字を思い浮かべている所以だ。

 マシューは迷うことなく橙色の方を手に取って、宇宙柄のカップと並べてコーヒーを淹れた。

「さっきそんな偶然はないって言っただろ。でも偶然はもっと前にあったんだ」

 僕にマグカップを渡しながらマシューはそう切り出した。

「俺は高校のデザイン科に入学して、景山真秋と同じクラスになった。それは本当に偶然だった。そしてこれが話の始まりだ」

 僕は身を乗り出して、打ち明け話を一つも聞き洩らさないように懸命に耳を傾けた。

「そのうちに景山と仲良くなって家に遊びに行くようになった」

「もともと咲良さんや景山伊織、それに丹波凪子とも知り合いなのか?」

「咲良さんや親父は留守のことが多かったけど、会ったことはある。凪子さんはずっと家に居たから割とよく知ってた」

「咲良さんはおまえのことを知らないと言った。嘘なのか」

「何て聞いた?」

「本間真秋を知っているか? だ。ストレートな質問だぞ」

「俺の名は本間真秋じゃないから、咲良さんが知らないと言っても嘘じゃない」

 僕は「えっ」と言う口のままで固まった。

「刑事も本間イコールマシューで話を進めたぞ」

「ああ、本名はほんしゆうだ。それで中学校の頃からマシューと呼ばれてた。高校デビューでもそれで宜しくと自己紹介した。ある時、気づいた。景山の真秋もマシューと読める。偶然はそうないがこれは二つ目だ」

「偶然、割とあるじゃないか」

 つい、棘のある言い方をしてしまう。

「偶然じゃないのはこれからだ。秋繋がりを口実にして、おまえに近づくために真秋の名前を拝借した。マシューの呼び名は嘘じゃないし、咲良さんも嘘はついていない」

 咲良さんの答えに少し間があったことを思いおこしていた。本間には引っ掛かりがあったのだ。これが二瑚の唱える咲良さん最小限律義説なのだろう。

「パターンだけでは収入が少なかったから、バイトを探してた。だから一石二鳥だ」

「どうして一鳥が僕に繋がる」

「景山がマレーシアに行ってからラインはブロックされて電話も通じない。周りのみんなに聞いても同じだ。咲良さんには、元気だとか、心配ないとか短い返信がたまにあるという。だけど絶対におかしい。捜索願いを出したらと言ったけど、不審だという確固たる証拠がないからと断られた。頭が固いところもおまえと似ている」

 マシューは宇宙のカップをゆらゆらと揺らしながらコーヒーを飲みほした。

「手紙のことも知ってたのか」

「ああ。見せてもらったことがある。景山が内容を知りたがった。そりゃ指定日が自分の二十歳の誕生日なんだから当然、気になる。だけど咲良さんが凪子さんとの約束を厳守するからどうしようもなかった」

 僕にしていたように景山真秋にも進言と称して色々口を出していたのだろう。

「一鳥がアルバイト収入。あと一鳥はリギーと二十歳の誕生日を一緒に過ごして、手紙の内容を知ることだった。そして、それこそが本来の目的だ」

 マシューは最後の言葉に合わせて、大袈裟に胸の辺りで両手を開いてみせた。

「それで転居届を勧めたのか」

「ああ、実家の住所だと気づいて、直接リギーが受け取れるようにしたかった」

「そんな回りくどいことまで普通する?」

「ニコに邪魔されかけたけど、うまい具合に熱を出してくれた。あ、これも偶然か。ホントだ、よくある。それで無事に誕生日を一緒に祝うことができた訳だ」

 マシューは笑っているが、僕は穏やかではいられない。睨みつけると、思いついたようにポンと手を打った。

「そうだ、俺が一つ推理したことがある。おまえには寄り道だけど、聞いてみる?」

 寄り道と聞くと嫌な予感がする。迷路の増設だろうか。

「先に宣言する。僕はすぐに迷子になる。だから分かりやすい話にしてくれ」

「もっと言えば方向音痴でもある。軌道修正はいつもニコだろ。いいのか? 呼ばなくて」

 マシューがそう言うなら二瑚を呼ぼうかなと一瞬思った。だけど駅で別れてからもうだいぶ時間が経っている。今頃は部屋に帰ってくつろいでいるだろう。迷惑に違いない。

「何、何。本気で考えてる? 嘘っ。嫌だね。断然二人っきりがいい。ニコがいると緊張するもん。後で迷子案内所におまえを預けるから、放送でニコを呼んでもらえ」

 屈辱的な言い方だが妙に納得する。マシューは真剣な表情になって口を開いた。

「俺は景山を殺したのは鬼道だと思う」

 寄り道にも程がある。何を言いだすのだ。

「景山が高校時代から描き溜めたスケッチブックを見たことがある。才能があった。いわば宇宙がつくれる才能だ。業界でも評判になった鬼道の作品は景山のデザインを盗んだものだ。鬼道はそれで名を上げた。その時はまだ疑惑の段階だ。だけど来シーズンのショーを見に行って確信した。新作の中に景山のデザインがいくつか使われている。最初の盗用直後に景山はマレーシアに布の買い付けに行かされた。それで失踪だ。おかしいだろ」

「それを警察に言ったのか?」

「もちろん言ったさ。確信したからな。てか、どうしてリギーの所に刑事が来るんだ」

「おまえが突然消えるからだ。鬼道の所に居候してると聞いてたから問い合わせた。マシューに渡したい書類があるけど連絡が取れないから預かれと言われて住所を教えた」

「何の書類だ?」

「結局何も送られてこなかった」

「鬼道の奴、嘘ついて住所を聞き出したな。手持ちの駒にするつもりだ。おまえ、簡単に律義発動しすぎ。預かれないって断れよ。それに知らない人に住所を教えちゃダメだ」

「マシューはどこにいた?」

「実家。二十年間実家暮らしだ」

「なぜ、鬼道のところに居ると言った」

「だって突然訪ねて来られたら嫌だろ。実家だし」

 理不尽な話だが、マシューが口にすると当然のことのように聞こえるから不思議だ。

「実際、警察の突撃訪問、嫌な感じマックスだ。刑事は俺達が景山の失踪に関係があるみたいに言ってただろ」

「ああ、そんな感じだった」

「鬼道が陽動作戦にでてる。俺達を巻き込むつもりだ。盗用は証拠がない。デザインブックも紛失してるし、内容は俺しか見ていない」

「だけど僕等はマレーシアには行っていないだろ。アリバイがある」

「鬼道も行ってない。日本にいて誰かに殺人を依頼したんだ。現地で景山のスマホも操作させたんだろう。失踪届を出させないためだ」

「分かったけど、それが寄り道なのか」

「これを踏まえて本道に戻ろう。景山と連絡が取れなくなってから、デザイン盗用疑惑を景山の親父にも打ちあけようと施設に行った。だけど外出中で、会えなかった。折角行ったから凪子さんと面会をした」

「もう病気が進行していただろ」

「ああ、でもその時は俺が景山の友達だと分かってた。咲良さんは時々顔出すけど、景山には暫く会ってないとも言ってた」

 その頃はまだ記憶がはっきりしていた時間がかなりあったのかもしれない。マシューはソファの背に寄りかかっていたが、座り直して前かがみになった。そして一呼吸置いてから話し始めた。

「俺は鬼道の盗用疑惑の話を凪子さんにした。すると凪子さんはいきなり笑いだした。嬉しそうに高笑いしたんだ。仮にも息子のように育てて、長年同居していた家族のような人間が盗用疑惑の憂き目にあっているという話だぜ。笑えるか?」

「凪子さんは自分が盗作されて、復讐のために僕と真秋さんを取り替えたと信じている。それで白濱雅の息子が同じことをされて溜飲を下げたというのか」

「そうだ。けど、俺はその時にまだ事情を知らなかった。だからゾッとした。真意が分からず、ただ恐ろしかった。俺は今まであんなに邪悪な人間の顔を見たことがない」

 マシューは腕を抱えて恐ろしそうに身震いしてから、話を続けた。

「その時に凪子さんが白濱の名前を口にした。以前見せられた手紙の宛名と同じだ。そりゃ興味がわくだろ。凪子さんの恐ろしさの根源が知りたくなったって訳だ」

 そんな話を聞かされると、益々盗作疑惑が深まる。

「本当はどうなのかな? 盗作」

「あれあれ、自信がなさそうだ。それなら親父の疑惑も再浮上だ。明らかにおまえの親父、手紙を見た時のリアクションが怪しげだったしな」

 父はその後、丹波凪子に会いに行っている。誰にも言っていないことだが、怪しさをさらに増大させた。考えていると更にマシューが追い打ちをかけた。

「黙ると、認めることになるけどいいの?」

「それだと辻褄が合わなくなる。凪子さんは僕の父親が伊織さんだと思っているんだろ。それなら人殺しは伊織さんということになる」

「そこが面倒臭いところだ。景山伊織、人殺し説。これも疑惑だ。念頭に置いておこう」

 マシューは一人で納得しながら何か思案していた。僕は嘘が絡み合って渋滞している状況にうんざりしていた。

「嘘がすぐに見破れたらいいのにな。嘘をついたら掌に赤い丸印が現れるとかさ。ペットボトルの蓋くらいの大きさだと見つけやすい。どうだ、よくない?」

 小型のウソ発見器があればすぐにでも買って、持ち歩きたい気分だ。

「独特だな。何故に赤丸。強いて言うなら赤バツだ」

 僕は両手を顔の前にだして握りこぶしを作ってみせた。

「ほら、隠そうと思えば手をギュッと握れば隠せる。対策で手袋をすることもできる」

「じゃあダメじゃん」

「でも動きは不自然だろ。だから嘘つきだとバレる」

「大なり小なりみんな嘘つきだぜ。全人類の九十八パーは嘘つきだ」

 マシューは体を固定させたまま首だけを動かしてそう言った。思わず笑ったけれど、本人は真剣な顔で関節の動きを次々と披露した。ダンスを極めるみたいだ。

「世の中嘘つきばっかか。そうだな。その最たる人間がマシューだ」

 ここで今までの苛立ちを吐き出した。

「名前か。確かに嘘はついた。それだけだぜ」

「色々隠してたじゃないか」

「一つ一つ、これ、知ってた? と聞かなかっただろ。知ってることを言わなかっただけだ。それって嘘をついたことにはならない」

 屁理屈で煙に巻かれたような感じだ。僕は聞こえよがしに大きくため息をついた。二瑚も似たようなことを言っていた。

「どうにか盗作が事実かどうか知る手立てはないのかな」

 母の顔を思い浮かべた。盗作していたとしても本当のことを言う筈がない。父も同じだ。世の中嘘つきだらけ説は正しい気がした。僕の思考を邪魔せずに時間を取ってからマシューが切り出した。

「病気になる前の凪子さんに確かめてみるか」

「はあ?」

 意味不明のことを言い始めた。僕は間抜けな声を出してそれに応えた。するとマシューはシャツの襟元に手を差し込んで、ゴソゴソと探った。取り出したのは小さな鍵だ。鍵が繋がれているチェーンも首筋に姿を見せた。シャツの下にペンダントを隠していた。

「ジャジャーン」

 マシューは首からペンダントを取って、僕の目の前で大きく揺らした。鍵の付いたペンダントといえば、思い当たるものは一つしかない。

「それって、もしかして凪子さんの日記帳の鍵?」

「はい。ご名答」

「マシューがどうして持っている」

「ちょっと前に凪子さんに会いに施設に行った。何か新しい情報がないのか確かめるためだ。そしたら肺炎で入院中だった。だけど良くなって明日は施設に戻ってくると聞いた。それで敢えてその日に病院に行った。ボディガードが施設に居残り中だからな。病院ならノーガードだ。こんなチャンスを逃す手はない」

「伊織さんのことか」

「ああ。あの二人の関係は微妙だ。夫婦でもなく、恋人でもなく、友人でもない。で、考えついた。ボディガードだ」

「愛にはたくさんの在り方があるから、特定できないだけだ」

 マシューは薄笑いを浮かべて聞いている。

「ニコだな。言いそうだ」

「うるさい」

「俺は無理を言って面会させてもらった。それでペンダントしてないねと聞いた。はずしてたからね。凪子さん、俺のことも大事なペンダントのことも忘れてた。試しにサイドテーブルの引き出しを開けてみるとあった。ボディガードに持ち去られなくて良かった」

「盗んだのか」

「人聞きが悪いな。ちゃんと了解をとったさ。何の鍵だろうって言うから、鍵型のペンダントだと答えた。センスがいいから欲しいと頼んだら、簡単にくれた」

「それで新しい情報は聞けた?」

 父が訪ねたことを知られただろうかと不安になった。

「いや、全然。大事な鍵のことも忘れてるんだ。かなり病気が進んでるってことだ」

 父のことも忘れているのならよかった。

「それが日記帳の鍵だと知っていたのか」

「前に何の鍵なのか聞いたことがある。だっていつもブラブラさせてたから、誰だって気になる。あれで気づかない奴がいるとしたら、よっぽど鈍いか、間抜けだ」

 二瑚との会話を聞いていた筈はないが、僕のポンコツが改めて認定された気分だ。

「それでお誘いだ。俺と一緒に日記を見に行かないか」

 答えに困った。日記は読みたいが、それに付随する行動を考えると二の足を踏む。

「日記は咲良さんが持っている」

「知ってる。俺が鍵を持っているから一人で行くとする。それで咲良さんに日記を読ませてと言う。で、どうなる?」

「咲良さんも読みたいと言うだろう」

「言うかもしれないが、その前の段階だ。咲良さんからすれば、何でおまえ? ってなる。立場上、俺は弟の友達の一人に過ぎない。俺が凪子さんの日記を読みたい意図が分からないだろ。その点リギーなら十分当事者の特権がある。だから一緒に行こう」

「意図は何だ?」

「そりゃ気になるからだ。全部事情が分かった上で知りたいって気持ちさ」

「じゃあちゃんと意図はある」

「ここは咲良さんの立場になってみろ。大事な弟が死んだ。悲嘆のさなかだ。それなのに俺が景山ではなく凪子さんの日記を見たいという。さっきも言っただろ。何でおまえ? 何で凪子さん? 何で日記? となる。そういうことだ」

 マシューの言うことはもっともだ。それにシューズボックスにしまった靴もそろそろ履きたい気分だ。小石も砂利も全部取り除くべきだ。

「ちなみにニコもダメだぜ。何でおまえ? に該当するから。だから二人でいこうぜ」

「喪中なのにいいのかな」

「家に行く意図は明確にある。仏壇に手を合わせに行くんだ。親友が死んだんだぞ。それを悼む気持ちは猛烈にある。俺は本心が表にでにくいタイプだ。分からないかもしれないけど、あいつの死はやりきれない」

 マシューが景山真秋のことを親友と言ったところに寂しさを覚えた。

「分かった。じゃあ一緒に行こう。僕もお線香をあげに行くよ」

「年寄りくさい奴だ。それと律義発動の前に言っておこう。香典もお供えも無しだ。仰々しいと話が進めにくい」

「手ぶらだと失礼じゃないのか」

「大丈夫だ。俺がコーラとカレーぬれ煎を買っていく。あいつの好物だ。実はもう今度の土曜に行くと言ってある。ボディガードは仕事でいない。咲良さんだけだ」

「分かったよ。土曜だな」

 マシューは立ちあがって帽子を手にした。

「もう遅い。今日、泊まるか?」

 マシューは一瞬動きを止めた。何気なしに口にした言葉だけど、空白の時間があったことを忘れていた。けれどマシューもその時間を無かったことにして答えた。

「いや、帰る。明日はオーデションだ」

「オーデション?」

「俺はダンサーになることにした」

 マシューはソファの前のテーブルを足でトントンと蹴って空間を作った。そして帽子を被ってから踊り始めた。大きな空間移動はないのに、手足の動きは緩急自在で軌跡を描いている。シャツのドレープが威力を発揮して美しく流れた。見惚れてしまう。それからマシューは片足で一回ターンをして静かに動きを止めた。

「実は明日のオーデション、ストリート系だ。ブレイキンとロック」

 そう言うと、今度は中折れ帽を中折れがなくなるぐらいグッと引き下げて被り直した。それから片手で逆立ちしながらトントンと軽やかに跳ねてみせた。その動きに合わせてシャツのドレープは下方向に垂れて、顔を覆って纏わりついた。マシューは体を元に戻して深刻な表情でシャツを整えた。思っていたのと違うようだ。僕は笑いをこらえた。

「大惨事。ドレープは逆立ちには不向きだ。いやあ、勉強になった。どう? 俺にはダンサーが似合ってるだろ」

「ああ。でもマシューはデザイナーでも黒服でも何でも似合うさ」

「いらないぜ。愛の告白は」

 マシューは後ろ向きで踵を滑らせながら玄関に向かった。今度はムーンウォークだ。ドアを閉める前に、帽子を片手でちょっと浮かせた。今日は最後まで芝居がかっている。

「預けたぞ。迷子放送してもらえ」

 その言葉がドアの閉まる音に重なった。

 マシューは僕の好物を知っているだろうか。僕に供えるとしたら何を持って現れるだろう。律義に言いつけを守って二瑚にラインした。マシューの来訪を伝えると、すぐに返信があった。

「検証しながら聞きたい。明日、会って話そう」

 おやすみのスタンプは愛嬌があったが、やはり素っ気ない。だけどいつものことだ。事務連絡みたいでバイト仲間よりも短文だ。二瑚はブレない。

「宜しくお願いします」

 僕も我慢して一言だけを返した。迷子の引き取りは明日に持ち越しだ。その夜は極力何も考えないようにした。案外すんなり眠りについたが、夢をみた。夢でマシューがダンスをしていた。オーデションの会場で一人だけレベチに上手くて得意げだった。目が覚めて夢のことは思い出したけれど、マシューの得意顔がどうしても思い出せなかった。そうすると普段どんな顔で笑っていたのか、すましていたのか、不満そうだったのか、全ての表情が思い出せなくなって戸惑った。僕等は親友だろうか。いや、その前に友達なのか。

 

 次の日、二瑚との待ち合わせは授業の空き時間が合わなくて夕方になった。僕は早く報告がしたくてうずうずしていたが、待ち合わせ場所の洋食屋では待ったがかかった。

「ごめん。ランチ抜きなの。先に何か食べさせて」

 顔を見るなりそう言って、ご丁寧に掌を広げて向けた。もちろん赤丸も赤バツもない。夕飯を食べてから僕の部屋に移動した。僕は待ちきれずに、料理を待っている間とか、部屋へ帰る道すがら少しずつマシューの話をした。二瑚は僕が話している間、聞き役に徹して口を挟まなかった。部屋に辿り着いた頃には粗方話は終わっていて、後は二瑚の見解を聞くばかりだ。

「どう思う?」

 僕の問いかけに答えずに、二瑚はキッチンに向かった。

「先にコーヒーにする」

 昨夜のマシューのセリフだ。二瑚は慣れた手つきでコーヒーを淹れて、お揃いのカップをテーブルに置いた。ソファに並んで座って、コーヒーを一口飲んでから深呼吸をした。「さあ、いくぞ」と言っているみたいだ。

「一番不思議なこと。マシューがどうして秋に近づいたのかってこと」

「だからそれは手紙に何が書いてあるのか知りたかったからだって」

 二瑚は全然納得してない様子だ。そして分析を始めた。

「友達である景山が失踪。その理由として鬼道の盗用を疑う。疑惑を凪子さんに打ちあけると、明らかに反応がおかしい。それで白濱家に興味をもつ。ラベンダーの封筒の内容も気にかかる。秋のアルバイト先を調べて潜入。それが誕生日の十ヶ月前。どう?」

「合ってる」

「そうじゃなくて、マシューはそんな手間をかける必要があるのかな」

「だから、知りたいという熱量さ。それに丁度アルバイトも探していた。一石二鳥の出来上がり」

「その熱量がおかしいの。かなり面倒くさいことだよ。秋に関する一連の謎は景山真秋には関係があるけど、マシューには赤の他人の話だよね。興味本位でそこまでするかな」

「マシューは知りたがり屋だからするかも。それにバイトも兼ねてる」

「でもトラブルもないのにアルバイトは辞めてる。親睦を深めたんだから消える必要がない。せっかく人間関係を構築したんだから、そのままつき合うこともできた筈。実はこれとこれを前から知ってたと告白すればいい。きっと秋は一つ一つ納得して許すでしょ」

「説明が面倒くさくなったとかだ。ほら、そういう奴だろ」

「そういう奴かどうかは知らない」

 二瑚はちょっと意地悪な言い方をした。でもこのままじゃマシューの言い訳を代弁しているみたいになる。

「土曜にしっかりと確かめてくる」

 二瑚は期待していないって顔だ。人差し指をすっと立てて、僕の目の前に突き出した。

「それともう一つ。おかしいと思ったこと。マシューが景山真秋と高校で同じクラスになった。それは本当に偶然だった、って言ったよね。その言葉通り?」

「ああ、マシューがそう言った。それが始まりだって」

「何も始まってない時点でクラスが一緒になったのは偶然だっていうところに違和感がある。本当にまでつけたんでしょ」

「言ってる意味がイマイチ分からないけど」

「例えば、高校入学までにマシューが真秋さんのことを知っていたとする。その後お互いの進路を知らずに、たまたま高校で同じクラスになった。それなら、それは本当に偶然だったと言えるでしょ。それに始まりって何? マシューにとって何が始まったの?」

「友達関係?」

「うーん。上手く言えないけど、引っ掛かる」

 僕は腕を組んで考えた。確かに二瑚に指摘されれば、変な感じはする。

「分かった。それを踏まえた上で土曜に臨む」

 嘘を見極める決意表明はしたけれど、本当のところ自信はない。帰ってきたら、またマシューの援軍になって言い訳一辺倒のような予感はする。二瑚は暫く僕を見つめていたけれど、ソファの距離を縮めて座り直した。それから僕の胸にコツンと頭をぶつけた。

「大丈夫だよ。そんな秋が好きなの」

 僕は思考の最中にどんな顔をしていたのだろう。二瑚が何を読み取ったのかは知らないけれど「そんな秋」を突き詰めないことにした。僕は顎で二瑚を感じながら背中に手を回して、引き寄せた。

 

(つづく)