3
太陽に出会ったのはその二年後のことだった。あのころは自分でもうまくやっていると思っていた。いっぱしの義賊気取りでいたころだ。警察になんか捕まるわけはないと高をくくっていた。
だから、暗闇のなかで、あの言葉を聞いたときは、かなりのショックだった。
「まったく駄目だな」
落ちついた男の声だった。
ぼくは、ぎょっとして、そのほうを向いた。暗がりだったが、そこに人がいることは感じた。彼はずっとそこにいたようだったが、声をかけられてはじめてその存在に気づいたのだった。
「誰だ?」ぼくは訊いた。
ふっ、と鼻で笑うような声がしたあと、
「同業者だよ」とその男はいった。
それから、その姿を現した。深い暗がりから、薄い暗がりに移動しただけだが、男の姿をしっかりと見ることができた。
黒の目出し帽を被っていた。黒い長袖のシャツとパンツ——全身黒ずくめだった。まるで暗闇の一部が人間の形となって抜けだしたかのように見えた。
黒ずくめの男はいった。「もうすぐ警備員がやってくる。お前が警報装置に引っかかったせいでな」
まさか……。
自分が盗みに入る前に、ほかの者が盗みに来ていたなんて思いもしないことだった。
「金庫は諦めろ。いますぐに逃げたほうがいい」
そういうと、男は窓のほうに向かった。カーテンから差しこむ薄明かりで、彼のうしろ姿のシルエットが見えた。スラリとした体躯だった。
「うるせぇ」ぼくはそういったと思う。かなり動揺していたからはっきりとは思いだせないが、男を拒絶したのは確かだ。
まだこの状況を飲みこむことができず、戸惑っていた。
この家は、闇金融をおこなっている男の家だった。ぼくはこの家に隠し金庫があることを突きとめ、盗みに入ることにしたのだった。
いまふたりがいる場所は、一階のリビングだった。このリビングの床に隠し金庫がある。床を剥がしたところで、その男の声が聞こえたのだ。
「勝手にしろ」男は窓を開けると、すっと庭におりた。まったく音がしなかった。この仕事に慣れた男だということはわかった。
ぼくの前には、床に嵌めこまれた、縦五十センチ、横三十センチほどの金庫があった。スティールでコーティングされた気泡コンクリートの金庫だ。気泡コンクリートが使われているのは耐火性を高めるためだ。嵌めこまれているため、そのまま持ちだすことはできない。しかし、持ってきた道具を使えば開けられることはわかっていた。ただし最低でも十五分はかかる。
「くそっ」
あの男がいったことが事実ならば、すぐにでも警備会社の者がやってくるかもしれなかった。金庫を開ける時間はない。
ぼくは、この一ヶ月、この家の主の行動を観察した苦労を思った。赤外線スコープを使って、夜にこのリビングで男が床に何かを入れるところを見たのが三日前のことだ。
ここで失敗すると、男は隠し場所を変えて、用心が増すはずだった。そうなると、今度盗みに入るのはかなり難しくなる。
——だが、仕方ない。
捕まるよりはいい。
ぼくは、金庫を恨めしく一瞥したあと、床板をもとに戻した。そして、さきほど黒ずくめの男が出ていった窓に向かった。
塀を越えて、その家をあとにした。
4
運命の出会いとはこういうことをいうのだろうか。その男との出会いが、ぼくの人生を変えた。ぼくに生きる意味を、目的を、価値を教えてくれたのだ。彼に出会わなかったなら、間違いなく〝ぼく〟という人間は存在できなかっただろう。
いや、存在していたとしても、それは完全な〝ぼく〟ではなかったはずだ。
ぼくがはじめて金庫からものを盗らずに家を出た数日後のことだった。
オープンテラスの喫茶店で、コーヒーを飲んでいたとき、突然目の前の席にひとりの男が座った。ぼくになんの断りもなく、その男は平然と座ったのだった。
見まわすとほかにも席は空いている。平日の午後二時だ。たとえ、席が埋まっていたとしても、すでに男がひとりで座っているテーブルに座るのは不自然な行為だった。
「やあ」と男はいった。
浅黒い顔をした男だった。何歳かはわからなかったが、雰囲気と物腰からすると、ぼくより少し年上のように思えた。髪の毛を茶色に染めて、真ん中でわけている。細いフレームの眼鏡は髪の毛と同じような薄茶色だった。眼鏡のレンズをとおして、細い目が見える。こんな出会い方にもかかわらず、優しそうな目だと思った。
背の高さは百八十センチぐらいだろうか。スラリとした体躯だった。
その瞬間、あの男を思いだした。盗みに入っていたときにいた先客だ。リラックスした声の感じも同じだった。
ぼくは黙って男を見つめた。どうしてぼくがここにいることを知っているのだ、と考えていた。
「あのあと、お前をつけたんだ」男はぼくの心を読んだかのようにいった。
——やはり、あのときの男か……。
「……どうして、そんなことをしたんだ」
男が薄い笑みを浮かべた。
「スカウトするためだよ。前から、お前の存在は知ってたよ。調べたんだ。なかなか手際がいい。少し慎重さが足りない感じがするけどな」
穏やかな口調だった。
男は脚を組んでいたが、上にある足先が小刻みに揺れていた。リラックスしているように見える男には似つかわしくない動作だった。
それを見て少し気分が落ちついた。
昼下がりのオープンテラスで交わすには相応しくない話題だったが、興味を惹かれる自分がいたことも事実だ。
ぼくはこれまで、ひとりで盗みをしていた。悪人とわかった者からしか盗まない。盗んだものの半分は慈善団体に寄付し、もう半分はぼくの収入になった。
少しでも正義をおこなっていることがモチベーションになっていたが、誰にも知られずにするその行為は同時に虚しくもあった。
「スカウトって、何に?」男に尋ねた。
「俺と一緒に組まないかってことだよ。お前とならいいチームになれる」
「ぼくは金儲けのためにしているわけじゃない」
「わかってるよ」男がいい、ぼくはどきりとした。この男が知るはずもないことだった。
そのとき、ウェイトレスがテーブルにやってきた。男がコーヒーを頼むと、ウェイトレスはさがっていった。
「わかってるって、何をだ」ぼくは警戒を緩めずに、男を睨んだ。
「お前のことだよ。お前は悪人からしか盗まない」
男は白地にブルーの線が入ったカップに手を伸ばすと、口元に持っていった。カップを傾けてコーヒーを飲む。そのあいだ、彼の視線は、ずっとぼくに注がれていた。
「……どうしてわかった?」
「蛇の道は蛇、というだろう。お前の存在に気がついたのは、半年前のことだ。俺が狙っていた家にお前が来たんだ。俺は、その家を偵察するために来ていたところでね。そこにお前がやってきたというわけだ」
「どの家だ」
「青い屋根の豪邸だ」男はいった。
ああ、と思った。あの家の主は、詐欺グループのトップでダミー会社としてエステティックサロンを経営している男だった。実際に、その男は、ぼくが盗みに入った一週間後に詐欺容疑で警察に捕まり、実刑を受けることになった。あのときにこの男は、ぼくを見ていたというのか?
「それから何度かお前の仕事を見させてもらった」
ぼくは、そのとき何を考えたか。
気味が悪い、あるいは、恐ろしいと思うべきだったのかもしれない。だが、そうは思わなかった。ぼくは感心していたのだ。
ぼくは自衛隊でも偵察活動の訓練を受けている。それらは、おもに森のなかや戦地においての活動で、街中で尾行に気づくというようなものではない。それでもじゅうぶんに注意を払っていたにもかかわらず、この男はぼくに気づかれずにあとをつけていた。その能力に、驚くと同時に感心したのだった。
「俺たちには共通点が多い」男はいった。「俺の親父もお前の親父と同じで盗みをしていた。つまりこれは、ファミリービジネスなんだよ。俺もこれを金目当てでしているわけじゃない」
ファミリービジネス……。
ぼくの父が盗みをしていたことも知っているというのか。この男はどこまでぼくのことを知っているのだろうか?
それから男は名乗った。
「俺の名前は、吉田太陽だ」
これが、ぼくと太陽との出会いだった。
5
知れば知るほど、太陽は複雑な男だった。知識があり、情熱があり、信念を持っているが、ひどく神経質。
彼の立てる計画はいつも完璧で、盗みをする相手は悪事をした者に限定される。その調査は恐ろしいほどに徹底したものだった。いわば「盗みのパーフェクト・プロデューサー」とでもいえるような男で、どのタイミングでどの家に侵入し、何を狙うべきかを完璧に把握して計画を立てていた。
彼の優秀さも魅力のひとつだが、ぼくは、彼の不安定さにとくに惹かれた。それは、ぼくに内在するどろどろとした、固定されていない心の有様を体現しているように思えたからだ。彼の内部には、完璧さと不安定のふたつの矛盾する性格が奇妙なバランスを保って共存していた。
かつて、それほどくっきりとその分裂を見せてくれた者はいない。
彼がそんな性格を有することになったのは、彼の生い立ちに関係するのかもしれなかった。
彼が、ファミリービジネスといったように、彼の父親も盗みをしていた。が、同時にその父は警察官でもあった。罪を犯す側ととり締まる側が同じ人間のなかにあったのだ。だから、太陽の相反する性格は、遺伝的なものかもしれなかった。彼の父は、昔ぼくの父と組んで盗みをしたことがあるようだった。
太陽は、ずっと盗みを稼業にしていたわけではない。彼は一度はパン職人になっていた。
「昔からパンが好きだったからな。パン屋になることが夢だったんだ」太陽がそう語ったことがある。
実際、太陽はパン職人を養成する学校に通い、卒業したあと、住みこみでパン職人として五年間過ごしていた。その後、二十六歳の若さで東京にパン屋を開業していた。
かなり繁盛したらしいが、父親のかつての仲間に営業妨害され、やめざるを得なくなった。そのときにはすでに彼の父は他界していたが、盗みのチームのリーダーをしていた彼の父は、過去の諍いで仲間に恨みを買っていて、それが息子の太陽にぶつけられたらしい。
そのとき太陽は、自分も父のように裏の道で生きるしかない、と悟ったのだそうだ。そして、その生き方をするなら完璧な盗みのチームをつくろうと考えた。父のように悪人からしかものを盗まない。だが、仲間から裏切られることのないチームだ。それで、ぼくを見つけたというわけだった。
ぼくたちふたりは完璧なチームだった。太陽が計画を立て、ぼくが金庫を破る。ふたりで一緒に侵入することもある。息はぴったりで、ふたりのあいだに入るものは何もなかった。
ぼくは、こんな生活が永遠に続けばいいのに、と思った。そこには、ひとりで盗みをしていたときには得られなかった達成感があった。太陽は、ぼくの持っていないものを持っている。それは、熱い情熱だ。その熱にぼくはすっかり焼かれていた。
ぼくたちのチームに変化が起こったのは、一年が過ぎたころだった。
メンバーが増えたのだ。ぼくには歓迎したくない変化だった。
ぼくは太陽とふたりだけのチームがよかった。実際、ふたりだけのときは、完璧なチームだったと思う。失敗したこともない。
しかし、太陽はそれ以上のことを望んでいた。
ぼくの考える完璧さよりも、さらに上の完璧さだ。そのために、彼は仲間が必要だと考えたのだった。
確かに、侵入できる場所は増えた。メンバーのひとり、島袋瞳は警備会社に勤めていた女で、警備システムに詳しく、どんなに厳重に警備された建物でも穴を見つけることができた。小柄で、オレンジがかった茶色に髪を染めている。
それからもうひとり、トマリ徹はハッキングして防犯プログラムを書き換えることができる。彼の助けを借りれば、監視カメラの向きを変えることさえできた。眼鏡をかけて、坊主頭、痩せ細った身体つきの男だ。
そして、最後に加わったのが、鬼山だった。目の下に隈のある暗い顔の男で、こいつはドライバーだ。昔はF3のレーサーだったらしい。
この男の加入をぼくは問題視した。ぼくたちの仕事に逃走車両が必要になるとは思えなかったからだ。持ち主や警察に追われなければ、鬼山は安全運転して仲間を運ぶだけになる。
「保険のようなものだ」と太陽はいった。
しかし、これまで逃げるような機会は一度もなかった。彼が自分の技術を発揮する機会はほとんど——いや、まったくない可能性だってある。それに、奪った金はメンバーで五等分することになっていたが、安全運転をしただけの鬼山も同じだけもらうことに不満を持つ者がいるかもしれない。
「君も不満に思うのか?」太陽は尋ねた。
「ぼくは思わない。金が目的じゃないからな」
「それなら問題はないだろ。ほかのメンバーは賛成している」
しかし、ぼくはいやな予感がしていた。概して、いやな予感はあたるものだ。
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