番組を見た主婦の証言が載る。
《ヘリコプターで青木ヶ原の上空を飛んだあとで、“ここから六遺体は発見できる。それも最初のものは一時間以内に見つかる。それは死後十日以内の若い女性の腐乱死体で、足を座るような形に折り曲げている。”と予言したというのよね。午前十一時に捜索を開始したんですが、三、四十分したら、ホントに予言どおりの遺体が出て来た。これはホンモノかな、と思ったんですよ》
《ワトソンさんの予言をもとにスタッフが捜索をして、その結果を次回でお知らせしますというんでしょ。もう楽しみに待っていたのよ》
「前編」が盛り上がった様子が直に伝わってくる。翌週放送された「解決編」(後編)の視聴率は前回よりも5%上がり、19.8%(ビデオリサーチ調べ)に達した。
前編で男女3人ずつの遺体の身元を具体的に予言したワトソン氏だが、身元が判明したと“テレビ局が断定”したのは、都内に住む女性が家出した息子ではないかと名乗り出た一件だけだった(※番組後に息子は大阪で生きていたとわかる)。
後編では“遺体なき殺人事件の遺体探し”も始まり、ワトソン氏が透視した現場から中継され、骨が発掘されるシーンが映し出された。
《前出の主婦も「もし、あの骨や衣類が遺体なき殺人事件の被害者のものだったら大変なビッグニュースですよね。ところが、翌日の新聞を見たって、この件にはひと言も触れていない。いったい、どうなっているのかしら。せめてテレビ朝日のモーニングショーかニュース番組で結果を知らせるべきですよ」と、イライラは募るばかり。》(『週刊新潮』)
このあと、新潮は警察への取材で、骨が獣骨であったことを明かす。さらに「私の店でスープのダシに豚骨を使いますが、その骨を家の裏の畑に捨てておくんで、それを野犬がくわえて、林の中に持って行くんですよ。出てきた骨を一目見た時、自分の店で使った豚骨だとすぐに分かりました」という現場近くの中華料理店の店主のコメントを新潮は載せた。
記事の最後、水スペの松村晴彦プロデューサーは《今、全国で三万人ほどの行方不明者がいるわけですよ。超能力でもやってくれないことには、誰も取り上げてくれないという面がある。七月から九月までは、警視庁の身元不明人捜査キャンペーン強化月間になっており、『水曜スペシャル』という番組はエンターテイメントではありますが、今回の捜査は報道的な側面や人命にかかわる点もあるので、多少の演出はあっても、不純なものではありません》と語った。
この言葉、とても重要な意味をはらんでいる。作り手が番組のコンセプトを公の場で証言しているのだ。我々は資料を探検するうちに歴史的な証言を発見したのかもしれない。
たとえば私が思い出したのは、福田和子である。松山ホステス殺害事件の容疑者・福田和子は逃亡していたが、1997年に時効寸前で逮捕された。約15年に及ぶ逃走劇が終わるきっかけとなったのは特番やワイドショーでの“公開捜査”という名の企画だった。テレビを見た人が「似た女がいる」と警察に通報して劇的な幕切れとなったのだ。テレビの影響力をまざまざと見せつけた一件であった。
福田和子の公開捜査をエンタメにするという手法は『水曜スペシャル』の面影を残している。それにしても水スペの松村晴彦プロデューサーの「多少の演出はあっても、不純なものではありません」という言葉だ。これは苦しい言い訳なのだろうか、それとも自分の役割を理解した人間の言葉なのだろうか。今なら即座に全否定されるに違いない論理である。「多少の演出」と言った時点で「はい、ヤラセ」と断罪され、集中砲火を浴びるだろう。
プロデューサーの「番組はエンターテイメント」という言葉も注目したい。私はエンターテイメントという言葉ほど誤解を受けてきた言葉はないと思う。エンタメは確かに見てる側は楽しくのん気な気分で見れるが、楽しさを提供するためには真剣に取り組まなければいけない。
一方、視聴者を楽しませようという意図であっても、いかなる状況でも過剰な演出がゆるされないのは情報系や報道番組であろう。
この報道番組という場でとんでもない事件が起きた。日本のテレビ史を変える衝撃が起きた。それが1985年である。『水曜スペシャル』に対する世間の風向きが変わったのは1984年と推察した私だが、1985年に起きた事件により水スペは一気に暴風雨に見舞われたのである。
“1985年”という年は大きな出来事が多すぎた。テレビでニュース速報のテロップが出るとドキッとする人は多いだろうが、私の場合は1985年(昭和60年)の夏がきっかけだった。520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故である。あれから40年近く経つが、いまだにあの衝撃は覚えている。
85年はほかにも大きなニュースがたくさんあった。田中角栄が脳梗塞で倒れ、ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任。NTT民営化がスタートし、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発で勢いにのった阪神タイガースが21年ぶりのセ・リーグ優勝。豊田商事会長がマスコミの前で刺殺され、グリコ・森永事件で犯行グループから“終結宣言”が送付。プラザ合意でバブルの幕が開いた。
そしてなんといってもロス疑惑の三浦和義逮捕である。日本のマスコミ史に残る大騒動だった。あの“報道”とは一体何だったのか?
まるで何かの磁場が狂ったような年。こんな年に中学3年生だった私には1985年は刺激が強すぎた。
この年はロス疑惑の報道以外にもテレビ業界内としても大きな変革があった。『ニュースステーション』や『夕やけニャンニャン』など、今も語り継がれる番組が開始していた。その一方で『8時だョ!全員集合』が16年間の歴史に幕を閉じた。テレビっ子としてはウキウキと寂しさが混在した。
実はこの年、もうひとつの著名な番組が終了している。長寿番組が終わるときは惜しまれつつ最終回というムードになるが、この番組はそうではなかった。世の中が見つめるピリピリとした空気のなかで、強制終了とでも呼ぶべき終わり方であった。
それがテレビ朝日『アフタヌーンショー』である。この番組で“ヤラセリンチ事件”が起きたのだ。
『アフタヌーンショー』は、テレビ朝日系列で1965年4月から放送されていた人気番組だ。平日午後の枠でワイドショーを成功させた先駆者である。この番組がどれだけ定番だったかといえば、司会の川崎敬三とレポーターの山本耕一のやり取りを漫才コンビのザ・ぼんちがネタにして大人気となったほどだった。「そ~なんですよ川崎さん」「A地点からB地点まで」などのフレーズは80年代早々の漫才ブームもあって知らぬものはいなかった。
その『アフタヌーンショー』でヤラセ事件が“発覚”したのである。それは1985年8月20日に放送した「激写! 中学女番長!! セックスリンチ全告白」という企画だった。時代の断面を写すはずのレポートが、あろうことかヤラセだったという大スキャンダル。
この年8月3日の夜、福生市の多摩川河川敷で“つっぱりグループ”の65人がバーベキューパーティを開いていて、その様子を番組が密着していた。するとグループのリーダー的存在の男が「女子中学生5人にヤキを入れろ」と命令。殴る蹴るのリンチの場面がカメラの前で展開された。しかし、このあと暴力教唆で逮捕されたリーダーの男が「テレビ朝日のディレクターに頼まれてリンチをした」と自供し、前代未聞の“演出”が発覚したのである。
すぐに大問題となり、発覚後の10月に番組は打ち切られた。私が“ヤラセ”という言葉を知ることになったのはこの事件がきっかけだった。当然マスコミは大騒ぎとなった。当時の記事を紹介する。
「テレビ朝日ディレクターに逮捕状! 緊急レポート ここまできたテレビ局“ヤラセ”の実態!」(『週刊平凡』1985年11月1日号)
《事件は発覚後、日増しにテレビ朝日を激しく揺さぶり続けている。スポンサーの花王は短期間ながら番組から降りることを発表した。だが、こんな余波は序の口、局内では「こうなったら番組そのものを打ち切るしか方法がないでしょう」という意見が支配的だとさえいわれる》
記事には各界著名人のコメントが載る。
《お笑い番組でおなじみの人気放送作家・高田文夫さんは「お笑いにもならない」とこう吐き捨てた。「ぼくはツクリが好きだからお笑い番組をやっているわけでね、報道でこれと同じことがあったら許せないよ。報道番組でヤラセなんて……。視聴者が期待しているから、なんていうのはテレビ局のおごりでしかない。そんな考え方自体に局側の問題がある」》
さらにフリーのテレビスタッフ氏のコメントを元に「ヤラセにも2種類ある」と記事は書く。曰く、事実のちょっとしたショーアップと、完全なでっちあげだと。
「まったくのゼロから勝手に作り上げちゃうのはつらいし、作っているわれわれもイヤになってくるんです。ヤラセが増えるのは番組の外注化にも原因があるでしょうね。局が制作会社にかけるプレッシャーは相当なものです。フリーのディレクターたちが刺激的な画面を作っちゃうのはしかたないのかもしれません」
そしてこのテレビマンは最後にこう語る。
「われわれフリーのテレビマンの間では『水曜スペシャル』だけはやりたくないっていう声が圧倒的なんですよ」
ここで『水曜スペシャル・川口浩探検隊』の名前が! え、もらい事故? いや、そもそもこの記事のリード部分はこう書いてある。
《“ヤラセ”の元祖『水曜スペシャル』を生んだテレビ朝日も、今度ばかりは絶体絶命!? 他局のテレビマンにとっても耳の痛い今回の騒動。それにしても、テレビ番組にはどうして“ヤラセ”が横行してしまうのか?》
さらに記事中のキャプションには「元祖ヤラセ番組『水スペ』スタッフもさぞ複雑な胸中」というのもある。
当時の資料を振り返るとそれまでは“ネタ”として許容されてきたように思える水スペが『アフタヌーンショー』事件のおかげでヤラセとして断罪されている。笑えない空気に包まれ始めた。『水曜スペシャル・川口浩探検隊』史上最大の危機が訪れたのだ。
そのあと「川口浩探検隊」は同年の1985年11月13日に「ガラパゴス炎上! 珍獣を絶滅から救え!! 地上最後のゾウガメ大捜索!」と11月20日に「珍獣王国ガラパゴス炎上! 火災現場大捜査!」を放送。探検モノは事実上の最終回となった。そして、翌1986年3月に『水曜スペシャル』は終了している。
『アフタヌーンショー』のヤラセ事件は、川口浩探検隊の終了に、なんらかの影響を与えたのだろうか。
この続きは、書籍にてお楽しみください