まえがき

 

 子どもの頃、大人になったら絶対になりたくない職業がひとつだけあった。テレビ朝日の局員である。

 これだけは揺るがない決意だった。いったいなぜか。『水曜スペシャル』が好きすぎたからだ。なかでも「川口浩探検シリーズ」に夢中だったからである。

『水曜スペシャル』とは1976(昭和51)年から水曜夜7時30分に放送された90分枠のテレビ番組である。1986年まで続いた。放送内容はバラエティもあればスポーツもありドキュメントもある。週ごとに内容が替わるまさにスペシャル枠。定番のシリーズも生まれた。抜群の人気を集めたのが俳優の川口浩を隊長として探検を繰り広げる「川口浩探検シリーズ」である。

 未開の地や伝説の生物を捜索する川口浩探検隊。世界中の秘境を踏破し、巨大怪鳥ギャロン、幻の魔獣バラナーゴ、石器裸族タオパントゥなどを捜索した。

 まずオープニングからたまらない。「戦慄!毒蛇の猛襲!」など赤い毒々しいテロップが画面いっぱいに映し出され、「怪獣か!怪蛇か!」と迫る。そこへ田中信夫の名ナレーションが響き渡り、BGMとしてアメリカのテレビドラマ『特別狙撃隊S.W.A.T.』の「反逆のテーマ」などが流される。これだけで子どもは興奮して画面に釘付けになってしまう。そしてクライマックス。多くの回で、遂に未知の怪物を見つけるのか!? という混沌のとき「だが非情にも我々にゆるされた時間が終わるときが来たのだ」と田中信夫がゆっくりと語り始めるのだ。と同時に映画『ロッキー』のクライマックスでもおなじみ「Going The Distance」が格調高く聞こえてくる。いつしか画面はボートに乗って夕陽に映える川口浩隊長の横顔のアップになる。この感動的なエンディングに「次も頼むぞ……」と小学生の私は思っていたのである。

 

 私は地方(長野)で育ったのでテレビ局の関係で「川口浩探検シリーズ」(以下・通称の「川口浩探検隊」とする)を見始めたのは80年代になってからだった。番組の存在を知ってからは毎回熱心にテレビの前に座っていた。

 放送がある水曜日はすぐに宿題を済ませた。「勉強はどうしたの?」と親に言われないための措置である。アントニオ猪木が登場する『ワールドプロレスリング』が放送される金曜も同じ。私は水曜日と金曜日は早めに宿題を済ませる小学生となった。

 あるときから、「川口浩探検隊」が始まるとラジオカセットを抱えてテレビのスピーカーに押し付けた。同年代の方はおわかりだろう。当時の我が家にはまだビデオデッキが導入されていなかったのでカセットテープにそのまま録音していたのだ。あとで番組を音だけで楽しむために。

 そうして録音したテープを私は何度も何度も聴き返した。その録音方法だとテレビ音だけでなく生活音も入る。番組のクライマックス、「何だあれは!」という川口隊長の声に効果音が重なる。遂に未知の生物が姿を見せるか? という緊迫したその瞬間、「早くお風呂に入りなさい」という母親の声が飛び込んでくる。台所からの声もしっかり録音されていたのであった。日常と非日常が混在する状況。それでも私はドキドキしていた。

 その一方で、探検隊の隊員の大変さにも胸が締め付けられる思いだった。一体何が嬉しくてこんな過酷なことをしているのか。仕事とはいえ毒ヘビや毒グモが次々に襲いかかるジャングルに派遣されるテレビマン。本当に気の毒で、私は探検隊に夢中になればなるほど「絶対にテレビ朝日には入らない」と心に決めた。当時は制作会社の存在を知らなかったので、テレビ朝日限定にしてしまっていた。

 そんな探検シリーズで、今でも印象深い回は2本ある。82年(昭和57)5月12日放送「恐怖! 双頭の巨大怪蛇ゴーグ! 南部タイ秘境に蛇島カウングの魔神は実在した!!」と、同年6月9日放送「謎の原始猿人バーゴンは実在した! パラワン島奥地絶壁洞穴に黒い野人を追え!」である。

「ゴーグ」は小学校の修学旅行の前夜に放映された。明日、自分は東京に行くが、川口隊長は“ヘビ島”に行っている。修学旅行前夜の高揚する気分が相乗効果となり、いつもより探検隊に目が釘付けになった。島にはヘビ、洞窟にもヘビ、謎の寺院の地下に潜入するとそこにもヘビ! 世界にはこんなところがあるのか。自分は特急「あさま」に乗ってワイワイと楽しくしているだけで東京に着くが、川口隊長らは足を一歩進めるたびにヘビと遭遇している。ああ、こちら側でよかった。私の修学旅行はすでに始まっていたのだ。

 そんな思いでいると放送終了間際、遂に洞窟の上方から、“2つの頭を持つ伝説の大蛇”のゴーグの唸り声らしきものが響き渡る。カメラはその姿をほんの一瞬だけ映し出す。少しの緊迫感のあと、田中信夫の格調高いナレーションが流れ出して番組は終わった。

 翌日、修学旅行の集合場所の駅はゴーグの話題で持ち切りだった。「お前は見たか?」「あの2つの頭はどうなっているんだ。ただ2匹いるだけじゃないのか?」。興奮して語り合い、真偽について各自の見立てを述べる。極上の瞬間である。私は特急の中でゴーグの唸り声の物真似を披露して喝采を浴びた。良い気分だった。

 その約1カ月後に放映された「謎の原始猿人バーゴンは実在した!」はさらにすごかった。本当に原始猿人なんているのか? 私の疑念をよそにパラワン島奥地を行く川口浩探検隊はバーゴンの姿を徐々にとらえはじめるのだ。川でワニと格闘するバーゴン、ターザンのように縦横無尽に木々を飛び回るバーゴン、滝のてっぺんからダイビングするバーゴン。衝撃映像の数々。

 そして遂には、洞穴の奥に潜むバーゴンと対面してしまうのである(!)。槍を持って「ウッ、ウッ」と探検隊を威嚇するバーゴン。そして隊員たちに捕獲され、抱えられてヘリコプターに乗せられるバーゴン。心底テレビの前で驚いた。川口探検隊は原始猿人を本当に“見つけた”のだ。 

 私は翌日の朝刊が待ち遠しかった。いつもはテレビ欄しか見ないが起きてすぐ社会面を真っ先に開いた。もちろん「川口隊長、歴史的発見。原始猿人捕獲」の見出しを確認するためだ。しかしその歴史的ニュースはなぜか載っていなかった。もしかして地方紙だからだろうか? 情報が遅いのか?

 念のために図書館で全国紙も調べた。小学校の廊下の掲示板に掲載される大手新聞社の写真ニュースも、貼り変えられるたびにしばらく目を凝らしたが、どこも報じていない。いったいなぜだろう。こんな不思議な気持ちになるのは、プロレスのアントニオ猪木の試合結果をなぜ新聞のスポーツ面は報じないのかという疑問以来だった。

 そして少年は次第に気づく。自分が夢中でみているものが多くの“大人”にはあまり本気で相手にされていないことを。いや、大人だけではない。あれだけ熱く語り合った同級生たちも次第に冷笑を浮かべるようになった。私は戸惑い始め、自分から川口浩探検隊やプロレスの話はしなくなっていた。こっそりひとりでたしなむジャンルとなったのだ。

 

 テレビ好きな私は大人になっても常々考えた。川口浩探検隊が残した功績は大きいのではないか? 夢中で見た人にテレビの魅力を伝えたのはもちろんのこと、番組の“隊員たち”にとっても、テレビマン人生において大きな意味を持つ番組だったのではないか? 特に、画面に映っていた若い隊員たちは今もテレビ業界にいるかもしれない。それなら「川口浩探検隊」という番組作りは、その後の彼らにどんな影響を与えたのか。あの探検はどんな意味があったのか。

 テレビとは何か。エンタメとは何か。ドキュメントとは何か。もっと言おう、私たちが普通に口にするようになった“ヤラセ”とは何か? あの番組から、テレビそのものについて学べることがあるのではないか。

 決めた。私は今こそ「川口浩探検隊」の探検隊に出発することを宣言する。

 まず最初に記しておきたいことがある。私の立ち位置、スタンスである。それは半笑いや面白がりではないということだ。これはキッパリ伝えておきたい。

「川口浩探検隊」はネットがない時代から人々にツッコまれるという芸を確立した。多くの人にネタにされ、語られ、放送後にもうひとつの本番を迎えていた。テレビを視聴しながら家族と話す。そして翌日の学校で友達と語り合う。早すぎたSNS的楽しみがあったのかもしれない。

 だからこそ私は『水曜スペシャル』の「川口浩探検隊」を真剣に考えたいのである。あの番組を語るなら半笑いだけで語ってはいけない。現在の空気に連なるものを築いた番組という見立てで探検することは重要な意義があるはずだ。

 では、あの頃の具体的な空気を知るためにはどうすればよいか。何から探ればよいのか? まずマスコミ報道である。同時代のマスコミが川口浩探検隊をどう伝えたか。水スペをどう語ったか。それを知るのが最初の探検だろう。当時の記事の数々を調べれば時代の空気がわかるはずだ。

 我々はさっそく、大宅壮一文庫へ飛んだ。「川口浩探検隊」の名高いナレーションといえば「我々は未知のジャングルを進んだ」というように“我々”だ。それにならい、本書も“川口浩探検隊の探検隊”だから“我々”と言うことにする。私プチ隊長とクリタ隊員(編集担当者)による探検のスタートだ。

 

『ヤラセと情熱 ―水曜スペシャル川口浩探検隊の「真実」―』は全3回で連日公開予定