第一幕 ~加瀬惣介​~

 

 

 白砂が陽光を照り返している。その中にたたずむ清次郎はなぜか霞のように揺らいで見えた。だが、口を開いた瞬間、清次郎は惣介の中でしっかりとした像を結んだ。

「父上! 私はなにもしておりませぬ」

 清次郎が叫ぶ。

「どうか信じてください。とらえられるようなことは決して、しておりませぬ」

 顔を真っ赤にして訴える。そんな息子に向かって惣介は無意識に踏み出す。

「しかし、お前……」

 うろたえながらも、必死に今の状況を理解しようとする。そのせいで、清次郎の言葉がうまく耳に入ってこない。

「ここにいるのは、なぜだ。お前、いったいなにをした」

「父上……」

 清次郎は驚いたような表情をし、すぐに顔を伏せた。それでも、力を奮い起こすようにして、もう一度叫ぶ。

「どうか、父上。私を信じてください。どうか!」

「なにがあったかを言え!」

「ただ集まっていただけです。私は……」

 言いかける清次郎を、付き添いの役人が制した。

「静かにしろ」

 棒を顔の前に出され、清次郎は言葉を飲み込んだ。それから、聞こえるか聞こえないかの声で、

「父上、どうか……」

 もう一度言う。

「清次郎……」

 惣介はさらに踏み出す。息子が連れていかれるのをただ黙って見ているなどできない。

「待て! 清次郎!」

 駆けだした惣介の腰を男が抱え込んできた。

「加瀬さん、なりませぬ」

 川口だ。父子の思わぬ再会に、しばらく立ち尽くしていた川口だったが、連れて行かれる清次郎を見て自分の役割を思い出したようだった。

「離せ、川口」

「加瀬さん。どうかこらえてください」

「清次郎、おい、清次郎!」

「これ以上、騒ぎを大きくすると、加瀬さんも無事ではすみませぬ」

 川口の必死の説得を聞いて、惣介は全身から力を抜いた。途端に膝をつきそうになる。惣介は立っているのもやっとの中、屋敷の裏へ連れていかれる息子を見送った。

(あんなに大きい背中をしていたのか)

 なぜか惣介はそんなことを考えた。息子には正月に会ったきりだ。半年以上も前のことである。その時は特に意識しなかったが、今見てみると、清次郎は立派な若者に育っていた。それは、清次郎がなにかしでかした得体のしれない人物に思えたせいかもしれない。あの幼かった息子はもういなくなってしまったのだ、と惣介は思った。

「すまなかったな、川口」

 清次郎が屋敷に連れて行かれると、惣介はすっと背中を伸ばした。

「いえ。こちらこそすみませぬ」

 川口が手を放す。

「俺がバカだった。予期せぬ事態に取り乱した」

「心中、お察しします」

 惣介は引き返し始める駕籠かき、それらに指示を与える牢役人に目を転じた。

「なにがあったか、調べられぬか、川口?」

 川口がぐっとうつむく。

「できる限りのことはします。しかし、私は門番ですので……」

「ひとつ聞きたいことがある。よいな?」

「私に答えられることなら……」

「先ほど、清次郎たちは突然、城下から送られてきたと言ったな。そのような場合、指示を出すのは誰だ?」

「大目付の加賀かがやまさまです」

「大目付か。ある意味好都合だ。あいつがいる」

森山もりやまさんですか?」

 川口がうかがうように聞いてくる。惣介はうなずき返すと、早口に言った。

「大目付配下のあいつなら、詳しいことを知っているかもしれぬ。俺は今から城下に参る」

「日が暮れますよ」

「だからこそ、悠長にはしておれぬのだ」

 惣介は川口の両肩に手を置き、目を覗き込んだ。

「ところで川口。二、三日……。いや、ひょっとするともう少し長くなるかもしれぬが、しばらく勤めを休ませてもらう。そう湊奉行に伝えてはくれぬか」

「私がですか?」

「お前以外に頼めるやつはおらぬ。俺は、湊組では嫌われておる」

「いえ、そんなことは……」

「お前のような後輩を持って助かるぞ。頼りがいのある男に成長したな、川口」

 惣介は川口の肩を叩くと、煮え切らない表情を浮かべる後輩に、では頼む、と言い残して駆けだした。門を抜け、城下に向かってひた走る。

 海からの風に押されながら駆ける惣介は、疑念と焦燥で胸の中がいっぱいになっていることに気づいた。清次郎が五人の男と一緒にとらえられたのだ。それだけで、今回の事態がただならぬことだとわかる。六人が絡むなど、よほど重大な事件に違いない。

(もし、清次郎が罪を犯していたとすれば……)

 突然、全身に悪寒が走った。それでも惣介は頭をふって、走ることに意識を集中させる。

(とにかく……)

 今は、一刻も早く城下に向かうことだ。なにが起こったかを知らなければ対処のしようがない。息を喘がせて走る惣介からは、すっかり酒の酔いが抜けていた。

 

 

 惣介は、大目付の詰所に向かう前に自宅へ戻った。これだけのことが起こっているのだ。妻の美津みつがなにか知っているに違いない、そう思った。

 表口から入った惣介は、足を拭くこともせず式台に上がり、そのまま廊下を進んだ。

「美津! 美津!」

 妻を呼びながら、部屋の襖をあけていく。

「旦那さま、いかがされました?」

 奥から女中のきぬが駆けつけてきた。加瀬家の禄高は百五十石で、家には通い女中のきぬと、住み込み下男であるきゆう兵衛べえが勤めている。きぬは息子が二人いる中年女で、その二人の息子は下駄屋と油屋にそれぞれ奉公に出ていたが、病弱の母が家に残っていた。一方の九兵衛は独り身で、先代のころから加瀬家に仕えてきた老人である。きぬは、友浦にいるはずの惣介が急にあらわれたのでびっくりしたらしく、小さな目をぱちくりさせている。

「きぬ、美津はどこだ」

 惣介が廊下を進みながら言う。

「奥さまはお部屋におられると思いますが……」

 主人のただならぬ様子に、きぬはおじけづきながら妻の居場所を告げた。

「自室か。おい、美津」

 惣介が妻の居室に向かうと、

「こちらですよ」

 背中側から声がして惣介は立ち止まった。襖から顔を出した妻と出くわす。

「どうしたのですか、いきなり」

 美津が非難めいた口調で言う。聞いた惣介は、

(知らぬのか?)

 そのことを悟る。

「話がある」

 咳払いをした惣介は美津の横をすり抜けて仏間に向かった。

「あ、その……」

 美津が体をずらして惣介の行く手を阻もうとする。

「どけ」

 惣介は美津を押しのけ、中に入った。

 部屋の隅に、文机が置いてある。机の上には古びた書物とすずり、筆といった筆記具が置かれていた。どうやら美津はここで書き物をしていたようである。

(俺の呼ぶ声が聞こえたはずなのに)

 切羽詰まった声だとすぐに気づいたはずだ。それでもなかなか出てこなかったのは、自分の書き物を続けたかったからだろう。文机が隅に寄せてあるのは、惣介が応対に出たきぬを無視して奥まで進んだことに気づいたためか。いずれここも覗かれると思って襖から見えづらい位置に寄せたのだ。

 その態度が気に食わなかった。自分は駆け通しに駆け、城下に入るなり家に来たのに、当の美津は出迎えすらせず自分の趣味にふけっていたのだ。惣介は美津をにらみつけた。久しぶりの再会は、数年前からそうであるようにひややかなものとなった。

 それでも惣介は襖を閉めて二人っきりになると、さとすような声で言った。

「よいか、よく聞くのだぞ」

「だから、どうしたというのです」

 美津が棘のある声で応ずる。もはや開き直っているようだ。惣介は鼻に皺を寄せかけたが、それをおさえて美津の肩をつかんだ。

「清次郎がとらえられた」

「え?」

 美津が口を手で覆う。

「友浦牢に入れられた。つい先ほどのことだ」

「え、ちょっと……。それは、どういうことにございますか?」

「なにも聞いておらぬのか」

「清次郎は今日、学塾に行ったあと道場に寄って帰る、と言って……」

「そこでつかまったのだな。なにか重大な罪を犯したようだ。六人一緒にとらえられた」

「六人?」

「よほどのことをしでかしたに違いない」

 手の中から美津がするすると抜け落ちた。膝をつき、茫然と仏間の方に視線をさまよわせる。

「そんな、清次郎がどうして……」

「俺が聞きたい。最近の清次郎に変わった様子はなかったか」

「変わったところなど、特に……」

「妙な連中とつき合ったりは?」

「そんなことはございませぬ。行き来するのはもっぱら道場でご一緒のしばさまくらいで……。これといって気になるような方とつき合っていたようには思えませぬ」

「隠れて交友していたのだな。清次郎は十八だぞ。その年代の男であれば、よくあることだ。気づかなかったのか?」

「えぇ……」

 惣介は溜息を洩らした。

「いずれにしろ……。覚悟だけはしておかなければならぬ。そのことはわかっておけ」

「覚悟と申しますと?」

 美津がおびえるような目を向ける。

「覚悟は覚悟だ。最悪、俺たちも、責めを負わされるかもしれぬぞ」

「まさか!」

 家族まで罪に問われるとなると、よほどのことだ。当の清次郎は切腹、あるいは打ち首に処されるのは当然だろう。惣介としては、

(だが、武家として取り乱したりせず、気丈に振舞わねばならぬぞ)

 そう美津に言うつもりだった。そのあとに、

(清次郎のことは俺に任せろ。できる限りのことはする)

 と付け加えようと考えていたのだが、美津は惣介の話を聞くどころではなくなっていたようである。

 顔面から色がなくなり、白目をむいて倒れてしまったのだ。

「美津! おい、美津!」

 慌てて抱き上げ、肩を揺する。だが、妻はふるふると震えるばかりで、うつろな目に生気が宿る気配はない。

「きぬ! きぬはおらぬか!」

 中年の女中が音を立てて襖をあけた。中の様子を見て、あっ、と飛び込んでくる。

「奥さま! 大丈夫ですか、奥さま!」

 きぬが呼びかける。すると、開いた襖から若い娘も入ってきて、美津の前でひざまずいた。

「お母さま! なにがあったのですか」

 娘のゆきである。十六歳の雪乃は、しばらく見ない間に、一段と娘っぽさが増したようだった。そのことに一瞬驚いた惣介だったが、

「お父さま。お母さまは、いったい……」

 と聞かれて、顔をしかめて首を振った。

「清次郎がとらえられた」

「お兄さまが?」

「友浦の牢に入れられておる。そのことを伝えた途端、美津が倒れた……」

 雪乃が口を両手でふさいで母を見下ろす。視線の先の美津は、顔に少しだけ血の気を取り戻したようだった。か細く吐き出される息も落ち着いている。いきなり倒れられたときはさすがにおどろいたが、こうして目を閉じた美津を見ていると、少なくとも医者を呼ぶほどではないことはわかった。

「きぬ。寝床の支度をしてくれ。少し休ませよう」

 女中が立ち上がり、部屋から出て行く。すぐに美津の居室から床を延べる音が聞こえてきた。

「お父さま、お兄さまは?」

 雪乃が恐る恐るといった様子で聞いてくる。声はようやく聞き取れるほどに小さい。

「お前はなにも案ずることはない」

 惣介はできる限りやさしい声で言った。

「ただ、俺はこれから少し出かけねばならぬ。なにが起こったかを調べ、清次郎を救う手立てがないか考える」

「大丈夫でしょうか?」

「なに、心配はいらん。牢に入れられたとはいえ、裁きには、しばらく時を要するはずだ。それまでに打てる手を打っておけば、最悪の事態を避けることはできるかもしれぬ」

「お兄さまは、やはり罪を犯されたのですか?」

 雪乃が真っすぐ見つめてくる。はっとするような強いまなざしに、惣介は、一瞬どきりと身をすくませた。自分の心の裏側まで見すかされた気がした。

(俺は、今、なにを考えていた?)

 息子を助けようとしていたのか。それとも、自分たちに罪が及ばないよう手を尽くそうと考えていたのか。雪乃とは違って、俺は最初から清次郎を罪人だと決めつけていたのではないか。無実ではないか、などとは微塵も考えなかった。

「なに、そのことも含めて聞いてくるさ」

 そう言って惣介は笑い飛ばそうとしたが、頬が引きつって逆にこわばった表情になってしまった。それを娘に見られるのが嫌で、

「さて、と」

 美津を抱きかかえた。数年ぶりに腕にした妻は、想像していたよりもはるかに軽い。そのことが、惣介の気持ちを重たくさせた。

 

 

 大目付の詰所に行き、若い藩士に来意を告げると、しばらく待たされたのち、森山文七ぶんしちが出てきた。

「ここではまずい。外で話そう」

 再会の挨拶もそこそこに、文七はあたりをうかがいながら惣介の背中を押した。やはり、牢に入れられた清次郎のことでなにかあるらしい。惣介はなにも言わず文七に従った。

 城の東側にある町人街で、文七は一軒の甘味屋に入った。座敷を用意させ、周りに人が来ないよう店主に言いつけると、白玉ぜんざいを注文してから腰を下ろした。

「俺は、なにも知らぬぞ」

 開口一番、文七はそう釘を刺した。店の造りは落ち着きがあり、小洒落ていた。二人は久しぶりに会ったにもかかわらず、無言で向き合い続けた。

 やがて、ぜんざいと茶が運ばれてきた。惣介は女中が奥に引っ込むと、茶を一口飲み、姿勢を正して話を切り出した。

「清次郎のことだが……」

「俺はなにも知らぬ」

 すかさず文七が口をはさむ。喉の奥でおさえつけていた言葉が、惣介の声を聞いた途端、あふれ出たといった感じだ。

「そうか、知らぬか。では、このぜんざいを食おう」

 惣介が白玉を口に含むと、文七は疑い深そうに目を細めながらも惣介にならってぜんざいを食べはじめた。あんこの甘さと白玉のうまみが口内に広がり、こういう状況でなければもっとうまいと感じるのだろうか、と惣介は思った。

「そういえば、文七の娘はいくつになったかな?」

 白玉を噛みながら何げない調子で尋ねる。

「うちか? うちは十五だ」

 文七がちらっと上目遣いで言う。

「そんなに大きくなったか。俺の中では、まだ、五歳ぐらいの感覚だがな」

「そうかもしれぬな。他人の子は育つのが早い」

「かわいく育ったのではないか」

「どうかな? 上の子は、顔が俺に似ているからな。そこは、かわいそうなことをしたと思っている」

「長く一緒に過ごすには顔よりも気心だ。お前の娘なら、そこのところは心配あるまい」

「どうかは知らぬが、娘はまあ、優しい子には育ってくれているな。この間もな……」

「清次郎は十八だ」

 惣介は唐突に切り込んだ。娘の話をしようとして、気を緩めていた文七の眉がぴくりと動く。

「いきなりとらえられた。なぜとらえられたのかまったく見当がつかぬ。このままでは、納得いかん」

 惣介に言われ、文七は苦虫をかみつぶしたような顔をした。だが、親としての気持ちをわかってくれたようで、しばらくすると、ため息を洩らしながら首を振った。

「友が困っているのに、知らぬ存ぜぬはよくないな」

 文七は茶を一口含み、ぐちゅぐちゅと口の中で鳴らしてから飲み下した。

「加瀬清次郎……。お前の息子がとらえられたのは、藩を転覆させる計画に加担していたからだ」

 

(つづく)