第一幕 ~加瀬惣介​~

 

 当時、福備藩で一揆が発生した。その時も城下北の四村が中心となって、周辺の村々を扇動したのだ。指導的役割を担ったのは田中林蔵である。林蔵は福備城下に迫った群衆を代表し、藩の交渉役と協議を行う機会を得た。協議は三日続けられ、結局、村側の罪は問わぬ、ということで落着した。その一方で藩の方は監督が行き届かなかったという理由で、当時、家老職にあった中沢織なかざわおり、また、それに近い組頭四名、惣介たち農政担当者が数人処分されている。

 惣介は、そのころ、領内西側の村々を担当する郡奉行だった。福備藩の農政は郡代が頂点におり、その下に六名の郡奉行がいて、それぞれ担当する地域が決まっている。一揆が発生したのは北の地域であり、当時の惣介には関係なかったが、どういうわけか説得役を申し付けられ、結局一揆を止められなかったということで奉行職を取り上げられてしまった。あまりに理不尽な役替えだった。執政たちに異を唱えてきた惣介をこれを機に処分しようという、懲罰的な側面が含まれていたことは間違いなさそうだった。

 それでも、処分が言い渡されるまでの間、惣介は一揆に関わった村々を回って、一揆の原因を聞いて回ったのである。出仕してすぐのころに担当したことがある惣介にとっては、よく知った顔がたくさんいる地域だった。

 一揆は不作がつづいた挙句、豪雨による河川氾濫で芦田村の三分の一がつぶれたことが原因だった。一揆の会合は田中林蔵の屋敷で行われ、そこにはさして重い役職ではない五人組頭まで参加していたのである。全員でことを起こそうとしていたあたり、百姓たちは決死の覚悟で臨んだようだった。

 それなのに今回は……。

「いや」

 惣介はしばらく考えたあと、冷静に否定した。

「一揆を起こす理由が見当たらぬ」

「そこなのです。私も、なぜ今なのか不思議でなりませぬ」

 弥一が首をかしげて言う。惣介は湊組に移ってからも定期的に村の状況を耳に入れていた。それによると一揆のあとの二年は、今までが嘘のように豊作に恵まれる。蓄えができるほどではないが、それでも村の民はいくらか息をつけたはずである。そして、今年も、稲の収穫はそれほど悪くないはずだ。梅雨時にはたっぷりと雨が降り、夏場は地面をうがつような雨が二、三日降ったが、それ以外はおおむね晴れた。秋は秋で、大風の被害をこうむることなく、稲刈りを迎えている。惣介の経験上、今年は、例年並みか、むしろ豊作になってもいいぐらいの年だった。そんなときに、どうして一揆が発生しようとしているのか、惣介にはまったく理解できない。

「よくわからぬな。芦田村の作造さくぞうあたりに聞けば、なにかつかめるかもしれぬが」

 惣介は盃を手に取ったが、口をつける前に飯台に戻した。顎をつまみ、郷方回りをしていたころ仲良くしていた芦田村の庄屋を思い浮かべる。人のいい作造は惣介が頼めば、すべてではないにしろ、いくらか理由を聞かせてくれるに違いなかった。二年前に一揆の原因を探り歩いたときも、作造は百姓しか知らない話を惣介に聞かせてくれた。

「私も作造に当たってみました」

 弥一がうつむいて言う。

「ですが、はぐらかされるばかりで……。肝心なところは一向に話してくれませぬ」

「弥一にも話さないとなると、これはいよいよ怪しいな」

「あるいは、私の思い過ごしで、本当になにもないのかもしれませぬ」

「そうだなぁ……」

 惣介は弥一に酒を注ぎ、天井をにらんだ。たちまち胸の内側でどす黒い感情がうごめくのを感じる。それは、二年前のことを思い出したからかもしれなかった。

(あいつが英雄になった、あの一揆)

 脳裏にある男の顔が浮かぶ。普請組四十石の小身から中老にまで立身したかつての友。

 市原新いちはらしんじよう

 二年前の事件でこの新之丞の名は藩内にとどろいた。城下まで迫った一揆勢を説得して村に帰したのが市原新之丞だったのだ。そして新之丞はその功績を認められて郡代に昇進した。

 惣介は奥歯を噛みしめた。かつて大喧嘩をし、袂を分かつことになった男の栄達を憎々しく思う。惣介の頭が熱くなっていく。

「加瀬さん、今回の件、作造に聞いてみてはくれませぬか? 夜な夜な集まってなにを企んでいるのか、私はつかまなければなりませぬ」

 弥一に言われて、惣介ははっと我に返る。

「いや、俺はすでに外された身。湊組の俺が首を突っ込む事案ではないし、作造も話してはくれぬと思うぞ」

「そんなことはございません。加瀬さんは、今も百姓から慕われています」

 弥一が気色ばむ。

「私には話してくれませぬ。どうしても壁を作られます。ですが加瀬さんは違う。昔から友のように接することができていました。それができる加瀬さんに、私は憧れておりました」

 肩に力を込める弥一を見て、惣介は弥一の苦しい境遇を垣間見た気がした。惣介がいなくなってからというもの、惣介にべったりだった弥一は、居場所をなくしているようである。惣介派ということで同僚から疎まれ、百姓からも全幅の信頼を得ることができず、自分がどのような立場にいればいいか見失っているのだ。

「百姓たちにとって弥一は希望だぞ。お前がいるから、宮下源九郎が郡奉行でも、なんとか耐えることができるのだ」

 惣介は弥一を励ましてから、盃の底に残った酒を見つめた。少し考え、急に声の調子を変えて弥一に話しかける。

「いや、確かにそうだな。よくよく考えれば、湊組の俺が行ったほうがよいのかもしれぬ。ちょっと聞いてみるが、といった具合で話を切り出せるかもしれぬ」

 惣介は盃の酒を干して明るい声で言った。

「よし、俺が聞こう」

「よろしいのですか?」

 弥一が表情を輝かせる。

「しかし、一揆か」

 礼を述べようとする弥一をおさえて、惣介は眉間を揉んだ。

「よく考えてみれば、少し大げさな気もしないではないな。一揆を起こすとなると、それはなかなかのことだぞ。やはり弥一が心配し過ぎのような気がするな」

 惣介は盃に酒をつぎながら言った。

 百姓にとって一揆とは命を引き換えにした賭けだ。死を賭してもなお訴えなければならないなにかのために暴動を起こすのである。夜な夜な集まっているからといって、簡単に一揆に結び付けられるものでもない。百姓の思いをよく知り、なにに苦しんでいるかを理解したうえで判断を下すべきだ。

「私の思い過ごしなのであれば、それに越したことはございませぬ。ただ、なんとなく気になってしまいましたので」

 目を伏せる弥一を見て、惣介は親心のような思いを抱いた。声を優しくして言う。

「気になるのは現場の変化を敏感に感じ取ることができるからだし、弥一が百姓のことをよく気にかけている証拠だろう、と俺は思うぞ。やはり弥一はよい郷方役人だ」

「いえ、私などまだまだ……」

「次の非番の際に芦田村に向かおう。確か、三日後だったはずだ。それまでに弥一も、作造たちにほかに動きがないか、少し探っておいてくれ」

 その後、惣介と弥一は、村の近況を話しながら飲んだ。もっとも盛り上がったのは、作造の息子に三人目の子どもが生まれたという話だ。初めての娘だという。その娘を溺愛する作造の息子は、庄屋を継ぐために今、懸命になって働いているらしい。惣介は、懐かしさにひたりながら弥一の話を聞いた。聞くうち、村に吹く風を浴びているような気分になった。やはり自分がいるべき場所は郷村なのだな、と改めて気づかされたが、その一方で、そこに自分がいないことに寂しさも募らせたのだった。

 

 

 奥弥一と別れた惣介は、おぼつかない足取りで湊町を歩いた。

 結局、かなりの量を飲んでしまった。

 不遇を強いられる毎日の中、いつからか酒の量も増えている。湊組に来るまでは付き合い程度に飲むだけだったが、今は一度飲みだすと止まらない。弥一との会話も楽しかった。自分をいまだに頼りに思ってくれていることがうれしく、酒は進んだ。

「せっかくだからもう少し飲もう」

 惣介は小料理屋を出たあと、そう誘ったが、弥一は、これから城下まで戻らなければならないので帰る、と言った。友浦湊から福備城下はそれほど離れていなかったが、それでも歩けば一刻半(約三時間)はかかる。酒が入れば、その足はさらに重くなるだろう。日が明るいうちに切り上げようという弥一の判断は正しかった。

 ひとり残された惣介は、どこかで飲んでから帰ろう、とあたりを見渡しながら歩いている。どうせ家に帰っても一人なのだ。家族は城下の屋敷に残し、惣介は単身で友浦にきている。暗く狭い組屋敷にいてもすることがなく、惣介は、外で夕飯を済ましてそのまま意識を失ったように寝てしまおうと考えた。

 そうして進んでいるうち、奇妙な一行と出くわした。

 駕籠である。

 六つ連なっている。駕籠の周りには武士がなにかを警戒するように張り付きながら駆けていた。

なみ殿てんに向かうのか?)

 惣介は酔いの回った頭でそんなことを考えた。波御殿は、現藩主多部たべびつちゆうの守政通かみまさみちの叔父、つまり先代藩主の弟である多部玄庵げんあんが暮らしている屋敷である。すでに六十を超える玄庵は、年に二、三回城に来て執政たちと面会したり、城下にふらりと顔を出して民と触れ合ったりする程度で、それ以外はほとんど波御殿にこもりっきりだという。そのため、家中藩士からは、高貴なお方が波御殿におられるのだ、という程度の認識しかない。当然、惣介も顔を見たことがなかった。

 ただ、そうはいっても藩主一門である。瀬戸内ののどかな海を見渡せる友浦の、もっとも眺めがよい丘の上に豪勢な館を構えている。玄庵が起居するこの館は執政たちが宴を開く場、他藩の重役との会合の場としても用いられ、当然、会合が終わった後は宴が催される。そこは、さすがは一門衆。友浦でも格が高い料理茶屋の芸妓が根こそぎ駆り出され、朝までどんちゃん騒ぎが続くという。権力者らしい遊びが繰り広げられるのだ。

 惣介は、駕籠に乗っているのはそうした要人たちだろう、と考えた。これから波御殿で行われる会合に向かっているのだ。

(だが、妙だな)

 惣介はふと眉を寄せる。

 要人が、どこかで待ち合わせでもしたように、六人も連なって移動するということがあるだろうか。それぞれが波御殿に向かい、控えの間で落ち合うという方がふさわしい。

 また、使っている駕籠も妙だった。辻駕籠のように粗末なのである。一応中が見えないよう、すだれがかけられているが、それさえ日に焼けて色褪せている。波御殿に向かうような者がこのような駕籠を使う理由がわからなかった。

 惣介は、後をつけることにした。酔いが気持ちを大胆にもしている。

 駕籠は町を少しだけ駆け、すぐに外れて街道に出た。海岸へと続く道である。街道に出てからは、駕籠かきは町の中とは違って足を速めて進むようになった。

 海岸に差し掛かったところで先頭の駕籠が右に曲がった。後続の五つの駕籠も、護衛役らしき武士と共に右へ続いていく。

(なるほどな)

 まぶしいほどに青い海を背景に迷いない足取りで駆ける六つの駕籠を惣介はじっと見据えた。

(囚人か)

 海岸沿いを西に進むと牢屋敷がある。規模は福備城下にある牢屋敷の倍近くあって、城下の牢屋敷はそれこそ藩士を含めた城下の人間が入り、比較的刑の軽い者が対象とされているが、その一方で、友浦の牢は刑の重い者、城下在住ではない者、特に湊町で問題を起こした他藩の者が収容されることになっていた。他藩出身の罪人をたとえ牢屋敷とはいえ城下に入れることは危険なため、この友浦の地に牢が作られたのだ。

 友浦の牢屋敷には裁きの間も設けられていた。通常なら奉行所で行われる裁きを牢屋敷で行うのは、やはり他藩の罪人を城下に近づけないためだろう。そうした構造から、一度友浦牢に入れられたが最後、外に出ることはかなわない、と噂されていた。

 駕籠を追いかける惣介はふと足を緩めて背後を振り返った。

 小高い丘の上に、広大な邸宅が見える。黒塗りの壁に黒い屋根瓦。塀の上には緑を茂らせた松が覗いている。一目で贅が尽くされていることがわかる豪邸は、離れていても威風堂々としていた。

(海岸に来て右に曲がるか、左に曲がるか……)

 それで行く先がこうも変わるか、と惣介は思う。右に向かえば牢屋敷。左に向かえば波御殿である。地獄と極楽という両極端がこの友浦という狭い場所に存在している、そのことがなにかの暗示のように惣介には思えた。

 しばらくして六つの駕籠は牢屋敷の表門をくぐった。門には、数名の藩士が張り付いている。少し遅れて到着した惣介は、植え込みから役人を確認し、

「お?」

 と一人の藩士に目をとめた。

「おい」

 惣介が何食わぬ顔で近づくと、藩士は、あっ、という顔をして駆け寄ってきた。

「加瀬さんじゃないですか。お久しぶりです」

 三十代半ばの藩士はそう言って表情をほころばせた。

「元気か、川口かわぐち? 今日は、こっちの担当だったか」

「ええ。晩までです」

「そうか。俺は昼までだった」

「お疲れ様でございました」

 川口は惣介の顔を見、すぐに鼻をひくひくさせた。惣介の顔が赤らんでいることに気づいたようだった。川口は苦笑を洩らすと、

「それで? どうして、牢屋敷などに来られたのですか?」

 酒のことには触れずに聞いてきた。

「お前が、今日の担当でよかった」

 川口じんろうは惣介が次席を務めていたころに仁田にた道場に通っていた弟弟子だ。性格はいたって真面目で、当時藩内随一と言われた惣介から剣を学ぼうと、金魚の糞のようにくっついてきた。そんな後輩がかわいくて、惣介は暇を作っては川口に稽古をつけるようにしていたのだが、勘がいい川口はみるみる腕を上げ、惣介が出仕したあと次席まで上ったと聞いている。

 そんな川口は、湊組として波御殿と牢屋敷の門番を勤め始めてからも惣介のことを慕い続けてくれて、惣介が郡奉行から湊組に降格したことを知っても、そのことには触れず昔のように親し気に接してくれている。失態を演じて郡奉行から更迭され、誰からも距離を置かれるようになった惣介にとって、友浦で唯一話せる相手が、この川口だった。

「先ほど、駕籠が入っていっただろ?」

 そう切り出し、惣介は牢屋敷に来た理由を語った。話を聞いた川口は納得顔でうなずき、

「別に城下から囚人が送られてくるなど、珍しいことでもございますまい。六つというのはいささか多かったですが、それもないことでもありません」

 と説明した。

「ありうることなのか」

「ええ。ただ、確かに気になるところはありましたがね」

 川口がなにかを考えるようにこめかみに指を当てる。

「城下からなにも達しがないまま、急遽、友浦に連れてこられたようです」

「今までにはそういうことはなかったのだな」

「こちらにも準備がありますからね。事前にこれこれの者が行くという達しは届いておりました。ただ、今回は城下でとらえ、そのまま友浦牢に連れてこられたみたいです」

「城下の牢を経由せずにか?」

 通常、城下で罪を犯した者は一度城下の牢に入れられ、重い罪だと判断されると友浦牢に送り込まれる。しばし考えた惣介は、突如、目を輝かせた。好奇心が膨らんでいる。

「入ってもよいか?」

「え、中にですか?」

「無理か?」

「いえ、同じ湊組。別に入られても問題ないのですが……。加瀬さん、お酒を飲まれてきたでしょう?」

「郡奉行のときの下役に相談を持ちかけられてな」

「はあ。加瀬さんらしいことで……。私にもその下役の方の気持ちはわかります。ですが、中で騒ぎを起こされるわけにはまいりませぬ。通した私が咎められます」

「心配せずともよい。騒ぎなど起こさぬ。俺ももう四十二だ」

「四十二だからって……。歳と酒と、どのような関係があるのです?」

 川口はなおも疑わしげな目を向けてきたが、惣介が胸を張ったまま動かないのを見て額をおさえた。

「本当にお願いしますよ」

「恩に着る」

 惣介は川口のあとについて、潜り戸から中に入った。手入れされた庭が目の前に広がる。奥にそびえる大きな館は牢屋敷だ。白砂の上を進むと、屋敷の前に六つの駕籠が下ろされているのが見えた。ちょうど中から囚人が出てくるところだ。

(藩士?)

 腰縄をされて出てきた男は若い武士だった。

 惣介が離れた位置から眺めていると、残りの駕籠からも男が下ろされた。やはり、全員若い武士である。

 最後の駕籠の男が下りる番になった。瞬間、惣介は、どういうわけか胸に緊張を抱いた。なにかが起こるのであれば今だ、理由もなくそんなことを考える。

「あ!」

 惣介の予感は的中した。六番目の駕籠から出てきた若者。その姿を見て、惣介は口を開けたまま固まってしまう。

 腰縄をつけられて出てきたのは、父親に似て眉毛の太い、岩のような顔立ちをした男だった。男は、うなだれるように下を向いていたが、惣介の視線を感じたのか顔を上げこちらを振り返ってきた。

せいろう! お前、なぜここに」

 惣介は叫んだ。若者の目がゆっくりと見開かれていく。それを惣介は血の気を失う思いで見守った。

 駕籠から出てきたのは、惣介の嫡男、加瀬清次郎だった。

 

(つづく)