2023年に上梓した小説『未知生さん』は、事故でこの世を去った羽野未知生という男性と交流のあった人たちの視点を通して、多角的に生前の彼の姿を浮き彫りにしていく作品。書評家の細谷正充氏に絶賛され、同氏の名を冠した細谷正充賞を受賞しました。新作『宙ぶらりんの箱』では、ロープウェー事故で偶然閉じ込められた人々の“その後の日常”を描き、人生の綻びと再生を軽妙に浮かび上がらせています。著者の片島麦子さんに作品に込めた思いを聞きました。
取材・文=編集部
閉ざされた空間で、よく知らない者同士が接点を持ったときに起きる化学反応を想像しながら書きました
──今回の新作では、山の麓と頂上を結ぶロープウェーが途中で突然止まってしまい、乗客たちがゴンドラの中に閉じ込められたことが物語の端緒となっています。まずは今回の作品を書くにあたって、なぜこの設定を選んだのか、そのあたりをお聞かせください。
片島麦子(以下=片島):『未知生さん』では、ひとりの人物を中心に据え、その周囲の人たちから見た主人公像を、昨年刊行した長編小説『ギプス』(KADOKAWA)では、ふたりの女性の友情を少女と大人のパートに分けて書きました。どちらも、登場人物同士がお互いをよく知っている設定だったのですが、今回は逆に、よく知らない者同士がなにかの偶然で接点を持つことになったあとの物語を書こうと。本来なら交わらない人たちが交わったとき、その関係性にどんな化学反応が起きるだろうかと想像しながら書きました。ロープウェーのゴンドラを舞台にしたのは、年齢や性別、職業などの属性に無関係な人々が集まる閉ざされた空間としての場を考えたときに、ふと浮かびました。
──作品の中でゴンドラは一時間以上も宙づりのまま停止して、グラグラ揺れたりはしないものの、自分がもし乗客として閉じ込められていたら、言い知れぬ不安に苛まれるだろうと想像しながら読んでいました。因みに片島さんは高いところは平気ですか?
片島:わたしは高いところもせまいところも昔から苦手です。なので、もし自分が同じように閉じ込められたら……と考えるだけでも嫌ですね。本文で、女子高生の子がパニックを起こす場面があるんですが、そこまでではないにしろ、近い状態に自分もなりそうでこわいです。
──ゴンドラに閉じ込められた人たちは故障事故に遭遇したことで、その後の日常が変わってしまいました。たまたま同じゴンドラに乗り合わせただけで、本来であれば交わることなどなかった人生が、ロープウェーが故障したせいで思いもしなかった交流や関係性が生じてしまった。ある人はそこで出会った人と同棲を始め、またある人は何者かに尾行されてしまう。これまでの片島作品の中ではエンタメ寄りの構造を意識されたのではないかと感じたのですが、いかがですか?
片島:明確に意識しているわけではないのですが……。ただ今回は、見知らぬ者同士の話でもあるので、物語を動かすために小道具をいくつかポイントに使いました。どの場面とどの場面でこの小道具が効いてくるかとか、そのあたりはかなり意識したので、構造的にエンタメ寄りかと問われると、そうかもしれません。
人と人が信頼しあうにはそれなりの時間と、丁寧な心のやりとりが必要
──乗客の中には、しじまと拓という老齢の姉弟がいて、女子高生がゴンドラの中でパニックになったことがきっかけで、姉のしじまがある行動を起こしてしまいます。その行為とその後の行き違いが各方面でややこしい事態を招くわけですが、この老齢の姉弟、作中でもかなり異彩を放っているキャラクターだと思うのですが?
片島:しじまと拓はある特別なやむにやまれぬ事情で、ふたりきりでずっと暮らしてきた姉弟です。傍から見ると、姉弟ではなく夫婦のように見えるかもしれない。実際、このふたりにとってお互いの存在は単なる姉弟というより、もっと近くて深いものです。そういう他人から見るとわからない不思議な関係のキャラクターを書きたいと思っていました。定義づけできない関係性に魅かれるんですよね。
──姉のしじまの過去と病気のことで一つの地に安住できない姉弟は、根なし草のように引っ越しを繰り返してきましたよね。つまり、しじまと拓の姉弟はずっと宙ぶらりんな暮らしを余儀なくされてきた存在といっていいのではないでしょうか?
片島:そうですね。ただ、他の登場人物たちと違うのは、このふたりは「宙ぶらりん」であることを自分たちの安寧のために選んできたとも云える点です。そのぶん、絆は強い。それ以外の登場人物たちは、自分が「宙ぶらりん」であることに不安や迷いを抱きつつ生きてきて、そのために偶然ゴンドラに乗り合わせただけの他人に運命的なものを感じ、過剰に期待や幻想を抱いてしまったところもある。同じ「宙ぶらりん」でも、しじまと拓の場合とは意味合いが違ってくる感じです。
──閉ざされた空間で生命の危機を共有した者同士、多かれ少なかれ何か運命めいたものを感じておきながら、結局それは勘違いやまやかしだったと気づきますよね。「この世の中、そううまくいくことばかりじゃないでしょ」と片島さんに突き付けられたように感じました。そのあたりはいかがでしょうか?
片島:バッドエンドな話ばかりでもないのですが……(笑)。苦みの残る話が多いのは、特殊な状況下で安直に築いた関係には、やっぱりなにかが欠けているように思えるからですかね。人と人が信頼しあうにはそれなりの時間と、丁寧な心のやりとりが必要なんじゃないかと。それを運命という言葉に甘えて、お互いを理解する努力を怠っていると、結局は長続きしないのではないかという思いはありました。
──宙づりのゴンドラに閉じ込められた人たちの、地に足のつかない日常を描いた本作。登場人物たちそれぞれの宙ぶらりんな状況を描いてきて、それでいて各章を着地させなくてはならない。そのあたりは、どのような意識をもって執筆されましたか?
片島:各章の落としどころ、いわゆるオチについては、そんなに意識してはいないです。この作品に限らずですが、無理に着地させようとすると、どこかわざとらしくなってしまうので。今作でも各章のラストはそれぞれで、たまたまきれいに着地できたものもあれば、尻切れトンボのように唐突に終わるものもあります。先述の小道具を投入して、キャラクターの性格や行動などを見守っているうちに、「ああ、こうなるよね」と、ストンと腑に落ちたところでやめる感じです。
──余談ですが、作中に出てくるロープウェーは、広島県尾道市の千光寺山をモデルにされたそうですね?
片島:はい。わたしは広島育ちで現在も住んでいるのですが、ロープウェーというと、尾道か宮島のどちらかだろうとすぐに頭に浮かびました。宮島は走行距離が長く、途中で乗りかえなどもあって大がかりなので、もっと観光客だけではなく地元の人も気軽にぱっといけるイメージで、尾道の千光寺山ロープウェーをモデルにしました。
──千光寺山のホームぺージやYouTubeのライブ映像なども拝見しましたが、とても美しい場所ですよね。是非ロープウェーに乗ってあの景色を観てみたいと思いました。本のカバーを担当してくださったイラストレーターさんも尾道の海と街並みを意識して描いてくださったようです。
片島:そうだったんですね。カバーイラストもとてもすてきに描いてくださって感謝しています。千光寺山は坂の町である尾道の山なので、ロープウェーでのぼっていくときに、山肌の自然のうつくしさはもちろんのこと、そこに建つお寺や神社の上を通過するのが、なんとも云えない迫力があります。頂上からは尾道のレトロな街並みや海も見られて、短い時間でさまざまな景色を満喫できるお得感もありますね(まわし者じゃないですが)。わたしも落ち着いたら、ひさしぶりにいってみたいと思います。
──最後に、これから本書を手に取ってくださる読者に向けてメッセージをお願いします。
片島:いつもと同じ日常に飛び込んできたロープウェーの停止事故という非日常。通りすぎるだけだったはずの人たちと偶然交わることで、その後の日常に小さな変化がもたらされ、登場人物たちは翻弄されていく……。彼らがどうつながり、どう変わっていくのか、もし自分だったらと、想像しながら物語をたのしんでいただけるとうれしいです。