今月のベスト・ブック

装画=須永有「逆光の中の人」二〇一六
装幀=新潮社装幀室

『叫び』
畠山丑雄 
新潮社
定価 1,870円(税込)

 

 第173回の芥川賞は該当作なしだったが、今年1月に選考があった第174回は2作同時受賞になった。鳥山まことの『時の家』は以前この連載でとりあげたので、今回はもうひとつの受賞作である畠山丑雄『叫び』(新潮社)を紹介したい。郷土史と万博、天皇など、挑戦的な要素を盛り込んだ小説だ。

 

 主人公の早野ひかるは、大阪府茨木市在住の公務員。同棲する予定だった女性に振られて、夜遊びにふける荒んだ生活を送っていた。資金が尽きて風俗にも居酒屋にも行けなくなったある日、早野が安威川あ い がわ沿いを散歩していると、どこからか鐘の音が聞こえてくる。畑にぽっかりあいた穴の中で、五十代後半くらいに見える男が、銅鐸どう たくを叩いていたのだ。男は早野に〈お前は今、自分の軽さを持て余している〉〈お前には重さが必要なんや〉と言って銅鐸を渡す。銅鐸を抱いて寝て安らぎをおぼえた早野は、男を“先生”と呼び、銅鐸づくりと郷土史を学ぶようになるが……。

 

 全然知らなかったけれども、完全な形の銅鐸鋳型としては国内唯一の例となるものが、茨木の遺跡で発見されたのだそうだ。郷土史のなかで早野が興味を持つ罌粟け し栽培と阿片製造の達人も実在したらしい。“先生”は銅鐸も郷土史も“聖になる”手段なのだと説く。この人はいったい何を言ってるんだ、と思う。しかし、“官製の聖”が天皇という話とあわせて考えると、“聖”とはその場所にいるだけで意味があるものなのだろう。

 

 そもそも早野が茨木に引っ越して来たのは、彼女と一緒に暮らすためだった。彼女が約束を破って来なかった時点で、茨木にいる意味を失っていた。だから荒れていたのだ。胡散くさい“先生”の妙に人を惹きつける説法、茨木から満州に渡り天皇陛下に捧げる罌粟を栽培していた青年、銅鐸づくりをきっかけに芽生えた新しい恋は、“今ここにおることの意味のなさ”から早野を救う。

 

 早野のような欠落は多かれ少なかれ誰もが抱えていて、その欠落を何かで補いたいと思っている。自分自身の存在に意味を見いだせない場合は、“聖”を必要とする。推し活などもそういう構造なのかもしれない。

 

 島田雅彦の『叫び』に対する選評に〈笑いのツボは読み手によって異なり、西日本出身者には受け、東日本出身者にはイマイチという傾向が選考委員にも見られた〉というくだりがある。わたしは西日本出身のせいか大いに笑った。特に好きなのは、早野が市民に〈この税金泥棒め〉とクレームをつけられたことを思い出しながら“ミャクミャク涅槃像”に食べていた巨峰(出禁になったキャバクラへのお詫びとして持って行ったが突き返されたもの)の皮と種を勢いよく吐きつけるシーン。ダメ人間小説としても魅力がある。

 

 最近出た笑える小説と言えば、やはり綿矢りさ『グレタ・ニンプ』(小学館)だろう。主人公の呉田俊貴は、東京の大企業に勤める40代の男性だ。7歳下の妻・由依と子育てしやすいことで知られる住宅街に住む。4年間の不妊治療を経て子作りを諦めていたある日、由依の自然妊娠が発覚する。

 

 まず、由依が妊娠を報告する場面が強烈だ。俊貴が帰宅すると、頭に巻いた布にツノのような白い棒を2本さした由依があらわれる。しかも、2本の棒は使用済みの妊娠検査薬なのである。由依は喉が全部見えるほど、グンッと上半身だけを後ろに反らし、両腕を力いっぱい広げて〈ヨウセイダーーーーーーーーーッッッ!〉と叫ぶ。その鬼気迫る喜び方と、丑の刻参りのようなスタイルを見て、俊貴は『八つ墓村』の映画を思い出す。

 

 その日を境に、控えめだけど笑顔がかわいかった由依は豹変。一人称は“ワタイ”、口調は『ドラゴンボール』の孫悟空、髪型は紫色の坊主頭、ファッションもド派手になるのだ。俊貴は戸惑うが、妊婦の心身はデリケートだという知識はあるし、不妊治療で苦しんだことも知っているため何も言えない。しかし、破天荒にグレた由依の言動は、妊婦はふんわか優しい雰囲気じゃないとダメとか、女性に押しつけられる固定観念を粉砕する。ただ優しいだけじゃなく人間味がある俊貴の造形もいい。元気玉を注入される1冊だ。

 

 佐佐木陸の文藝賞受賞第1作『ごみのはての』(河出書房新社)も、ユニークな作品だった。独居老婆が暮らすごみ屋敷を清掃するために訪れた五人の便利屋の話だ。黒字倒産の危機に瀕しているのに100万円入りの封筒をなくしてしまった社長の佐竹、“正しい顔”に執着する馬場、アルコール依存症の江田島、大怪我の後遺症を引きずる韮崎、算数障害のある浜松。5人はそれぞれ弱い部分を隠し持っている。ごみの地層を掘り進める彼らの胸に、さまざまな感情と記憶が去来する。そのはてにあらわになったものとは……。

 

 どす黒い泥を孕む湯吞み、虫食いの着物、ミイラのような肉の入ったトレイ容器など、大量に溜め込まれたごみは、凄まじい臭気を放ちつつ住人の歴史を物語る。佐竹が紛失した封筒の行方にも引っ張られて、次々とページをめくらずにはいられなかった。終盤の展開はやや唐突に感じたが、家主の老婆の〈あなたたちは世界のしくみを知らないの。本物の世界から捨てられた人たちがいることも〉というセリフは、前段で言及された実在人物をふまえて読むとぞっとする。現実社会に潜む恐怖とつながった話だ。