コミックや映画、ドラマの影響もあり、近年、ますます注目を集める「競技かるた」。小倉百人一首かるたの札を用いて、二人の競技者が自陣の25枚をいかに早く取りきるかを競う頭脳スポーツです。
本作はスポーツ小説であるとともに、夫婦小説、母子小説の魅力もそなえています。執筆のきっかけや作品に込めた想いを伺いました。
取材=編集部 写真=小島愛子
失ったエネルギーを主人公が取り戻す物語
──はじめに、なぜ競技かるたを題材にした小説を書こうと思ったのでしょうか?
奥田亜希子(以下=奥田): 2022年9月に、私のママ友が子どもに競技かるたを教える小さな教室を始めることになり、そこに娘を連れて行った流れで、私もかるたと百人一首に初めて触れました。その一年後には私一人でかるた会に入ったほど和歌を聞くのも札を取るのも楽しくて、小説でかるたを書けば仕事中も堂々とかるたのことを考えられるな、と思ったのがきっかけです。
──物語は、名付けられていない一人の母親のモノローグで幕を開けます。泣き止まない幼子を前に為す術もない母親の姿が描かれていて、不穏さが伝わります。連載時にはなかったこの冒頭シーンは、書籍化にあたり加えられたものですね。
奥田:今作を書き始めたときには、主人公の希海がかるたに惹きつけられた理由について、あまり深くは考えていませんでした。中盤あたりで、これは失ったエネルギーを主人公が取り戻す話なのかもしれない、と思うようになり、その側面を補強するために書き足しました。また、連載の最終回の初稿を書き終えた直後、急遽加筆することになったエピローグに呼応させる目的もありました。
──主人公の希海は、子どもが同じ保育園に通う母親から、かるた会に入会することを勧められますが、四十歳という年齢や暗記力の衰え、育児を理由にいったんは躊躇します。
奥田:かるた小説を書くなら主人公は中年の初心者かな、という思いは早くからあり、2023年8月には原型のプロットができていました。自分にトップ選手の世界が書けるか不安だったからというのもありますが、一番の理由は、「大人が趣味を始めること」を通底するテーマとして扱いたいと思ったからです。社会に関わるようなことを土台にして、そこにかるたを載せたほうが大きい小説になると感じました。
──奥田さんご自身、作中のいちばん肝となる文章は「母親になった人の趣味は家族の得になるか、負担にならないものじゃないと許されないの?」だとおっしゃっていました。その真意とは?
奥田:妻が自身の仕事を巡って夫と衝突するのではなく、趣味の「権利」を求めて闘う話はあまり読んだことがないような気がして、今作ではそれに挑戦したいと思いました。多くの方が声を上げてきたことで、実現されているかはともかく、仕事の価値に性別で差をつけるのはおかしいという認識自体は、社会にだいぶ定着してきたように感じます。今なら「趣味」に着目した話が書けると思いました。
──先の質問とも関連するのですが、希海にとって大事な試合の日に、夫の勇助に急な仕事が入り、子どもの世話をめぐって「かるたが大事って、それは趣味じゃん。俺は仕事なの」と勇助が言うシーンがあります。この一言に、とてもやるせなさを感じました。
奥田:仕事や家事や子育てや介護など、やるべきことを済ませたあとの余った時間でやるもの、というイメージが、趣味にはどうしてもあります。単に優先順位が低いだけでなく、価値まで若干軽んじられているような。やるべきことというのは絶対に完全には終わらないので、私自身、かるたや、もうひとつの趣味であるゲームをしているときには後ろめたさを覚えていました。でも、本当にそうなのか。今作を書いたことで私も改めて考えました。
〈後編〉に続きます。
【あらすじ】
子どもと一緒に参加したかるた教室で、希海は初めてかるたの札を払う。空を切り裂くように飛んだ札。指先に満ちた新鮮なエネルギー……。その記憶が強く刻まれた希海だが、「もうすぐ40歳になる」「暗記力に自信がない」「子どもがいるから」など、気づけば自分に言い訳ばかりして、競技かるたを始めることにためらっていた。かたや夫は、仕事と趣味の優先順位をつけようとするのだった。果たして希海が選びとった道とは? 今、自分の〈好き〉を手放そうとしている人すべてに捧げる物語。『ちはやふる』漫画家、末次由紀さん推薦!