「はいー。スポーツ振興課やけど」
「あぁ、ちくしょうっ!」
フロアに、二人の声がこだまする。
通常なら一人でこなせる業務を分担しているせいか、いつもこんな風に仕事を取り合っている。
「拓ぼーん。電話やで、電話ー。木村からや」
電話の応対に出た政爺が、拓也を呼ぶ。せめて、送話口を手で塞いでもらいたいものだが、そんな気遣いなど望めない相手だ。
「こっちに転送して下さい」
たまに、とんでもない所に転送されるが、今日は無事、拓也のデスクに置かれた電話にランプが灯った。
──木村……。どっちの木村さんだろう?
土師市役所の職員に木村姓は二人いた。一人は総務課係長のオジサン、もう一人は保健課に所属しているお局だ。
「はい、お電話かわりました。倉内です」
『こちら、木村健太郎の秘書です。すぐに来られますか?』
思わず「あっ!?」と言葉が漏れていた。慌てて居住まいを正す。
「今でしょうか?」
『至急です』
電話は一方的に切られた。
「ちょっと、席を外します」と断り、大急ぎで部屋を飛び出した。
あと一人、木村という名の者がいたのを思い出す。
現市長の木村健太郎だ。
任期満了に伴う土師市市長選が先月の二十日に投開票され、新興政党〈太陽党〉所属の木村健太郎が、長きに亘って君臨していた前土師市長の菅原勇を破って初当選したのだ。
木村は土師市出身の元プロ野球選手で、現役引退後はタレントとしてバラエティ番組で活躍したが、その後、参議院議員選挙の比例代表に立候補して当選し、政治家に転身。任期満了した本年“スポーツでまちづくり”をスローガンに土師市の市長選に参戦した。
選挙運動をしなくても票が入るとさえ言われるほど、土師市での木村の人気は絶大だ。選挙期間中は現役時代のユニホームを着て自転車で市内を回り、街頭演説をすれば、二重三重どころか、交通の妨げになるほどの人垣ができた。
任期は今月の十二日から四年間。
それにしても、市長が一介の職員に何の用だ? 呼び出される理由が分からない。
二階の廊下を突っ切り、階段を駆け上がる。土師市役所の庁舎は高層タワーではない。市長室のある最上階でさえ五階だ。エレベーターを待つくらいなら、走った方が速い。
二段飛ばしで階段を駆け上がり、五階に足を踏み入れると、扉が付いた磨りガラスの仕切りが設けられたフロアに出る。その脇に受付があった。「市長に呼ばれている」と伝えて名乗ると、そこに座っていた女性が受話器を持ち上げた。
ほどなくして、磨りガラスに人影が映る。神経質そうな細面が、ドアを押し開けた。先ほど電話をかけてきた秘書だ。
「お待ちしてました」
秘書は表情を変えないまま、先に立って奥へと案内する。廊下には分厚い木の扉が幾つも並んでいて、突き当たりの部屋の扉をノックすると、細めに開けて「倉内さんがいらっしゃいました」と中に向かって声をかけた。
「おうー、入ってもろてー」
豪放磊落を地でいくような、ガラガラ声がした。
開け放たれたドアから一歩中に足を踏み入れると、後ろでそっとドアが閉められた。
「君が倉内拓也くんか。噂はかねがね聞いとる」
デザイナースーツを着こなした市長が、豪快に笑いながらデスクから立ち上がった。
デカい。
見上げるような大男とは、この事だ。圧倒されながら、拓也はその場に佇んでいた。
「えらい早かったやないか。まさか、走って来たんか? そうか……。さすがやのぉ。息一つ乱れてない」
長らくランニングシューズを履いていないが、それでも選手時代の貯金のおかげで、階段を駆け上がるくらいでは息は切れない。
「君の事、少し調べさせてもろた。とりあえず、座って話そや」
窓際のソファを示される。
下座に腰かけると、向かい側に市長が座った。
「中学時代に陸上部で中長距離走の選手として頭角を現し、高校は他県の強豪校に進学。県大会は突破したもんの、地方大会で負けて、あと一歩のところでインターハイ出場を逃しとる」
確認するように鋭い視線が送られたから、膝の上で拳を握る。
「それから、都大路ではアンカーを任されて、全国制覇に貢献した」
一瞬、その時の光景が蘇る。フィニッシュした瞬間、監督や部員達が駆け寄って来てもみくちゃにされた、あの歓喜の瞬間を。
「高校卒業後は、スポーツ推薦枠で東都大学に進学……と。倉内くん、ちょっと聞きたいんやけどな。何で、名だたる駅伝強豪校やなくて、当時、それほど強くなかった東都大学を選んだんや?」
「強豪校で走るより、自分の力で駅伝新興校を強くしたい。そう考えたからです」
「なるほど」
木村市長が頷いた。
だが、本当のところは違う。
高校駅伝の全国大会で優勝テープを切ったとは言え、それは自分の手柄ではない。前の区間を走った選手達が、後続に大差をつけて襷を渡してくれたからだ。この時点で勝負はほぼ決していて、拓也の役目は襷を無事にフィニッシュ地点まで運ぶことだけ。そんなレース展開になったから安全運転を心がけたし、区間賞も取っていない。
そもそもインターハイ出場といった、個人での活躍がなかった拓也には、強豪校や伝統校からの誘いは皆無だった。勧誘があった中で、もしかしたら箱根駅伝出場の可能性があるんじゃないかと思えた東都大を選んだにすぎない。
東都大はそこそこ偏差値が高く、その歴史も古い。だが、少子化もあって近年の受験者数は右肩下がり。私学の名門というブランドに胡坐をかいたままではいられなくなっていた。
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