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シャハリアール1.


 シャハリアールは絨毯の上に胡坐をかき、サーベルを左わきに置く。
 ベッドの上で高い枕にひじをつき、シャハリアールを見つめるのは、彼の妻、シェヘラザードである。
 クテシポンの若い女をすべて殺す―その考えにとりつかれているシャハリアールにとって、彼女も例外ではない。だが、今、殺すわけにはいかないのだ。
「それで?」
 シャハリアールは口を開いた。
「赤ずきんは、どうなったのだ?」
 ジュビダッドで起きた不可解な事件を、見事な才覚で解決してしまった少女、赤ずきん。一昨夜、昨夜と続けてシェヘラザードの口から語られたその物語はシャハリアールの心を躍らせた。だが赤ずきんは何者かに襲われ、空飛ぶ絨毯に乗せられ、砂漠に飛ばされてしまった。赤ずきんがどうなったのか、それを聞き出さねばならぬ。
「それでは今宵のお話です」
 シェヘラザードはエメラルドのような美しい瞳をシャハリアールに向け、ゆっくりと続きを話しはじめた──。


赤ずきん1.


 ばちばちと、赤ずきんの顔に砂が当たっていきます。
「痛い痛い、痛いわよっ!」
 叫ぶ赤ずきんの声は風にかき消されていきます。猿轡は外されましたが、両手両足はロープで縛られたまま。まったくあの男たちったら、どれだけ強く縛ったのかしら!
 歯を食いしばりながら空を見れば、夜の闇は薄れてきています。
 ジュビダッドの宮殿の《ロック鳥の間》で、突如侵入してきた男たちに縛り上げられ、絨毯の上に放り出されたのは夜中のことでした。絨毯がふわりと浮き上がり、窓から出て、びゅうんと飛び出し―それからもう、何時間も経ったようです。空飛ぶ絨毯はスピードを落とすことはありません。何とかロープを緩めようとする赤ずきんでしたが、思い切り身をよじると絨毯から落ちてしまいそうで怖いのでした。
 たとえロープがほどけたところで、どうしようもありません。不思議な指輪はすでに昨晩、ナップに返してしまったので、魔人の力を借りることもできないのですから!
 ああ、私はいったいどうなるのかしら。このまま飛び続けていたって朝はくる。そうなったらアラビアの灼熱の太陽に焼かれてしまうわ……絶望のため息が出そうになったそのとき、
「あれ?」
 赤ずきんの目に何かが飛び込んできました。芋虫のような体勢から、なんとか身を起こし、膝を横にして座った状態になりました。
 折り重なる砂の丘の向こうに、木々が生い茂った森が見えるのです。
 砂漠はもうおしまい!とほっとしたとき、森からにょきりと飛び出る大きな黒い塊―岩山が見えました。その近くに、黒と紫の入り混じった、なんとも不穏な煙がもくもくと上がっているのでした。
「このまま行ったらぶつかるじゃない。止まってよ」
 絨毯に命じてみますが、速度はむしろ増しているようでした。
「止まって、止まってってば!」
 赤ずきんの声を聞く様子もなく、岩山はぐんぐん近づいてきます。
「わあっ!」
 ついに絨毯は岩山に衝突―するかと思いきや、煙のそばを通るときにぐるりと方向転換をしました。急に傾いたものですから、赤ずきんは絨毯から落ち、地面に向けて真っ逆さまです。
「きゃあ!」
 幸い、生い茂る草木の葉がクッションとなり、痛みはそれほどありませんでしたが、小枝や木の実が口の中に入り込んできました。
「ぺっ、ぺっ! 何なのよ、もう」
 上空を見ると、絨毯は煙の周囲をぐるぐると回っているのです。
「き、君……大丈夫?」
 誰かの声がしました。
 そちらに顔を向ければ、粗末な身なりの男性が立っていました。年齢は三十前後でしょうか。ターバンだけがやたら大きく、そのぶん、身長の低さが目立っています。その後ろには、荷物を背中に載せたやせっぽちのロバがいました。
「誰だか知らないけれど、このロープをほどいてくれないかしら?」
「あ、ああ……」
 彼はロバの背中の荷物から一本のナイフを取り出し、赤ずきんのそばにしゃがんで手足のロープを切ってくれました。
 ふと頭上を見れば、もくもくとした煙の周りを絨毯はまだぐるぐると回っていました。
「なんなのよあの煙」
「ブブキフィだろうね。お香の一種で、焚いて出てくる煙は空飛ぶ絨毯を引き寄せる力があるんだよ」
 花の蜜が蜂を引き寄せるようなものでしょうか。たしかに絨毯は、魅入られたように煙のそばを離れようとしないのです。
 煙の下には焚火の跡がありました。いらなくなった家具でも燃やしたのでしょうか、木材の燃えさしが残っていて、火種がまだ残っていました。
「誰だか知らないけれど、きっと、ブブキフィが入っているのを忘れたまま燃やしてしまったんだろうね」
 男の人は苦笑いをします。赤ずきんは、助けてもらったお礼を言っていないことに気づきました。
「ロープを切ってくれてありがとう。私は赤ずきん。あなたは?」
「僕はアリババ。大変だったね、盗賊たちに縛られたんだろう?」
「盗賊?」
「ここいらの町や村を荒らしまわっているディング・ハッタン盗賊団だよ。違うの?」
 赤ずきんは、これまでのことをざっと話しました。
「ジュビダッドだって? 元気なラクダでも十日はかかる距離だよ!」
 アリババは目を丸くしました。
「ずいぶん飛ばしたもの、あのド派手な絨毯。……ところで、ここはどこなの? 町は近くにある?」
「三十分も歩けば、僕の住んでいるアコノンの町に着くよ」
「よかった。私をそこまで連れて行ってくれる?」
「もちろん。でも、その前に僕の用事を済ませてもいいかな? 兄さんを捜しているんだ」
 アリババはそう言って、ロバの手綱を引きながら岩山に沿って左のほうに進みます。すると、岩肌に縦の割れ目がついている箇所がありました。アリババはその前に立ち、天を支えるかのように両手を上げ、こう叫んだのでした。
「開け、ゴマ!」
 ごご、ごごごごご!
 あたりの木々を震わせながら、割れ目から岩が横に開いていきます。
 驚いて声も出ない赤ずきんの前に、ぽっかりと洞窟が現れたのでした。呪文一つで開く岩の扉―アラビアには、想像を絶する魔法がこんなところにもあるのでした。
 それにしても、なんで「ゴマ」なの? 赤ずきんの疑問をよそに、アリババはロバの背中の荷物から松明を取り出し、火打石をカチカチやって火をつけると、
「さあ、入ろう」
 慣れた様子でロバを引っ張って洞窟に入っていきます。赤ずきんも後に続きました。
「閉じよ、ゴマ!」
 中に入るとすぐに扉を振り返り、アリババは叫びます。ごごごごご、と、扉は閉じました。
「意外と明るいわね」
「あれのせいだろ」
 アリババが頭上を指さします。
 天井に、金色の布が張られていて、松明の明かりを反射させているのでした。
「地べたや岩壁はむき出しなのに、どうして天井だけ布を張ったのかしら?」
 つぶやきながら観察していて、さらにおかしなことに気づきました。
 さっき開いた岩の扉。左右二枚とも、洞窟の内側の天井付近に鉄の輪が打ち込んであります。さらに、その二つの鉄の輪に近い天井にも一つ、同じような輪が取り付けられています。
 洞窟は右に大きく曲がっていましたが、すぐに奥の異様な光景が目に飛び込んできました。
「これは!」
 まばゆいばかりの金貨の山。その両脇には、人がすっぽり入れるくらいの大きなアメジスト色の壺や、銀でできた机にヒスイでできたテーブルがあります。さらには黄金のオルガンにハープなど、高価そうな財宝がうずたかく積まれているのでした。
「ディング・ハッタン盗賊団の、財宝の隠し場所なのさ」
「アリババ、あなたはいったい何者なの? どうしてこんなところを……」
 と、赤ずきんは中を見回します。洞窟の出入り口から続いていた金の布は金貨の山のすぐ上で途切れ、出入り口の扉の内側に打ち込まれていたものより少し大きい鉄の輪が一つ、岩にねじ込まれています。これは……
「あれはなんだ?」
 アリババが金貨の山の向こうを指さしました。そこには一組の靴……いや、ズボンも見えます。金貨の山の向こうに、寝転がった誰かの足がこちらに見えているのでした。
「まさか」
 アリババはその足に近づいていきます。嫌な予感がしましたが、赤ずきんも続かないわけにはいきません。
 案の定といいましょうか、金貨の向こうに横たわっていたのは、男の死体でした。口を大きく開いて白目をむき、息をしていないのは明らかでした。 
 顔の下半分はもじゃもじゃしたひげに覆われていて、あごひげは胸のあたりまで伸びていますが、その先端はブツリと不自然に切り取られていました。見たところ外傷はなく、顔も両手もからからに干からび、餓死と思われます。周りには金貨に交じって、何かの青い破片が散らばっていました。
「兄さん!」
 その死体を見て、アリババは叫びました。
「これは僕の兄さん、カシムだ!」
 洞窟の中に餓死した男が一人―赤ずきんの頭の中には、大きな疑問がひとつ、浮かびました。
 どうして首吊りじゃないのかしら?
「兄さん、兄さん!」
 アリババに揺さぶられた死体の胸ポケットから、何か黒いものがはらはらとこぼれます。毛でした。あれは、切り取られたひげの先端でしょうか──。


アリババと一緒に向かった洞窟で死体を発見した赤ずきん。どうしてこんなに死体と巡り合うのでしょうか……。赤ずきんの推理はいかに?

 

『赤ずきん、アラビアンナイトで死体と出会う。』は全4回で連日公開予定