ゴールド・ラッシュに翻弄された人間の悲哀。お雇い外国人の鉱山学者が帰米後に受け取った贈り物。日蝕がもたらした道内初の公立図書館、そこに見た少女の夢。新天地・樺太への玄関口が静かに見守る親子の情愛。戦争に躍らされた炭鉱の末路とささやかな希望。いずれも北海道開拓期を背景に描いた短編集。
未来読書研究所共同代表・田口幹人さんの解説で、『小さい予言者』の読みどころをご紹介します。
■『小さい予言者』浮穴みみ/田口幹人[解説]
歴史に触れることは、過去を振り返っていくだけではない。
歴史とは、今日まで遺された数多くの史料から、過去にどのような出来事があったのかを探り、それはなぜ起きたのか、当時の人々の暮らしや社会活動、またのちの時代にどのような影響を与えたのかを、各時代で考証しながら伝えられてきたものである。
過去の積み重ねの上にいまがある。過去をふまえ、いまをどのようにしていくかを考えるためには、過去に触れ、過去を知り、過去から学ぶことが必要である。いま、どうするかは、未来を創りだすことにつながってゆくのだから。
歴史は、その時々の人間の営みの積み重ねである。長い間、縁を結び、縁に従うことの繰り返しの中で、歴史は作られ新しい文化を築いてきた。人は、生まれてからずっと、必ず誰かと繋がって生きている。どんな土地に生まれて、どんな生き方をしたのか、それを覚えていてくれる誰かがいる限り、その営みが消えることはない。
それは、きっと土地の歴史や記憶にも同じことが言えるのかもしれない。その地の歴史は、そこに住んだ者たちの足跡の積み重ねで出来上がっているのだから。人間にも足跡があるように。
『小さい予言者』は、第七回歴史時代作家クラブ賞を受賞した『鳳凰の船』、そして『楡の墓』に続く、明治開拓期以降の北海道を舞台にした北海道開拓史三部作の完結編であり、北海道開拓史に名を刻んだ者たちの想いを、市井の人々を通じて浮かび上がらせた作品集である。
明治に始まる開拓の歴史は、未開の北の大地を、国力増強のために活用し、さらには明治維新後の士族救済が、背景に色濃く見えるかたちで推進されていた。農地開拓、札幌の開発、交通インフラの整備、資源エネルギーや鉱山開発、札幌農学校の設置など、集団移住者と屯田兵による開拓が進められた。いわゆる中央主導型の開発とインフラ整備が北海道開拓に光と影を落とすことになる。
第一部『鳳凰の船』では、函館を舞台に、願乗寺川を造成した堀川乗経の娘や、初代北海道庁長官・岩村通俊と開墾に力を尽くしたプロシア人商人、函館発展のために事業を興した英国人・ブラキストン、港湾建築の廣井勇など、いずれも実在した人物や事件を扱うことで、明治開拓初期の北海道の歴史を垣間見ることができた。
第二部『楡の墓』もまた、その時代背景の中、石狩原野や札幌の厳しい自然を乗り越えて原生林を拓き、北海道の基礎を築いた人々を静かに研ぎ澄まされた文章で綴った物語だった。
石狩地方を開拓するために、札幌の土地を開墾し、札幌の街づくりの発端を作った大友亀太郎と、開墾に励む青年・幸吉の成長を描いた表題作「楡の墓」は、移住者の入植地における余所者としての立ち位置に踏み込んだ作品だった。七つ年上の寡婦・美禰への想いと、余所者がその地で生きる者へと変化してゆく心の揺れ動く様が強く印象に残っている。また、船上で開拓長官・黒田清隆が札幌農学校の指導者として招聘されたウィリアム・スミス・クラークと聖書の扱いを巡り語り合う「七月のトリリウム」は、人を育てるというテーマが題材となっていた。開拓の本当の意味は何なのかを突き詰めた一篇だった。
本書『小さい予言者』では、中期から後期の北海道開拓がその後に残した光と影が、第一部、第二部よりも、より市井の人々の営みに寄り添って描かれている。様々な思惑と夢と希望を胸に海を渡った開拓者たちが、各地に蒔いた種は、厳しい環境の中、少しずつ芽を出し、やがて花を咲かせていく。一方で、彼らが渡る前から根付いていた花が踏みつぶされてきたのも事実である。しかし、長い間その地に根を張ってきた花には、めげずに生き抜く意地があるのだ。
三部作すべてに通じるのだが、本書もまた、著者の研ぎ澄まされた豊かな表現力が随所にちりばめられている。地層・本・花・光・防波堤・そして町など、感覚や感情をもとに心に思い浮かべられる景色、いわゆる心象風景の描写が秀逸で、それが自然に自身の記憶や想像とリンクしていく。
ここからは個々の作品に触れていきたい。
「ウタ・ヌプリ」は、明治三十一年から北海道の北の果て北見枝幸におけるゴールド・ラッシュに翻弄された人間の悲哀を描いた作品である。北見枝幸の幌別川上流で金田が見つかり、一攫千金を夢見る有象無象が枝幸に押し掛ける。父母と三人で石川県から檜垣農場に移住してきた弥太郎もまた、一攫千金を求め、父と母を農場に残し砂金掘りにのめり込んでいく。偶然出会った砂金掘り名人である老人に教えを請い、技術を身に着けていく。そんなある日、檜垣農場時代からの知人である藤助に誘われて訪れた盛り場での、ある女性との出会いが弥太郎の人生を狂わせてゆく。金や欲に浮かされた者たちの行く末はどんなものであろうか。老人や父の過去、そしてゴールド・ラッシュがまちを蝕む姿が弥太郎の今を映し出していた。
「費府(フィラデルフィア)早春」では、お雇い外国人として北海道の地質鉱床調査に従事した鉱山学者ライマンが、帰米後に受け取った手紙と、夢を見て日本から海を渡ったが行き場を無くした少年・マツキチと出会うことで、来日当時の出来事を振り返る。ライマンの回想では、開拓当時の為政者と度々衝突した逸話が語られ、当時の為政者たちの思惑と外国から見た日本の姿が浮かび上がってくる。一方で、来日中のライアンが蒔いた種は大きく育ち、様々な地域で根を張り、花を咲かせた。
「日蝕の島で」は、北の果ての枝幸村にある、日蝕がもたらした北海道初の公立図書館をモデルにしている。主人公・玲子の亡母の願い、そして玲子が早逝した夫と語り合った夢が重なっていく物語である。
この一篇には、北海道開拓史三部作に通じる著者の想いが詰め込まれている。
今は、ガラクタみたいで価値がないように見えても、将来の人間にとっては、何かを知るためのきっかけになるかもしれない。失われてしまってからでは遅い。だから、わたしたちはできるかぎり収集をしています。瓶の一本、蓋の一つが、その時代の道しるべになる。
主人公が訪れた博物館の館長が発した言葉である。
また、こんな一文があった。
日本の中心から遥かに北の辺境の地、道北・枝幸。けれど見方を変えれば、辺境は最前線になる。不便でしかないと思い込んでいた故郷、枝幸という土地が、どれほど広い世界に面していることか。首都・東京という偏見に毒された日本。その狭苦しい社会に背を向けて、新世界へと視線を転じることができるではないか。
著者にとって北海道開拓史三部作とは、栄枯盛衰、時代の流れの中で根差したものも消え去ったものもあるが、確かにそこにあったという人間の営みを通じ、北海道の土地の歴史や記憶を、そこに住んだ者たちの足跡を拾い集めるために記したものなのではないだろうか。
さらには、北の大地で育ち、学んだ若者たちが、日本だけではなく、世界に羽ばたいてゆくことへの願いが感じられる物語だった。
「稚内港北防波堤」は、北の果てのさらに北に位置する樺太への玄関口である、稚内に移り住んだ家族の別れの危機を描いた作品だった。祖父が新天地を求めて函館に渡り、そこで生まれた父は札幌を経由して旭川に移り住み、自身はその後道東を転々として稚内に辿りついた。そして、幼い息子を連れて樺太への玄関口で決断を迫られている。顛末は読んで確かめていただきたい。
ラストは、表題作にもなっている「小さい予言者」である。昭和十六年、道央の架空のまちである炭鉱で栄えた上空知を舞台とした物語である。戦争の気配が忍び寄る中、戦争の拡大により、石炭の増産が求められ、炭鉱が栄えた。炭鉱王国だった上空知には、山の裾野を覆い尽くすように見渡す限り炭住がひしめき合い、ひっきりなしに石炭列車が行き来し、空前の賑わいをみせていた。そんな上空知で育った子どもたちを通して戦争に躍らされた炭鉱の末路と、その地に残された希望の芽が描かれている。本編では、どこからか突然現れ、奇態な行動をとって風とともに去っていった少年タクトと、彼が触れ合う上空知の学校の子どもたちの間に生まれる、ほのかな絆を描いている。タクトの言葉は、自由への渇望、友情、自然との和やかな調和、そして人間の愚かさを繊細かつ力強く映し出している。
北海道開拓史三部作最後の一篇だけ、架空のまちを舞台に、神秘性をもった人物を登場させることにより、著者の物語作家としての想いが詰め込まれた作品となっている。「小さい予言者」という物語は、北海道開拓という歴史が生んだ大人の童話であり、そこに深遠で複雑なメッセージが込められており、心の風景を優しく彩り続ける作品だと感じた。
それぞれの土地には歴史と記憶がある。そして、その地の歴史は、そこに住んだ者たちの足跡の積み重ねで出来上がっている。北海道開拓史を追うことで、著者は「小さい予言者」という一篇の大人の童話を描きたかったのではないだろうか。
時代を越えて読み継がれてほしい作品に出合えたことを喜びたい。