小6の美々加がある日、黒猫のあとをつけて巨木の根元の空洞をくぐり抜けると、知らない家で目を覚ます。くみ取りのトイレやダイヤル式電話、学校ではこっくりさんに夢中な級友……。どうやら昭和49年にタイムスリップしたらしい──。
「小説推理」2024年5月号に掲載された書評家・門賀美央子さんのレビューで『時穴みみか』の読みどころをご紹介します。
■『時穴みみか』藤野千夜 /門賀美央子[評]
黒猫のあとをつけて木の穴をくぐり抜けた先は昭和49年の世界だった。半世紀前の世界で生きることになった平成の女の子の愛らしくも仄哀しい物語。
近ごろ小説や映像の世界ではタイムスリップもの、あるいは転生ものが花盛りだ。設定は多種多様だが、結局のところ「人生のやり直し」が主眼になる。ロールバックできない人生、それだけ誰しも心残りが多いのだろう。
だが、『時穴みみか』は、タイムスリップものでありながら、そうした「やり直し人生」譚とは完全に一線を画す。
主人公にして時を遡る大森美々加は平成生まれの11歳、小学6年生の女の子である。つまり、やり直しが必要なほど長く生きていない。さらに彼女の行先は昭和49年。本人が影も形もないだけでなく、母親ですら幼児の域を脱していないのだ。おまけに美々加の意識は「小岩井さら」なるまったく見ず知らずの少女の中に入り込んでしまっている。
初めて会う“家族”から「さら」と呼ばれる美々加は、状況を把握できないまま自分は「大森美々加」だと繰り返し主張するが、誰も相手にはしてくれない。それどころか新しい遊びと思われる始末だ。まったく状況不明のまま、美々加の昭和生活が始まる。
ここから先のパートは、年代によって読み心地がまったく異なるだろう。昭和49年の世相を明確に記憶しているのはいわゆるアラカンと呼ばれるラインからだと思うが、その世代ならば美々加が見る景色や体験に強い郷愁を覚えるに違いない。ラインより10歳ほど下の私ですら、あの頃の光景がセピア色で蘇ってきたのだから。
けれども、それ以下……とりわけ平成生まれには、ほぼ異世界と感じられるはず。なにせぼっとん便所や立ち小便の時代だ。さらに子供相手に平気で無神経な言動を取る“大人の男”の姿は、なぜポリコレが必要となったのかを改めて思い出させる。
もっとも美々加は「不適切にもほどがある!」なんて思ったりしない。素直に嫌がったり、首を傾げたり。あとはただ母を恋い、平成に戻りたいと切に願う。願いながらも、昭和の暮らしをそれなりに楽しむ。そんな彼女の頑是なさと頑固さは“少女のイデア”であり、だからこそかつて少女だった者たちの胸を淡くざわめかせるのだろう。
人として色付いていく前だけに許される時間を思いがけず昭和で過ごすことになった女の子の、何かを成し遂げるわけでもない日々。それは誰もが持っていたはずの、でももう永遠に取り返せない愛おしい欠片だ。本作はそれを、水晶玉を通して見るように眺めさせてくれる。宝石のような物語だ。