2024年に作家生活45周年を迎える大沢在昌さん。2023年に15周年を迎えた湊かなえさん。ミステリーというジャンルでトップを走り続けるおふたりは、いずれも小説推理新人賞を受賞してデビューしている。
双葉文庫創刊40周年を記念して、“双葉社出身”のおふたりの対談をお届けする。作家にとって、書くこと、書き続けることとは──。
取材・文=野本由起 撮影=金澤正平
作家になれたことではなく、小説を書いてみようと思えたことが才能
大沢在昌(以下=大沢):同じ小説推理新人賞出身ということで、こうして対談ができてうれしいね。湊さんは、他の新人賞にも応募していた?
湊かなえ(以下=湊):角川書店(現KADOKAWA)の小説野性時代新人賞と筑摩書房の太宰治賞に応募しました。
大沢:俺もふたつ落ちて、3度目の応募が双葉社だった。ただ、応募したもののしばらく音沙汰がなくて。ちょうどおふくろを連れて温泉旅行に出かけていた時、留守宅に電話がかかってきたんだよね。最終選考に残ったのかな、と思って折り返したら、いきなり「あなたが受賞です」だって。ドッキリかと思った(笑)。
湊:今は最終選考に残ったことを知らせてくれるようになりました(笑)。
大沢:そうやって23歳で新人賞を獲ったけど、他の賞だったら俺は今ここにいないと思う。俺が受賞したのは第1回新人賞だったから、2ヵ月に一度くらい短編を書かせてもらえたんだよね。他の賞だったら、新人はここまで書かせてもらえなかった。おかげで、受賞から2年で最初の短編集『感傷の街角』を出版できたから。
ただ、船戸与一さんに「大沢、知ってるか。この業界には“双葉社育ち”っていう差別語があるんだぞ。俺とお前がそうだ」と言われたことがあったな(笑)。そのイメージを払拭して、“双葉社育ち”をむしろ憧れにしてくれたのが、湊さん、あなただった。うちの娘が大学の文学部国文科に入った時も、最初のテキストが『告白』だったんだって。「パパ、知ってる?」って言うから、「もちろん。『告白』の湊かなえが獲った小説推理新人賞の第1回受賞者は俺だよ」と言ったら、「パパ、すごいじゃない!」だって。
湊:(笑)
大沢:言っておくけど、そのときは、俺、直木賞も獲ってた。それよりも小説推理新人賞でデビューしたことをすごいって言うんだから、間違いなく湊さんの功績だよ。
湊:いえいえ、そんな!
大沢:俺、50歳近くまで「実は本人が気づいていないだけで、俺より才能がある人なんてたくさんいるんじゃないか」って考えていてさ。例えば、「八百屋のおじさんは生まれてこのかた楽器なんて触ったことがないけど、もしフルートを始めていたら世界的な音楽家になっていたんじゃないか」って。要は、その対象にたまたま巡り合わなかっただけで才能を埋もれさせている人がたくさんいるんじゃないか、自分如きよりもはるかに小説の才能ある人がごまんといるんじゃないかと考えていた時期があったわけ。
ところが、湊さんもそうだけど、ものづくりで才能を発揮する人は、どこかでその対象と巡り合うんだよね。だから、俺より才能があるやつがごまんといる……こともないかな、と。そんな風に、自分を赦してやりたくなったんだ。湊さんはどう思う?
湊:私は、その分野で花開いたことが才能ではなく、自分は小説が書けると気づけたことが才能なのかなと思うんです。
大沢:重いこと言うなぁ。
湊:それに“なれた”ことではなく、それを“やってみよう”と思ったことが才能なのかなと思って。
大沢:なるほど。でも、今の湊さんは“やってみよう”だけではたどり着けない位置にいる。やってみた、書けた、書いたものが読者の支持を得た、そして今も支持を得続けている。現在進行形で、小説家であり続けるのもひとつの才能だと思うんだよ。
湊さんは小説家であり続けることに、不安は感じなかった? 湊さんのようにデビュー作が大ベストセラーになった作家と、俺みたいにデビューから28冊初版で終わり続けて“永久初版作家”というあだ名をつけられた作家は全然違う。『告白』があれだけのベストセラーになれば、「次回作、大丈夫かな?」と思うのが普通だけど。
湊:それはもう、胃が痛くなりました。『告白』は、刊行前から書店員の方を中心としたプロジェクトチームが作られ、全面的に応援をしてくださっていたんです。2冊目で期待に応えられなければ、お世話になった方々をがっかりさせることになりますよね。プロジェクトチームの皆さんを、『告白』の読者をがっかりさせてはいけないという思いが、本当に強くて。
大沢:それって、若い作家はなかなか気づけないことだと思う。若手はまず書くこと、売れることに精一杯。自分の本が世に出るまでには、編集者、出版社の販売や営業担当、取次、書店員と、ものすごく多くの人が関わっていることになかなか気づけないんだよ。でも、湊さんは『告白』が売れたことで早々にその事実に気づいて、プレッシャーを感じてしまったわけだよね。
湊:戦いの前線、しかも先頭に立っているような気持ちでした。弁慶の仁王立ちのような(笑)。
大沢:それを乗り越えた時点で、湊かなえという作家はすでに一皮むけたんだな。デビュー作が爆発的に売れた人は、過去にもいた。でも、言ってしまえばそれは出会い頭の事故みたいなもの。そこから先、何十年も作家としてやっていくには、必要なものがいくつもある。湊さんは、その最初の壁を乗り越えてみせた。デビュー作があれだけ売れて、次の作品に期待が注がれたら普通は潰れるよ。あなたが強い作家になったのは当然の結果と言えるよね。
俺なんて売れない本を出し続けてさ、書店に行っても出ているはずの新刊がないわけ。書店員に「大沢在昌の新刊ありますか」と聞いたら、「赤川次郎の新刊の台になってるよ」って言われたこともあったね。赤川さんの新刊が山ほど積み上がってる下に、俺の新刊が置かれてる。そりゃふてくされるよ。
湊:こっそり入れ替えたりはしませんでしたか?
大沢:それをしたら、負けだと思った。
湊:『告白』は盛大にバックアップしていただきつつも、刊行当初からベスト10に入ったわけではなかったんです。発売されたばかりの頃、本当に本が置いてあるのか母と書店に見に行ったことがあるんですね。そうしたら、ランキング8位の本が売り切れて、そこだけ棚が空いていて。だから、そこに『告白』をそっと置いてみたんです。でも、「いやいや、ちゃんと実力で置いてもらえるようにならなきゃ」と、元の場所に戻しました(笑)。
大沢:いい話じゃん。あの湊かなえだって、自分の本を8位にそっと置いてみたことがあった、なんてさ(笑)。
物語が求められていることは今も昔も変わらない
大沢:湊さんは、デビューして15年だっけ。
湊:はい。大沢さんは、今年で作家生活45周年ですよね。おめでとうございます!
大沢:めでたくないよ。消えなくてよかったと思ってるだけでさ。
湊:私なんて、もう15年でアップアップでしたから。45年となると、その3倍ってことですよね。これまでの15年がまた一から始まり、さらにもう一周すると考えると途方もないですよ。それに今、世の中がだんだん本から離れている空気は感じられるじゃないですか。
大沢:確かに、昔に比べると出版業界は状況が悪くなっている。同時に、新陳代謝も悪くなっているよね。昔は、いわゆる売れっ子作家って10年周期で交代するものだった。野球のポジションじゃないけど、「ファーストはこの人」「四番バッターはこの人」と売れっ子のポジションがあって、それが10年周期で入れ替わっていた。自分もそこに入れたらいいなと夢を見ていたんだよね。ある時、「もしかしたら俺この10人だか20人だかの中に入れたかもしれない」と思うと同時に、「じゃあ、あと10年で消えるんだな」と思ったの。でも、俺が『新宿鮫』でブレイクした1990年から34年も経っているのに、今もまだ少なくとも一軍にはいるらしい。新陳代謝が悪くなっている気がするんだよね。
それは、読者が新しい作家を選ぶのに慎重になりすぎて、ある程度名前が通っている作家の本を買うというのもあるだろうし、驚くような小説を引っ提げて現れる新人がなかなかいないというのもある。だから、俺はまだ生き長らえているんだろうね。まぁ「何を偉そうなこと言ってるんだ、お前はすでに死んでる」なんて言うヤツもいそうだけどさ(笑)。
湊:いえいえ(笑)。でも、今こそこういう話をしないといけないですよね。私も、作家の年間ランキングで毎年同じくらいの順位にいますが、確実に売上部数が減っていることには気づいていて。部数が減っているならランキングも下がってないとおかしいのに、ランキングはそのまま。出版業界全体が沈んでいく中、この順位にいることに満足していてはいけないんじゃないか、と。
大沢:とはいえ、自分ひとりの力で業界全体の売上が伸びるわけでもないから、難しいよね。昔は一軍の作家が10人も20人もいたけど、今はほんのひと握り。なんとか底上げしたいけれど、現代社会ではもはや紙の本が売れるのはすごく難しい状況になっているよね。
ただ、“本”を“物語”に置き換えれば、まだまだ売れる土壌はあると思う。だから、物語をどういった形で読者に届けていくか、考えるべきだと思うんだ。電子書籍という形もあるし、あるいはオーディオブックもあるよね。アメリカではオーディオブックが普及しているものの、日本ではまだそこまでではない。それでも、オーディオブックにひとつ利点があるとしたら、小説がマンガに勝てること。マンガは朗読できないから、オーディオブックにできないんだよ。
湊:たしかにそうですね! セリフだけ読んでも伝わらないですもんね。
大沢:小説なら朗読で伝えられる。それもあって、俺は今年オーディオブックで先行配信する小説を書き下ろしたんだ。どこまで売れるかわからないけれど、多少なりともオーディオブック市場が広がればいい。日本の音楽もマンガもアニメもサブスクリプションサービスで世界に広まっているのに、小説はまだまだ海外では弱いからさ。オーディオブックが売れることでマンガに勝てるし、結果を残せば翻訳されて海外に広がるかもしれないから。
湊:私、最初にオーディオブック化の話がきた時は、「本くらい自分で読めばいいんじゃない?」と思ったんです。でも、プロの役者の方に読んでいただくと、ひとつの芸術として確立されるんですよね。テレビドラマ化、映画化のように別ジャンルの作品になっていましたし、「物語にはこういう表現の仕方もあったんだ」とハッとしました。映画を観た人が原作小説を買うように、オーディオブックから入った方が本も読んでみようと思ってくれる可能性もありますよね。本とオーディオブックは共存できるし、いい関係を築ける。そう気づいたので、これからどんどん広がっていくといいなと思います。
大沢:映画、ドラマ、アニメを問わず、物語を希求しているんだよね。それを提供できるのは、やっぱり小説家。物語が求められていることは今も昔も変わらないし、どこで何が受けるかわからない。小説家に求められるものはこれからますます増えていくだろうし、まだいろいろな可能性があると思うんだよね。
(後編)に続きます