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 夫、妻、兄弟、子供――大切な家族を失い途方に暮れたことは、ある程度の歳月を生きてきた人なら誰しもが経験したことがあるはず。そんな人たちに寄り添う小説集が発売された。著者は「小説に哀しみに暮れる人を救うことはできない。ただ、寄り添うことはできる」と語る伊集院静。『哀しみに寄り添う 伊集院静傑作短編集』の刊行を記念して短編小説の名手が「哀しみとの付き合い方」を語る。

取材/文=大谷道子

 

──後半に収録された「バラの木」にも、野球が登場しますね。妻子ある男性と駆け落ち同然で結婚したのち相手を病で亡くし、一人息子を故郷で育てる決意をした女性の物語に、かつて八百長の疑いをかけられた元プロ野球選手の男性の存在が絡んでいきます。

 

伊集院静(以下=伊集院):私が野球をやっていた頃の大事件といえば、「黒い霧事件」。幾人かの選手が球界を永久追放されましたが、私はそのときずいぶん憤ったんです。ある場所から永久に人を遠ざける、そんなことが果たして人間のなすべき行為であるのかと……。

 

──自分の来し方を振り返る女性と、挫折を経験した男性の再起の物語。作中、主人公の母親が発する「何か事情があったはずよ」という言葉が、深い余韻をもたらしますね。

 

伊集院:これは、私が子どもの頃に母から言われた言葉ですね。幼いある日、弟と二人でキャッチボールをしていたとき、近くの銭湯の女湯の天窓にへばりついて覗きをしている男を見つけたんです。急いで家に帰ってそれを告げたところ、母は私たちに「その人にはきっと、そうしなければならない事情があったのよ」と。当時は子どもですから、何のことやらサッパリわからない(笑)。でも、人はさまざまな事情や哀しみを抱えて、それでも平然と生きているものなのだと……そういう考えが、いつしか私の中に根づいていきました。

 

──別れの哀しみについて、とくに印象的に書かれた場面が「くらげ」の中にあります。何年経っても兄の存在が――おそらくすでにこの世の人ではない彼のことが頭から離れない妹に対し、その恋人は「ただ逢えないだけで、それ以上でもそれ以下でもない」と言ってなだめる。その言葉によって、彼女は喪失感から距離を取れるようになるのです。

 

伊集院:死別の哀しみからは、なかなか抜け出せないものですからね。私は男だから、今は哀しみに接してもそうそう身動きが取れなくなるようなことはなくなったけれども、それは若い頃に弟の死や友だちの死、そして前妻の死を経験して、自分なりに逃れる術を身につけたからだと思います。

 そのひとつが「知らん振りをしなさい」ということ。哀しみを経験したことを、忘れなさいとは言わないけれども、できるだけ受け流すこと。逆に、自分と同じように死の喪失を味わっている人がいたときは、間違ってもその人に「実は私も」などと言ってはいけません。

 

──手を差し伸べたい気持ちから、つい言ってしまいそうですが……。

 

伊集院:知らん振りをすることが、その人にとっての救済ですよ。 角田光代さんが以前、私の本の解説に「この人は、死を川のように書く人だ」と書いてくださったことがあるんです。要するに、私の作品の中では、死はいつでも近くを流れていて、轟々と音を立てて流れるときもある。どうしようもなくそこにあるのだと。そして、付け加えさせてもらうなら、その川はある方向に向かって着実に流れてもいるんです。川の流れがいつか海にたどり着くように、哀しみにも必ず終わりが来る。そのときを、なんとなく待てばいいんだと……。しかし、ずいぶんと切ない話をたくさん書いていたものだね。自分ではすっかり忘れていたけれども。

 

──それぞれに切ない物語でありながら、読み終わるたび、ホッと心が解かれるような気持ちになります。そのヒントは、やはりタイトルの中にある「寄り添う」にあるのではないでしょうか。本書の帯に、「小説は哀しみにくれる人を救うことはできない。ただ寄り添うことはできる」とお寄せになったように。

 

伊集院:これは、小説というものがどこまで可能性のある表現方法かということに関わる、なかなかに難しい問題です。小説を書くことで直接的に誰かの人生を救うことはできないし、読者としての私も、そう思ったことはない。ただ、これは自分の経験と近いシチュエーションだなと感じた瞬間、小説がそっと寄り添ってくれたような気持ちになることはあるなぁと。寄り添うという姿勢は、そういう意味で、非常に文学と近しいところがあるんじゃないでしょうか。

 

──小説が人に「寄り添う」ことについて、もう少し聞かせてください。

 

伊集院:私が親しくさせていただいた作家・色川武大さんの晩年の作品に『狂人日記』がありますが、テーマらしいテーマを書かない色川さんが、あの作品で書いたのは、人は人に依存している……つまり「依って」「存る」存在だということではないかと思うんです。人を頼ったとき、また、誰かに頼られときに感じる安心感が、生きている実感なのだと。だから、狂っているかどうかもよくわからない主人公に、作家である自分は何もできないけれども、寄り添ってやることだけはできる。そういうことを考えて、色川さんはあの素晴らしい作品を書かれたんじゃないでしょうか。

 

──作家としてのご自身も、そういう姿勢でありたいと?

 

伊集院:そうですね。コロナ禍以降、各社の担当編集者からよく言われるのが、「60歳を過ぎて不幸を抱えている人を救済する小説を書いてください」ということ。閉塞した世の中で出口を見つけられずにいる人が、それだけ多いということなのだろうなと感じています。 

 そういう人を小説で救うことは、もちろんできないでしょう。それでも、人にとって文学が必要なものなのだということは、やはり言いたいですね。哀しみを抱えた人が溢れているのなら、その心に小説が寄り添うことは、きっとできる。そう信じて書いていくのが作家なのだと思っています。

 

【あらすじ】
夫を亡くした由美は、哀しみのなか、息子の茂を育てていた。野球少年の茂を通して、亡き夫の想い、そして息子の成長を知るーー(「夕空晴れて」)。失踪した親友の妹・公子を訪ねた是水は、いまだ兄の行方を追う公子と話すうち、若き日に事故で亡くなった大切な弟のことを思い起こす(「くらげ」)。「大人の流儀」シリーズの著者にして、短編小説の名手が描く、6つの物語。哀しみを抱えている人に、そっと寄り添い、少しずつでも前に歩き出せるよう、背中を押してくれる。そんな物語が詰まった珠玉の短編集。

 

伊集院静(いじゅういん・しずか)プロフィール
1950年、山口県防府市出身。立教大学文学部を卒業後、81年に「皐月」で文壇デビュー。91年には『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞を受賞。翌92年には『受け月』で第107回直木賞を受賞する。その後も、『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞、『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞を受賞している。16年には紫綬褒章を受章。近著に『ミチクサ先生』『旅行鞄のガラクタ』『君のいた時間 大人の流儀Special』などがある。