『カレーの時間』『ガラスの海を渡る舟』など今大注目の作家・寺地はるな。 最新作は、今この社会を生きるわたしたちに切実な問題を投げかける、一度読んだら忘れられない余韻を残す物語だ。

 原田清瀬29歳、カフェの雇われ店長。職場では「仕事の出来ない困ったアルバイト」に振り回され、私生活では恋人の「隠し事」に頭を悩ませる。真面目な清瀬を通して見ていた世界が、恋人の隠していたノートをきっかけに一変していく──

「正しさ」とは何なのか。自分が見えていなかったものとは何か。読む前と後では、きっと世界が変わって見えるだろう。

 著者の寺地はるな氏に、作品に込めた思いを伺った。

 

■苦手な人間にも幸せになる権利があり、その権利を奪おうとすることは加害

 

──作中では、ある男性から好きな女性への手紙の中で、「明日がよい日でありますように」という言葉が出てきます。この言葉は、愛する人に対してのみならず、物語後半では、清瀬から苦手意識を持つ人物へと贈られます。苦手な人物に対し、清瀬のような行動をとれる人は少ないように思え、とても印象的な場面でした。

 

寺地はるな(以下=寺地):「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というヴォルテールの言葉に出会ったのは二十代の頃だったと思います。その頃は意見の否定と嫌悪を混同していたように思います。でもそれは違うんですよね。

 嫌いな相手の幸せを願える、と言うとものすごい聖人のようなんですけれども、清瀬はけっしてそうではない。ただ、知ったのだと思います。憎み続けるというのは、ある意味では相手とかかわりを持ち続けるということ。それから、自分が苦手な相手にも当然に幸せになる権利があり、その権利を奪おうとすることは加害だということなどを。

 

──実社会でも、苦手な人と接しなければいけない場面は多数ありますが、どのような意識を持ったら共存していくことができるでしょうか。

 

寺地:わたしは他人に「この人のここ、嫌だな」と思う要素を見出しても、だからその人を嫌うということはないです。攻撃しようとも排斥しようとも思いません。距離を置くことはあります。こちらから積極的にかかわらないけれども接する機会があれば誠実に、と思います。「好きになる努力」はしないです。徒労だと思うので。考えてみると好きな人たちの中にも「嫌だな」と思う要素はあるんですよね。あなたのすべてが好きというわけではない、っていう。

 ただここまで話したのはあくまでこちらに実害がない場合であって、相手がこちらに攻撃してきたら即座に反撃する覚悟は常に持っていたいですし、失礼な言動にはそれ相応の態度を返せる反射神経を鍛えておきたいですね。あと証拠も残しておくとなお良いです。加害を許したり、耐えたり、受容する必要はないと思っています。

 

──本作はコロナ禍を背景としており、登場人物達の行動や心情にもその影響が表れています。コロナに限らず、寺地さんが今この時代に、この作品の中でどうしても書き残しておきたいと感じたことはありますか。

 

寺地:ここ数年、とくに2020年はみんな激しい不安と混乱の中にいました。小説の中でぐらいコロナを忘れたい、という意見や、いつかコロナが収束した後に読んだ時古いと感じるかもしれない、というような意見もありますが、私は可能な限り現実に近い風景を描写したいと思いました。私たちは感染症対策だけしていればよかったわけではなく、懸命に生活をおくっていたのだという事実をそのまま書き残すことにしました。

 

──これから読まれる読者さんへメッセージがありましたらお願いします。

 

寺地:まずはお身体と心を大切に、ということです。気力体力がないと本も読めないので……。あと、いつも読んでくださっている方はほんとうにありがとうございます。『川のほとりに立つ者は』は、連載中は「明日がよい日でありますように」だったのですが、これはわたしの読者の方にたいする思いでもありました。

 よい日であるにこしたことはないのですが、よくない日だったらなんとかうまいことやり過ごせますように。悪いことがおこったとしても投げ出さずに対処できたのなら、いつかよい日につながります。

 この作家知らないけど読んでみようかなと思っている方にたいしては「わたくしこれからももっともっとよい作品を生み出すべく精進しておりますので、今のうちから読んでおくと数年後には『ああ、寺地? 前から知ってる。悪くないよね』と得意顔ができるかもしれませんね……」とひかえめに提案したいです。

 

──ありがとうございました。

 

【あらすじ】
カフェの若き店長・原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。松木の部屋を訪れた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに──。「当たり前」に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。

 

寺地はるな(てらち・はるな)プロフィール
1977年、佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞し、デビュー。2020年度の咲くやこの花賞文芸その他部門を受賞。21年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞を受賞。他の著書に『夜が暗いとはかぎらない』『どうしてわたしはあの子じゃないの』『声の在りか』『ガラスの海を渡る舟』『カレーの時間』などがある。