約十五年前に「週刊大衆」で連載された、伊集院静の『イザベルに薔薇を』が、ついに単行本化された。連載中に読んでいた人も、未読の人も、とにかく本書を手にしてほしい。魅力的なキャラクターたちが繰り広げる、ぶっ飛んだストーリーに、たちまち夢中になることだろう。 主人公は、中原中也の詩を愛する青川詩人美。世間からずれた、純情な若者だ。田舎から上京したが、通う大学に失望し、今は新宿で暮らす叔父の無塁の世話になっている。とはいえ無塁は、ギャンブル好きの遊び人。詩人美を競馬や麻雀に連れて行ったりと、気ままに生きている。また、イザベルという意中の女性がいるらしい。 そんなふたりの周囲に集まる人々も、どこか調子が外れている。オカマのメグ。食堂“帆立屋”の主人の八千草比呂美。自転車の才能がある風神雷太。道路工事の現場監督をしている大島三駄。歌舞伎町一の人気嬢・白神ナギサ。無塁の友人のカルロス。鳥人の末裔だというパンタ老人……。無塁に導かれるように、さまざまな体験をする詩人美は、新たな世界を知り、成長していく。 このように粗筋だけ取り出すと、それほど珍しくないビルドゥングス・ロマンに見える。だが違う。ストーリーが、とんでもないのだ。いきなり競馬場に連れてこられた詩人美が、無塁のいう“カマルグの白い馬”を幻視する第一章から、物語がどこに向かっているのか、さっぱり分からない。しかもちょくちょく、現実を乗り越え、幻想的なことが起こる。いったいこれは何なんだ! と、困惑しながら読んでいるうちに、ギャンブル好きの駄目人間と思っていた無塁が、人生の達人へと変容していく。その口から出る言葉が箴言となる。そして無塁に導かれて遍歴を重ねる詩人美の成長が、嬉しくなってしまうのだ。 でも、これだけでは終わらない。途中の意外な展開を経て、後半はギャンブル小説の要素が強まる。特に、比呂美の借金をなんとかしようと詩人美と無塁が挑む、麻雀勝負が面白い。近年、麻雀を題材にした作品は漫画がメインになっているが、阿佐田哲也の一連の作品のように、小説でなければ表現できない面白さもある。それが十全に描かれている。ギャンブラーとしても知られる作者だから書けた、迫真の勝負が、ここに屹立しているのだ。 作者が創り上げた世界は、自由奔放でありながら、美しい詩情に満ちている。この本と出合えてよかったと、心の底からいえる作品だ。
レビュー『イザベルに薔薇を』伊集院静・著
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