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「それで、俺たちの同級生に、トンネルらんたんのメンバーがいるって話なんだけど」

 沙帆はピスタチオのアイスクリームを食べながら「ねー」と穏やかな相づちを打った。

「真嶋くんに言われてからトンネルらんたんの公式ホームページを見たんだけど、私も全然わからなかった。サングラスで目元が見えないってだけじゃなくて……アーティストの写真って、お洒落な感じで影が入ってたり、わざと斜めから撮ったりしてるから、顔の細かい特徴がつかみにくいね。ちょっと加工されているだけで別人に見える」

「メンバーの活動名は全員カタカナ数文字のニックネーム。出身地も非公開なんだよな」

「正直、こんな人たちいたかなあって感じ。というか本当にメンバーの中に同級生がいたとしても、学生の頃とは顔つきが変わってるだろうし、サングラス外されてもわからないかも」

「難しいね」

「ねー。でも、本当だったら面白いよね」

「誰かこういう芸能ネタに詳しい人いないかな」

「うーん」

 沙帆はアイスクリームのスプーンを口に当てたまま、天井にちらりと目をやった。

「芸能ネタに詳しいとかじゃないけど、それこそ、さっき話題に出た晶子は同窓会の幹事をやってるから、なにかわかるかも」

「お、すばらしい」

「連絡をとってみるよ。内容が内容だから、きっとものすごく興味を持つと思う」

「ありがとう。じゃあ、よろしくお願いします」

 会計を済ませて店を出ると、蜂蜜色にライトアップされた東京駅が目に入った。長かった夏がようやく去り、夜風が心地よい。

「そういえば、今でも入江さんの頭の中には牡鹿がいるの?」

 思いつきに近い問いかけだった。しかし沙帆は「んぐ」と変な声を上げ、みるみる頬を紅潮させた。

「いやだああ……なんでそういうの覚えてるの?   若気の至りじゃん。忘れて忘れて」

「いや、めちゃくちゃびっくりしたもの。忘れられないよ」

「そういう時期だったんだよ。なんていうの、中二病的なさ」

「俺たちが付き合ってたの高二ですよ。十七歳よ」

「十七歳も、そういうこと言っちゃうんだよ」

「俺はあの頃、サホちゃんすげー、マジの変わり者だーって感心してたけどなあ」軽く笑って歩き続ける。沙帆は照れた様子で長い髪を耳にかけ直した。

 

 そう、「サホちゃん」は変わり者だった。

 高校生の頃、裕希と沙帆の周囲のカップルのデートコースは、だいたい近くの小さな遊園地か、ライトアップが有名なフラワーパークだった。特に人気なのはフラワーパークで、パーク限定の花柄フレームのプリクラをどのカップルも撮影し、携帯電話の裏側に貼っていた。

 休日にフラワーパークに行かない?   と付き合ったばかりの頃、裕希が沙帆を誘った。すると沙帆は変なことを言われたみたいなきょとんとした顔で「フラワーパーク行きたいの?   ユウくん花が好きなの?」と聞き返した。

「いや、女子はそういうの好きじゃん。花とか、ライトアップとか。サホちゃん喜ぶかなと思って」

 沙帆は眉間にしわを刻み「なんで私が好きなものをユウくんが決めるの」と抗議し、さらには自然は好きだけど花畑はそこまで好きじゃない、ライトアップには興味がない、と続けた。

 でもまあ試しに行ってみようよ、楽しいかもしれないし、と裕希は沙帆を説得した。他の同級生たちが得意げに貼っているカップルプリクラが普通にうらやましかったし、ライトアップされた夕方のフラワーパークで手をつないだり、キスをしたりして関係 を深めるのが定番だと聞いて、そういうことをしてみたかった。沙帆はとても気が乗 らない様子で肩をすくめた。

 デート当日、沙帆はスキニーデニムにふわっとしたブラウスを合わせたかわいらしい格好でやってきた。一緒にプリクラを撮るの楽しみだな、と浮かれながら駅のホームで電車を待っていたら、隣にいた沙帆が急に歩き出し、フラワーパークとは別方面へ向かう電車にひらっと乗り込んだ。

「な、なんで?」

 心底驚いて立ち尽くす裕希に向けて、沙帆は真面目な顔で手招きした。電車のドアが閉まりそうだ。裕希は慌てて、どこ行きかもわからない電車に飛び乗った。

「フラワーパークは?」

 呆然としながら聞くと、沙帆はちょっと下唇を突き出し、むくれた表情をした。

「だって、私はぜんぜん行きたくないし、ユウくんも別に花が好きじゃないなら、なんで行くのって感じじゃん」

「えっ」

「それなら二人で散歩する方がいいよ。女子が一人でふらふらしてると、ときどき気持ち悪い人に絡まれていやな思いをするんだけどさ、彼氏連れなら、そういうのもこないだろうし」

 プリクラを撮りたかった、とは言えなかった。

 正直なところ、裕希は突拍子もない沙帆の行動に呆気にとられ、なにも考えられなかった。

 沙帆は数駅先で本当に電車を降り、地元と同じくらい平凡でなんにもなさそうな町を平然と歩き出した。裕希は彼女のあとを動揺しながらついて行った。なんだこれ、本当にデート? 変な旅番組じゃなくて?

 さびれた商店街の途中で、沙帆は唐突に「ここに入ってみたい」と一軒の店を指さした。

 白壁にチョコレート色の屋根がついたその店はいわゆる純喫茶で、なかでは数組のサラリーマンが打ち合わせをしたり煙草を吸ったりしていた。

 絶対に学生向けじゃない。スタバとか探そうよ、と思ったものの、裕希が口にするより先に、沙帆は店に入っていった。

 白いエプロン姿の店員に通された窓際の席で、沙帆はクリームソーダを、裕希はコーヒーを注文した。店には小さな音量でピアノの曲が流れていた。

「ユウくんコーヒーが好きなの?」

「まあ、普通に……」

 そもそも周囲のオッサンたちはコーヒーしか頼んでいない。ただでさえ学生カップルは浮いている気がするのに、ここで違うドリンクを頼んだら、やっぱりお子様だな、と笑われそうだ。

「メニューには他にもいろいろあるのに。バナナミルクとか、レモネードとか、コーラフロートとか、ココアとか。あえてコーヒーなの?」

「俺はコーヒーでいいよ」

「ふーん」

 ドリンクが運ばれてきた。普段使っている駅前のカフェのそれよりも三割ぐらい高いブレンドの味は、正直よくわからなかった。沙帆はクリームソーダを数口飲み、ストローの先でバニラアイスをつつき始める。

 店の中は静かだった。

 打ち合わせが終わったらしいサラリーマンが店を出る。別の、老夫婦っぽい人たちが入ってくる。老夫婦はコーヒーではなくサンドイッチと紅茶を頼んでいた。あれ、ここはコーヒー縛りとかじゃなかったのか。緊張から来る思い込みが抜けて、裕希は少し肩が楽になるのを感じた。

 沙帆は細長い金属のスプーンを動かしてせっせとアイスを削っている。

「クリームソーダ好きなの?」

 ふと浮かんだ問いかけに、沙帆はぱっと笑った。

「好きー。この、ちょうどアイスが溶けてきたぐらいの、一番上が真っ白、真ん中がミントグリーン、一番下が真緑って三層構造になっているときが特に好き。透明度の高い部分と低い部分が両方あって、さらに氷や炭酸の泡も入ってて、要素が多くて綺麗だよね。見てて楽しい」

「まさかの見た目重視」

「味も好きだよ」

 味も好きだ、と言うわりに、沙帆は好みの状態になったクリームソーダになかなか口をつけず、楽しそうに眺めていた。目の前の彼氏のことも、周囲の客のことも、あまり気にしていなそうだ。

「……俺も、次に来たときはレモネードにしようかなあ」

 子供の頃に飲んで覚えがある。いつだっただろう。そうだ、小学生の頃は風邪を引くたび、母親がレモン汁に蜂蜜を加えて水で割った大雑把なレモネードを作ってくれた。味が濃いときも薄いときもあって、うまかったかというと微妙だけど、メニューに写真付きで表示されたそれはやけにうまそうに見える。

 ふと顔を上げると、沙帆がこちらを見ていた。クリームソーダを覗き込むような真っ直ぐなまなざしを向けられ、裕希は少したじろいだ。

「なに、どうしたの」

「なんか今のよかった」

「え、なにが」

「ユウくんを描きたいな。描いてもいい?」

「ええ?」

 沙帆は普段から持ち歩いている小さなサイズのクロッキー帳を取り出し、こまめに裕希に目を向けながら鉛筆を走らせ始めた。裕希は沙帆の突拍子のない行動を制御することを諦め、片手を上げて店員を呼び、ホットケーキを追加注文した。一口大に切り分けたホットケーキを沙帆の口へ運びながら、気が済むまでスケッチに付き合う。日が傾く頃、ふたたび電車に乗って自分たちの町へ帰った。

 入江沙帆との付き合いは、いつもそんな感じだった。学校帰りにショッピングセンターに行こうと相談していたのに、いきなり「ちょっと川に入りたい」と言われ、近くの小川に連れて行かれる。もう寝ようかという時間帯に突然メールが届き、今夜流星群だってよ、と誘われて流れているのかどうなのかよくわからない星空を一緒に眺める。沙帆は気分屋で脈絡がなくて、付き合っていると結構はらはらした。同じ空間にいても、彼女がイヤホンをつけてスケッチブックを開いたら、そこからいなくなったも同然だった。おうちデートでいちゃついていた最中に彼女の絵のスイッチが入ってしまい、仕方なく裕希は横で勉強している、なんてこともざらだった。

 でも、そんなめちゃくちゃな感じが、好きだった。

「俺、学生の頃に入江さんが聴いてた難しい洋楽、ぜんぜんよさがわからなかったよ」

 付き合っていた頃には、馬鹿にされそうで言えなかったことを言ってみる。大人になった沙帆は白い歯を覗かせて笑った。

「私も真嶋くんが聴いてたアイドルの曲、ぜんぜんピンとこなかった」

「そんなもんよね」

「そんなもん、そんなもん」

「でも、今でもカフェとかでColdplayが流れてると、あ、サホちゃんが好きだったバンドだってとっさに思うよ。そういう記憶って消えないな」

「そういえば、真嶋くんがすごく推してたアーティストって、あまり浮かばないな」

「俺はその時々の流行の曲を聴くタイプだから。子供の頃、母さんとよくCDのレンタルショップに行って、ランキング一位から二十位までの曲をばーっと借りてたんだ。知っているアーティストも知らないアーティストも関係なく。それで、あれがいいと かこれがいいとか感想を言って、それぞれに気に入った曲を集めたMDを作るの。あれ楽しかったな。だから音楽っていうと、一つのアーティストにはまるより、いろんなアーティストをばーっと聴く方がしっくりくる」

「いいね。音楽を家族と分け合うって、めっちゃいいじゃん。ってか、真嶋くんのお母さん、シャキッとしててかっこいいよね」

「そうねえ」

 気が強くてかっこよかった母親と、深夜に情けなく泣き崩れていたみっともない母親のイメージがオーバーラップし、裕希はわずかに顔をしかめた。頭の片隅でエラーが出る感じ。どう思えばいいのかよくわからない。沙帆ははあとため息をついた。

「私もそのくらい強くて、子供のためにいろんなことができる母ちゃんにならなくちゃな」

「うーん……子供のためになにがよくて、なにが悪いのかは、俺にはよくわかんないけど」

 少なくとも、キラキラした暮らしをしていそうな沙帆は、あんな嵐のような一夜を子供に体験させることはないだろう。きっと。

 お互いに妙に歯切れ悪く、会話が途絶える。沙帆はふと、無数の窓を光らせた夜のビル群を見上げた。

「トンネルらんたんのメンバー、見つかるといいね。毎日忙しくて大変だし、そのくらい面白いことがあってもいいよね」

 そうだね、と裕希は相づちを打ち、ずいぶん大人びた沙帆の横顔を眺めた。東京駅前で別れることになった。

 じゃあね、と手を振る沙帆に、裕希は少し笑って片手を上げた。

 

『青春とそれから』は全4回で連日公開予定