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 蝶野あさりと初めて同じクラスになったのは小学校三年の時。

 宮城県内にあるのどかな学校だった。

 あさりは少し風変わりなところがあり、学級委員だった真奈美は何かと世話を焼いてやった記憶がある。マイペースで興味があることには周りが見えなくなるくらい没頭し、そうでない時は注意力散漫。

 ただ何かに集中した時のあさりはすごかった。夏休みの宿題でも大作を作りあげてきて皆をあっと言わせていた。

 数あるエピソードの中でも真奈美にとって印象的だったのはやはりあの絵だ。

 あさりと隣の席になり、国語か自由時間だったか忘れてしまったけれど『スイミー』の絵を描くことになった。

 黒い小さな魚のスイミーは仲間を失ってひとりぼっちになる。その後、旅をするうちに新しい仲間と集まって、大きな魚のふりをして敵に立ち向かうストーリーだ。

 真奈美は画用紙に、教科書と同じようにオレンジ色の魚が集まって、大きな魚になりすます絵を描いた。もちろん黒い目の部分の魚がスイミー。

 ふと隣のあさりの絵を見ると、集まった魚たちは一色ではなく色とりどりで、しかも鮮やかなグラデーションに描かれていたのだった。

 思わず先生にいいんですかと尋ねたら、先生は一瞬驚いた様子だったけれど「もちろん何色でもいい」と答え、当のあさりはきょとんとした顔をしていた。

「何色でもいいって」

 そうあどけない表情で言われ、思わずムッとしたことも懐かしい。

 中学に入ってからはクラスも別々で、卒業してからはさらに疎遠になってしまったけれど、そうか彼女はデザイナーになったんだ。

 夜になって、ゆっくりとリビングで記事を読んだ。

 あさりは若手の空間デザイナーとして、住宅だけでなく店舗やホテルの内装なども手がけているらしく、華々しく活躍していることがわかる。

 率直に会ってみたいと思った。

 図々しいのは百も承知で、専門家なら家の話を相談できないだろうかと考えてしまう。記事の右下には小さく《Tokyo Design Associates》という事務所名と、ホームページアドレスが記載されていた。

 アクセスしてみると、これまでに会社が手がけた案件がトップページに次々と表示された。どれも雑誌で見たことがあるようなレストランや名の知れたホテル、ブランドショップばかりだ。

〝STAFF〟のバナーをクリックしてみると、数人のモノクロの写真が現れた。けれどなぜかあさりは見あたらない。雑誌のインタビューを受けるくらいだから掲載されていても良さそうなものなのに。

 とりあえず事務所宛にメールを送ってみることにする。

 なるべく押し付けがましくならないよう、自分は蝶野あさりのかつての知人であり、家の件で当人と連絡を取りたいと文面を打った。

 返信があったのは翌々日、真奈美が事務所で弁当を食べているところだった。思わずむせそうになりながらスマホのメールを開く。

 返信者によるとあさりはすでに事務所を退職していて、また個人情報に関わることなので連絡先を教えることはできない、と簡潔に綴られていた。

 あさりはどこへ行ったんだろう。

 転職したのか、もしくは個人で独立したのかもしれない。

 帰宅の最中もSNSであさりを追っていると、ほどなくそれらしきインスタのアカウントが見つかった。〝chono_asari〟のユーザーネームに顔出しのアイコン。

 最新の投稿は一ヶ月前で、オレンジ色の三角屋根が並ぶ街並みの向こうに澄んだ海が広がっている。ヨーロッパの国のどこかだろうか。左手には石造りの灯台が建っていて、中世で時が止まっているみたいだ。

 二枚目があったのでスワイプしてみると、白浜にぽつんと建つ小屋が写っていた。中世どころかさらに昔にタイムトリップしたような高床式の造りで、何本もの古材に支えられている。

「どこにいるの……?」

 それまでの投稿もパリの街並みや外国人が集う蚤の市など、ほぼ海外と思われる風景がアカウントを埋めていて、日付を見るとここ一年は日本にいないようだった。

 真奈美は行ったことのない国々を見ながら、ゴールデンウィークの予定をまだ裕司と決めていなかったことを思いだした。

 例年ならテーマパークに行ったり車で少し遠出をしたりする。ただ今年は物件めぐりを優先させたいと思っていたから、うやむやにしたままここまで来てしまった。

 いっそ裕司が言うように二人目を育てるのは諦め、このまま今のところに暮らし続けるのでもいいのかもしれない。一人ならまだ余裕が持てるだろうし、その分を貯金してたまに家族で海外旅行に行ったりするのも悪くない。

 ふたたびあさりのインスタに目を落とす。

「え」

 投稿されたのは一分前。

 その見覚えがある景色に目が釘付けになる。

 晴れやかな青天のもとに広がる濃紺の海となだらかな島々。画面の右上にかかる特徴的な木の枝。その風景は、幼少から真奈美も何度か目にしてきたものだ。

「松島……?」

 

 

 蝶野あさり様

 

 突然のDMごめんなさい。

 私は、松川小学校と中学で一緒だった高木真奈美です。

 覚えていますか……?

 実は先日あるインテリア雑誌であさりが活躍していることを知りました。

 ちょうど今後の家のことで悩んでいて、図々しいことは百も承知ですが、昔のよしみで相談させてもらえたら……と思い連絡した次第です。

 もしよかったら、都合のいい時に返信もらえると嬉しいです。

 

                  高木真奈美

 

 

 インスタのダイレクトメッセージを送ると、真奈美は「ふーっ」とひと息吐いた。

 どうか返信がありますように。画面に向かってそっとつぶやく。

 

 

 ゴールデンウィークの初日、真奈美は朝から掃除に追われた。

 あと二時間であさりがやって来る。

 ダメ元で送ったメッセージに、返信が来たのはその日のうちだった。

 

「覚えてるよ 委員長」

 

 あさりらしい簡潔な返事だった。

 やり取りをしてわかったことは、今はいろいろあって仕事から離れていること。海外を旅していたけれど、資金が尽きたので日本に戻ってきたということだった。

 今後しばらくは国内にいるらしい。

 しかも連休はちょうど東京で用があるからと、ついでに家に寄ってくれることになった。

 ふだん来る客といえば、春香やたまに上京してくる義父母くらいなので、多少散らかっていても気にしない。見せたくないものはクローゼットに押し込んでハイ終わりだ。

 今日はさすがにそういうわけにはいかないと、いつもは触らないようなところも片づけていると、あらためてモノの多さに気づかされた。

 中でも亘の服やおもちゃがいつの間にか収納に入りきらなくなっていて愕然とする。たいして買ったつもりはないのに、こんなに増えていたとは。

 新婚当初、あれこれ気にしていたインテリアは今では見る影もない。お気に入りだったイッタラの花瓶も、最近は花を飾ることもないまま埃をかぶっていた。

 どうしよう、今から花を買いに行こうか。

 悩んでいると、不意にチャイムが鳴った。まさかとラインを見てみれば、あさりから着信が入っている。掃除に追われていたせいでまるで気がつかなかった。

〝けっこう早めに着きそう〟

 時計を見ると約束の時間より一時間以上早かった。

 

 

「思ったより早く作業が終わっちゃったんだよね」

 会うのは成人式以来だった。

 十数年ぶりに見るあさりはオーバーオールのジーンズ姿で、ベランダの外を眺めている。下北沢に新しくオープンすることになった、知人の店の内装作業を手伝っていたらしく、無造作に束ねられた髪に水色のペンキがついていた。

 顔は相応に年を重ねてはいるが当時の面影の方が強い。

 あさりは子供に会いたかったようで、夫と出かけたと知ると残念がった。実際は裕司がいないところで家の話をしたかったから、あえて真奈美がそうしてもらったのだけど。

 用意しておいたトップスのチョコレートケーキを出すと「美味しそう」と低めの声でつぶやいた。相変わらず淡々としていて、食べている間も何を考えているのかよくわからない。

 その様子がいかにも〝あさり〟という感じがして、かなり久しぶりだったにもかかわらず、真奈美は気を使わず話すことができた。いつしか昔話もそこそこに、家のことや裕司への不満をさらけ出してしまう。

「ほんとさ、マイホームを手に入れるのがこんなに難しいなんて思わなかった。もっと地方に行けばあるのかもしれないけど、今の仕事は辞めたくないし……」

 あさりはもともとおしゃべりな方じゃなかったけど、さらに輪をかけて無口になったような気がした。特に口を挟むこともなく、ただ時折頷きながら真奈美の話を聞いている。

「なるほどね。それで家探しが止まっちゃってるんだ」

 二杯目のコーヒーを飲みながら、ようやくあさりが口を開いた。

「そうなの。子供もね、二人目が欲しかったんだけど、このままここで三人で暮らしていくのも悪くないかなぁ……とか、私もいろいろ迷い始めちゃって。この辺りは都会のわりに環境もいいしね」

「確かにいいところだね。眺めも悪くないし。家賃は?」

「十三万八千円。共働きで子供一人ならまぁ何とかって感じなの。ただ……」

 あさりがカップから口を離して窓を見上げる。開け放ったベランダの窓からは階下に住む礼央君の声が聞こえた。

 真奈美は少し声を落とす。

「うちも最初から買えたらよかったなぁって思って。一つ下の階にママ友が住んでるんだけど、そこは賃貸じゃなくて分譲なの。旦那さんが若い時に買ったんだって」

 そう、栗山家が住む部屋は隆明君の名義なのだった。

 初めて聞いた時は驚いた。隆明君のお父さんが不動産に詳しい人で、実家を出る際に借りるなら買っておけ、と資金まで援助してくれたらしい。

 心底羨ましいと思った。同じように家賃を払って住んでいた宮下家とは違い、栗山家は売れば新たな家の軍資金として回収できるのだ。

「じゃあその部屋を買ってリノベーションすれば?」

 あさりに真顔で言われ、ぶっとお茶をふきだしそうになった。

「おかしい?」

「うん、それは無理。だって1LDKだもん。今でさえ手狭なのにもっと片づかなくなっちゃうよ」

 あさりは黙って部屋を見回した。

 覚悟はしていたものの、プロにまじまじと現状を見られるのはやはりバツが悪い。真奈美は会社のお土産でもらったお菓子があったのを思いだし立ち上がった。

「ごめん、私ばっかり話しちゃったね。あさりはこれからどうするの。仙台に戻ってまた設計の仕事するの?」

「見たい」

「え?」

「その下の階の1LDKの部屋、見せてもらってもいい?」

 

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