たっぷり外で遊んだせいか亘はいつもより早く寝ついてくれた。スイッチが切れたような寝顔に自然と口元が緩む。
やっぱり、二人目が欲しい──
子育ては大変だけどこの愛しさには敵わない。
春香は子供ができないと思っているみたいだけどそうじゃない。ずっと亘に兄弟を作ってあげたいと思っていた。ただ余裕がなかったのだ。時間的にも、そして金銭的にも。
裕司はまだ帰ってこない。真奈美はリビングでパソコンを立ち上げると不動産サイトを開いた。
巣を探そう。ゆとりを持って、子供二人を育てられる巣を。
まず「中古マンション」「東京23区」で検索をかけてみる。
都内が金額的に厳しいのはわかっているけどダメ元だ。何てったって受けられる支援が違う。
今、県から支給される児童手当は月一万円。それもある程度貯まったらNISAで運用しようと、専用の封筒に入れて使わないようにしている。亘が小学校にあがれば習い事にもお金がかかるようになるだろうし、二人目ができれば新たな保育料もかかる。
神奈川では二歳までは無償の対象外だった。だから、
〝東京に住めば二歳児までの保育料もゼロになるよ〟
そう春香から聞いた時は驚いた。潤沢な税収によって都の子育て支援はどんどん手厚くなっているらしい。受けられるサービスを考えれば東京に住みたいのは山々だ。
間取り「3LDK」
価格「四千万」
駅徒歩「十分以内」
さらに検索条件を加えエンターキーを押す。すると八十六件がヒットした。
「あれ……意外とある……」
真奈美は一つ一つの物件を食い入るように見ていった。初めに提示されたのは北綾瀬の物件だ。千八百九十万円と安いけれどさすがに通いづらい。
裕司の会社は神奈川の武蔵小杉にあり、真奈美の勤め先は渋谷の駅ビルに入っている。今は東急線を使っているので互いに三十分とかからずに着けるし、なるべくならこれ以上通勤時間を増やしたくない。
しかもよくみると築年数が古く、間取りは3DKでも五十平米に満たなかった。これなら今の部屋の方が広い。
次の物件をクリックする。
都営三田線志村坂上駅、急に価格が上がって二千九百八十万円。
駅からは近いけれど築五十一年。将来売ることも視野に入れれば、やはり古すぎない物件がいい。
次。日暮里・舎人ライナー・谷在家駅。三千万。聞いたことがない駅だ。調べると遠くて建物も古い。
小田急線祖師ヶ谷大蔵駅。三千二百八十万。古くて狭い。しかも北向き。
陽あたりは重要だ。
検索条件に南向きと築三十年以内を追加してみる。するとヒット件数が一気に七件になってしまった。
「七件!?」
仕方がないので慌てて予算を上げる。
二人で借りられるローンのMAXは五千万円だった。
ただ返済や子供の教育費のことなどを考えれば、家にあてる費用は四千万に抑えたい。それも新築での話だから、中古ならリフォームも考えて初期費用は三千五百くらいに収めたいところだ。
マグカップを引き寄せ、すっかり冷めてしまった豆乳ココアをずずっと飲む。長い夜になりそうだった。
三月に入り、薄手の上着で出かけられる日が多くなってきた。
特に今日は朝から春の陽気で、真奈美は会社の定例会義の間に二度ほど寝落ちしそうになった。
亘を寝かしつけたあとにネットで物件をあたる日々が続いていた。
都内は早々に諦めた。予算内でもどんどん都心や駅から離れるか狭くなるかで、そうでなければあり得ないほど古い。
家を持つことがこんなに難しいなんて、と探すほどにため息が出る。
真奈美は進学で上京するまでずっと社宅暮らしで、持ち家に対する憧れもあった。子供の頃から住宅の広告を見ては未来の家を想像したり、間取りを描いてみたりしたものだ。
けれど理想通りのマイホームは手に入れられそうになく、残る選択肢はなるべく条件に近い手頃な物件を探しだし、可能な限り手を入れることくらいだ。とはいえホームセンターで手に入りそうな建材で、表面だけ取り繕ったような内装にはしたくない。
さらに欲を言えば、春香みたいに建築士と打ち合わせとかしてみたい。
自分では思いつかないような素敵なプランを考えてもらい、照明や家具、カーテンもコーディネートしてもらう。それぐらいの夢は残したっていいじゃないか。
などと考えながら電車に揺られているといつの間にか一つ前の駅だった。
二子橋を渡りながら車窓の景色を眺める。このところ暖かい日が続いたからか河川敷が一気に春めいてきている。この様子なら今月中に桜が咲きそうだ。
去年の桜も早かった。三度目となった栗山家との花見はあいにくの花冷えで、季節外れのジャケットを着込んで集まったのを思いだす。それでも持ち寄った弁当をレジャーシートに広げて明るいうちから乾杯をした。
来年の今頃はお互いどこで暮らしているのだろう。
今年で最後になるなら、せめていつも以上に楽しく盛大にやりたいと思った。
様子がおかしいと感じたのは始まって間もなくだった。
宮下家、栗山家恒例の花見は考えていたとおり三月の終わりに行われた。
当日はうららかな花見日和で真奈美は朝から鮭とシーチキンの二種類のおにぎり、また唐揚げと卵焼きを作って二つのお重に詰めた。
一方、春香はサンドイッチと野菜のおかず、フルーツを用意してくる予定だった。しかしフルーツが間に合わなかったのか、春香の夫の隆明君が弁当に手を伸ばすこともなく、慣れた手つきでひたすらリンゴの皮を剝いている。
随分うまいなと思ってみていると「どうぞ」と旗付きの爪楊枝を刺して渡してくれ、何だか恐縮してしまった。
また、春香は毎年梅酒を作っていて、この日も自分は飲めないけど持ってくると話してくれていた。まろやかでとても美味しいので楽しみにしていたのに、それらしき瓶は見あたらない。
春香はおっとりした雰囲気とは裏腹に普段からきっちりしていて、細々としたことでも忘れないことが多い。きっとよほど慌ただしかったか、もしくは何かあったのだろう。
亘はひとしきり食べたいものを食べると、ボールを持って礼央君をせかし始めた。
「礼央君、早く遊ぼ」
「亘、せかさないの」
注意をしても待ちきれないらしく、亘はおにぎりを口いっぱいに詰め込む礼央君を間近で見ている。そうして食べ終えると、待っていたとばかりに二人で駆け出した。二つ下の礼央君を亘はよく連れ回すし、礼央君も懐いているので見ていると本当の兄弟みたいだ。
「遠くに行くなよー」
学生時代はバンドをやっていたという隆明君がよく通る声をかける。こうした姿も来年には見られなくなるのか……と寂しく思っていると隣でぼそっと春香の声がした。
「一緒に行きなよ」
その声のトーンの低さに場の空気が凍りつく。
「あ、あぁそうだね。ごめん行ってくる」
そそくさと追いかける隆明君の後ろ姿を裕司と見つめた。春香は黙々とリンゴを食べている。
真奈美はある日の帰り道を思いだした。
いつものように保育園のお迎えでばったり春香と会った。道中で春香のスマホに連絡があり「隆明だ。ごめんね」と言って話し始めた。
うん、うんとしばらくはいつもの可愛らしい春香の声だったけれど、次第に無言になり、見れば眉間に皺を寄せていた。
「で、どうする気」
その声は聞いたことがないほど圧があって、家での二人の関係性を垣間見た気がした。あの時と同じ声だ。
裕司も気づいたのか落ち着きのない視線を向けている。
「春香ちゃん、何かあった?」
それとなく聞くと春香はハッと顔をあげ、気まずそうに目を伏せた。
「実はね、昨日家の打ち合わせがあったの」
土地を決めた、という話は三週間ほど前に春香から聞いていた。
けして広くはないが用賀の住宅地で見に行ったら近隣環境も悪くない。早速土地探しから一緒にあたっていた建築士がラフプランを出してくれることになり、その一度目の打ち合わせだったと言う。
「間取りの希望は隆明ともよく話してたし、建築士にも伝えてあったの。ただ土地が狭いから全部を反映させようとすると無理があって……」
それで優先順位を決めましょうということになった。
春香は庭をけずって収納など家の中の機能を充実させたい。外からの視線も気になるし、防犯的にもなるべく〝閉じた〟造りの家を建てたいと思った。
一方隆明君は収納は少なくてもいいから庭は絶対欲しい。夏はバーベキューをしたいしできればピザ窯も置きたいと言いだし、建築士の前で口論になってしまったとか。
「そんなこと今まで言ってなかったじゃない。だいたい都会の汚れた空気の庭でピザなんか焼いたって美味しくないよって。それに収納いらないって言うならあなたのオーディオまず捨ててよね、たまにしか聞かないのにどんどん増えるし私ずっっっと我慢してたの。そう言ったら私のバランスボールこそ邪魔とか言いだして。あれは礼央も遊ぶの。しかもテレワークの時に椅子がわりに使うと腰痛予防にもなるの。でもオーディオは隆明しか聴いてない。結局自分のことしか考えてなくて」
「あ! 俺も亘の様子見てこようかな」
春香の口調に一抹の恐ろしさを感じたのか、裕司がそそくさと立ち上がった。
春香と隆明君の口論話は、帰宅後の第二ラウンドに移る。
風とともに桜の花びらが舞っている。抜けるような青空のもと、人々が犬の散歩をしたりランニングしたりしている。
真奈美は隣でリンゴを食べながら、間取りでモメるだけまだいいじゃないと思った。
『理想の家はどこにある』は全4回で連日公開予定