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 検査キットは、注文した翌々日にクール宅配便で届いた。スギ、ヒノキ、卵白、そばなど約四十項目のアレルギーの原因物質が検査対象だ。エビとカニも、もちろん入っている。

 血液の採取は、細い針をちょっと刺すだけで、簡単にできた。早速送り返すと、二日後の昼過ぎに、検査結果が出たという通知がメールで届いた。指定されたアドレスにアクセスすると、結果が表示された。

 思った通りだった。エビ、カニをはじめ、項目に入っている食材はすべてセーフだった。唯一「擬陽性」と出ていたのが、蛾だった。擬陽性とは陽性とも陰性ともはっきり判定できない状態だそうだ。鱗粉を吸い込んだら、花粉症のような症状が出る可能性があるのかもしれない。窓から侵入されないように気をつけよう。

 帰宅すると、キッチンで料理をしている母に結果を報告した。

「大丈夫だったよ。エビもカニも問題なかった」

 喜んでくれるかと思った母は、浮かない表情だった。

「民間企業の検査って、信用できない気がするわ。やっぱりお医者さんに行って、ちゃんとした検査を受けてほしいけど」

「医療機関の検査と同レベルの検査だって書いてあったよ」

「でも……」

 ぐずぐず言われて、さすがにムッとした。母が大げさに心配するから三万円近くかけて検査を受けたのだ。なのに、結果を受け入れようとしないのは、納得できない。

「お母さんは、心配性がすぎるんだ。今回に限った話じゃないけど」

「そうは言っても……」

「お母さんの健康に対する考えは、極端すぎる。言う通りにしていたら、人生が味気なくなるっていうか……」

 母は目を見開くと、唇を震わせた。眼のふちに涙が盛り上がる。

「……舜ちゃんがそんなひどいことを言うなんて、信じられない」

 舜は、息を大きく吐いて、心を落ち着けた。母と深刻な口論をしたくなかった。でも、もう自分の気持ちをごまかせない。

「心配してくれるのは、ありがたいと思う。食事を用意してもらったり、洗濯してもらったりで、世話をかけてるのも分かってる。でも、お母さんの極端な方針には従えない」

 母の顔色をうかがって、自分の意に沿わない行動をとるのは、もうやめたい。いや、やめなければいけない。

 さすがにそこまでは言えなかった。でも、それが舜の本心だ。

 母の顔がみるみるうちに青ざめていく。倒れこむようにダイニングの椅子に座ると、テーブルに突っ伏した。それを見ているうちに、子どもの頃の記憶が蘇り、舜の胸に苦い思いがこみ上げた。

 

 健康への意識が高い母は、舜が子どもの頃、お菓子とジュースを禁止していた。おやつは煮干しかドライフルーツ、飲み物は牛乳か麦茶である。ゲーム機も、脳の発達によくないからと、買ってもらえなかった。

 友だちに羨望と引け目を感じながら過ごす日々は、灰色だった。自分もお菓子やゲーム機がほしいと母に訴えても「身体に悪いから」で片づけられた。店を継いだばかりの父は、毎日疲れ切っており、舜の話を聞いてくれなかった。

 母が態度を軟化させたのは、友だちの母親から苦情を言われたのがきっかけだ。舜が小学三年生の頃だった。

 ――遊びに来るのはいいけれど、ジュースやお菓子をいつも出せるわけではないし、ゲームは皆で順番を守ってやってほしい。

 お菓子を貪り食い、ゲーム機を独占する舜を見かねての苦言だったようだ。

 ショックを受けた母は、舜を激しく叱責した。その様子を見た父が、ようやく舜の辛さに気づいてくれた。そして、母を諭した。

 ――健康への意識が高いのは悪いことじゃない。でも、友だちの家でお菓子をねだったり、嘘を吐いてゲームをしたりするのは、ウチの方針が厳しすぎるからだ。ほどほどにしないと、舜が生きづらくなってしまう。

 母には、相当葛藤があったようだ。しかし、父の言葉を受け入れ、手綱を緩めた。お菓子やアイスは小遣いで買う、ゲーム機で遊ぶのは一日三十分といったルールを作った上で、それらを与えてくれたのだ。ゲーム機を手にしたとき、こみ上げてきたのは、喜びではなく安堵だったのを今でも覚えている。

 その後も母は健康を理由に、舜の生活に口出しをしてきたが、舜が成長するにつれて、親子の力関係は変化した。舜の行動範囲が広がり、母の目が届きにくくなったのだ。それをいいことに、適当に羽を伸ばした。苦情の一件以来、父が舜の様子を気にかけてくれるようになったのも大きい。こっそり小遣いを渡してくれたり、外食に連れて行ってくれるようになったので、小学生の頃のようなストレスは感じなくなった。

 母に直接言い返せるようにもなった。

 ――たまに友だちとファストフード店に行って何が悪いのか。喫煙者の先輩の車に乗せてもらったからといって、肺がんのリスクがはねあがるわけがない。

 ただ、心のままにふるまっているかというと、それは違う。

 母の心配スイッチが入ると鬱陶しいから、自制してしまうのだ。母の悲しそうな顔も見たくなかった。母は、舜の健康を過剰に心配するという一点を除けば、朗らかで愛情豊かな人だった。そして、心配は愛情の裏返しでもあると思うのだ。

 でも、ようやく分かった。たとえ愛情が元になっていたとしても、「心配だから」という理由で、子どもの行動を縛ろうとするのは、行き過ぎだ。ましてやこっちはいい大人である。

 

 舜は、ダイニングテーブルに両肘をつき、白いものが交ざり始めた頭を抱えている母を見た。

 弱いものいじめをしてしまったような、後味の悪さがこみ上げる。

「ごめん、言い過ぎた」

 声をかけて、三階の自室に向かった。

 久しぶりに、不動産会社の賃貸検索サイトをのぞいてみよう。母が「健康管理が心配だ」という理由で強硬に反対するのが目に見えていたので、一人暮らしをする踏ん切りがつかなかった。

 二十七歳、遅すぎる自立ではある。でも、もう迷わない。自分の生き方は自分で決める。

 

(第4回につづく)