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『京都ホテルキャピタル』は京都では珍しい高層ホテルだ。建築当時は反対運動も盛んだったが、今ではすっかり京都の街並みに溶け込んで、なにごともなかったかのように、京都市役所と向かい合っている。本村の実家は烏丸二条にある。長い歴史を持つ薬問屋で立派な屋敷なのだが、警備の関係もあって、京都に帰って来た時、本村はこのホテルを定宿にしている。ホテルは京都のメインストリートである河原町通に面しているが、車は大抵、御池通から回り込んだ東側の玄関に横付けされる。
「お帰りなさい。お待ちしてました」
にこやかな笑みを浮かべながら支配人の駒河等が、クラウンマジェスタから降りた本村を迎える。
「コマさん。相変わらずお元気そうで。もう大丈夫なんですか?」
本村が駒河の手を力強く握る。
「その節は、お見舞いのお花をありがとうございました」
支配人の駒河は、最近ちょっとした手術を受けた。どこから聞きつけたのか、本村から見舞いの花が病室に届き、駒河は痛く感激したのだった。細やかな気配りは政治家の常道とはいえ、やさしい声を掛けられた駒河は感激を新たにしている。
「おい! 本村。いい気になってるんじゃないぞ。きさまが総理になるなんて、絶対俺は許さないからな」
そんな和やかな雰囲気を、駐車場から小走りに近づいて来た初老の男の叫んだ声が一瞬にして変えた。本村の周りを固める木下らSPは、声の主をすぐに取り囲んだ。
「何をするんだ。俺は何もしちゃいないぞ。お前たちは善良な一般市民の自由を奪うのか。俺は、本村に言いたいことがあって来たんだ」
赤いチェックのシャツに茶色のダウンジャケットを羽織り、長い白髪を後ろで束ねた男はなおも叫び続ける。
「木下、大丈夫だ。この人はどうやらわたしに話があるらしい」
本村が落ち着いた様子で男に近づいて行く。木下らは仕方なく男から離れる。
「先ずお名前を聞かせていただけますか。あまり時間はないのですが、お話は伺います」
本村が男の前に立った。
「黒岩だ。黒岩建夫だよ。お前と竹原に全てを奪われた黒岩だ」
黒岩と名乗った男は、かぶっていた茶色い帽子を直しながら本村を睨みつけた。
「あなたが黒岩さんでしたか。たしか『黒岩開発』の社長さんですよね。わたしにどんなご用ですか」
「元社長だ。『黒岩開発』はとっくに倒産したよ。あんたと竹原のおかげでね」
そう言いながら、本村に唾を吐きかけた。警備にあたっていた『洛東署』の石田毅巡査が素早く駆け寄って黒岩の腕を掴む。
「暴行の現行犯です。署まで同行願えますか」
「なんだ。これくらいのことで逮捕するとでも言うのか」
黒岩が石田の腕を振り払おうともがく。
「これ以上暴れると公務執行妨害も加わりますよ。おとなしくしてください。本村さんに唾を吐きかけた行為はれっきとした暴行罪です。二年以下の懲役もしくは三十万円以下の罰金または拘留もしくは科料」
石田が淡々と黒岩に告げる。
「刑事さん。僕は彼から暴行を受けたとは思ってません。だからその人を離してあげてください。きっと偶然唾が出てしまったのでしょう。黒岩さん、お話ならいつでも伺いますが、予めご連絡ください。突然だと中々時間が取れませんから」
本村はハンカチで上着の胸を拭くと、踵を返して駒河と一緒にホテルに入って行った。
「ラッキーやったな。もう二度とこんなことするなよ」
石田が黒岩の背中をポンと押す。
「チェッ。本村のヤツ、いいかっこばっかりしやがって」
黒岩は何度もホテルの方を振り返りながら駐車場に歩いて行く。
「ケンちゃん。今の見た? カッコいいねぇ」
事の顛末を間近に見ながらシャッターを押していた星井が小林を振り返る。
「なんか、映画のワンシーンみたいでしたね」
「まわりを意識したパフォーマンスと違いますか。誰も見てないとこではどうなるか分かったもんやありません」
星井と小林の興奮をよそに、さすがに新聞記者だけあって、白木はひとり冷静に見ている。星井はそこに痛く感心した。
黒岩の帽子が風に飛ばされるが、どうやら気付いていないらしく、まっすぐ歩いて行く。
「ちょっと失礼します」
白木は帽子を拾い上げ、駆け足で黒岩の後を追った。
「何か情報を取ろうとしてるのかな。政治記者は大変だな。あんな危ない輩にも取材しなけりゃいけないんだから」
星井と小林は本村に付いて歩いて行く。
『桃華』はホテルの地下にある中華料理の店だ。この日は日曜日とあって家族連れや中年女性のグループがランチバイキングに列をなしている。無論本村はそれとは別の個室に向かっているが、本村に気付いた女性の間から大きな歓声が上がった。本村はその声に軽く手を挙げる。それにまた女性たちがハンカチを振る。
「本村先生、あんまり時間がないので急いでください」
先導する駒河が先を急がせる。
「やぁ、イッちゃんご無沙汰やな。元気そうで何よりや」
「ツトムこそ元気そうやないか」
個室の前で出迎えたのは本村の中学時代の同級生である竹原勉だ。竹原の実家は三条河原町で数寄屋造りの瀟洒な旅館を経営していたが、時代の波に乗り切れず廃業した。しかし竹原はその経験を生かして会員制のリゾートホテルチェーン『バンブーフィールド』を立ち上げ、急成長を遂げた会社の社長として経済界からも注目を浴びている。
「昼食会って、二人だけなの?」
地元政財界の主だった人間が一堂に会しての食事風景を想像していた星井は、拍子抜けしたように息を切らして戻って来た白木に訊ねる。
「ええ。お二人だけです。でもこれって、結構重要なイヴェントなんです」
「っていうと?」
星井はカメラを構えるポイントを探りながら白木の答えを待つ。
「本村さんがこの時期に帰省っていうか、京都に帰ってくるのは、中学の同級生に会うためなんですわ。今日は来てませんけど、神戸のスイーツメーカー『ショコラトゥール』の社長である鶴岡朋彦と三人で食事するのが恒例行事なんです。去年の十二月に『ショコラトゥール』が製造したクリスマスケーキの原材料に虚偽表記があったことが発覚して、今日は鶴岡は来てませんが。きっとその事後処理に奔走してるんだと思います」
白木はよほど急いで戻って来たのか、この寒空にも拘わらず、びっしょりと汗をかいている。
「本村さんと竹原さん、鶴岡さん、つまりは仲良し三人組ってわけだね。どこの中学校だかしらないけど、三人とも揃って出世頭ってすごいじゃないか。よほど名の知れた名門校なんだろうね」
星井が訊いた。
「『鴨東中学校』というて川端二条にあったんですけど、生徒数が激減して平成八年に廃校になりました。洛中の公立学校は減る一方なんですわ」
白木がハンカチタオルで汗を拭っている。
「自分たちの母校がなくなれば、余計に連帯感が強まるんだろう。毎年そうやって三人が集まるっていうのも分かる気がするな」
星井は二人が向かい合うテーブルの横で撮影の準備を始める。
「政治部の記者をしている白木直人と言います。今日から暫くの間よろしくお願いします」
白木が本村に名刺を差し出し、白木に紹介された星井もそれに続く。
「『都新聞』さんですね。松嶋君、僕の名刺を」
本村が呼ぶとすぐに秘書の松嶋英子が名刺入れを持って来た。
すらりとした長身を黒いミニのスーツに包んだ松嶋は、絵に描いたような政治家の秘書だ。普段は京都の事務所に常駐していて、公設第二秘書という肩書を持っている。本村がそう紹介した。ふくらはぎから足首にかけてのカーブが美しい。足フェチの星井が足から顔へ視線を上げていくと、松嶋は白木を見ていた。
「ご紹介しましょう。これが中学校からの大親友、竹原勉です」
紹介された竹原が立ち上がって二人と名刺交換をした。
「で、僕らはどうすればええんかな」
同級生と二人だけになった気安さからなのか、本村の言葉が京都弁に変わった。
「普段通りで結構です。毎年この時期にお食事をされるんですよね。いつもと同じように、和やかに歓談していただければ随時撮影します。カメラを意識しないで貰えるとありがたいです」
「インタビューは別の機会を設けてありますので、今は写真だけでいいようです」
秘書の松嶋が、手帳を見ながら本村に言う。
「飲んでもええんかな」
本村が松嶋の顔色を窺うと、にっこりと笑って返した。
「シャンパン持って来て。ヴーヴクリコのフルボトル」
間髪を入れず駒河がボーイに告げる。本村がいつもシャンパーニュを愛飲していることを駒河はきっと承知しているのだろうが、さすがに手慣れたホテルマンというのは手際がいい。業種は違っても、こういうプロならではの仕事ぶりに星井は痛く感動する性質だ。三脚を立てながら、星井はずっと駒河の動きを目で追っている。
「ツトム久しぶり。乾杯」
「イッちゃんお帰り。乾杯」
ひとり欠けてはいるが、仲良し同窓生の昼食会が始まった。星井はアングルを変えながら二人の食事風景を撮影する。
「来た来た。このフカヒレがたまらんわな」
二人の前に出されたのは『フカヒレの姿煮』だ。太い繊維を箸でつまみながら口に運ぶ。星井はファインダーを覗くうち、お腹が鳴る。
「ところでちょっと込み入った話なんやけど……」
竹原が周りを窺うように話を切り出す。
「白木さん、申し訳ないんだけど、少しの間、席を外してもらっていいかな。ちょっと二人だけで話したいことがあるんだ。直ぐ終わるから、そっちの部屋で待っててください」
阿吽の呼吸で竹原の意図を察知した本村が言った。
「わかりました。お話が終わったら声を掛けてください」
白木が星井と小林を促し、松嶋を残して部屋の外に出た。
「これを見てくれるかな……」
三人が居なくなったことを待って、竹原は『ゼロハリバートン』のブリーフケースを膝に置き、フラップを開けて白い封筒を取り出した。
「なんや。彼女からのラブレターか」
レンゲでスープを飲み干した本村が、ナプキンで口を拭う。
「そんなエエもんやない。冗談と違うんや。こんな妙な絵手紙が来た。ちょっと見てくれよ。どういう意味かわかるか」
竹原が白い封筒から出した便箋には、不思議な絵が描かれていた。手前に川の流れがあり、岸辺に柳の木が四本植わっている。その向こうには瓦屋根の民家が三軒建っていて、屋根の上に二羽のカラスがとまっている。
「なんやこれ? 意味不明とはこのことやな。さっぱり分からん。差出人は誰なんや。この粉は何やろ? ざらざらした茶色い粉が付いてるけど、これは最初から付いてたんか?」
本村は指をこすり合わせて指先の匂いを嗅ぎ、顔をしかめる。
「もちろん差出人は書いてない。いたずらやと思うんやけど、妙に気になってな。茶色い粉? それは気がつかんかったな」
「相変わらず大雑把やな。そういうとこは大人になっても直らんのかなぁ。消印は『京都中央』になってる。京都から送ってるんやな」
本村は封筒を念入りに見てから言った。
「いたずらやろ、きっと。そんなに気にすることやないと思うぞ。これくらいで気にしてたら政治家なんかは務まらん。この手の手紙は、うちの事務所にもしょっちゅう来るからな」
「警察に届けんでもええかな」
「これだけでは警察でも取り合うてくれんやろ。また次に何かあったら相談しようや」
「いちおう預かっておいてくれるかな。僕が持っていても仕方がないから」
そう言って竹原は封筒ごと本村に渡した。
「ところで奥さんとの話はどうなんや。うまく方がつきそうか? その件とこの絵手紙は関係ないんか」
松嶋が横目でちらっと竹原の顔を見る
「なんとも言えんな。今のところ進展は無しやけど、弁護士は今年中には何とか、て言うてくれてる」
竹原がシャンパーニュをゆっくりと飲みながら、何気なく松嶋の横顔を見る。
「そうか。きっとツトムには後援会長を頼まんならんと思うから、身を綺麗にしておいて貰わんと。足をすくわれたらかなわんよ」
「すまん。心配掛けるけど、近いうちにちゃんと解決するから安心してくれ」
竹原が頭を下げる。
「そうか、わかった。よし、この話はこれでええな。おーいコマさん。取材の人たちを呼んで来てくれるか」
その声を待ちかねたように三人が部屋に戻って来た。
「すみませんでした、お待たせして。おかげで彼は十億円の政治献金を約束してくれましたよ」
「え? 本当ですか?」
白木が驚いて声を上げ、竹原は目を剥いた。
「冗談に決まってるじゃないか」
本村のジョークに周りは笑いに包まれたが、白木は唇を歪ませていた。
次に出されたのは『酢豚』だ。
「フカヒレの後に『酢豚』というのがいかにもイッちゃんらしいな」
竹原が笑いながら箸を伸ばす。
「中華の中で一番好きなんはこの『酢豚』やな。子供のときに食べて、こんなに美味しいものが世の中にあるのか、って思ったんだ」
本村は大きな豚肉の塊にたっぷりと餡をからめて口に運び、うっとりとしている。
その後は『海老の天ぷら』『上海風やきそば』と料理が続き、和やかな雰囲気の中、二人だけの午餐が終わった。
「また近いうちに会おうな。今度はトモも一緒に」
竹原の言葉に本村が応える。
「トモも大変だよな。産地偽装とはいっても、トモはむしろ被害者みたいなもんやないか。だってカカオパウダーの製造業者が中国に委託してたって、トモの会社に内緒でやってたんだろう? 長年取引を続けて来た相手なら信用し切ってるよ。そこまでは把握出来ないよな。でも、あの真面目なトモはトラブルをひとりで背負いこんだんだ」
すっかり話しこんでしまい、予定の時間を大幅にオーバーしていた。竹原のお抱え運転手、水口がレストランの入口まで迎えに来ている。
「軽井沢まで車で帰るんか?」
「うん。車の中ではずっと寝てる。これが一番楽でええわ。寝てる間に移動出来るのが好きなんや」
「そうか。元気で」
「イッちゃんこそ元気でな。きっとハードな日が続くと思うから」
お互いにエールの交換をした別れ際、思い出したように竹原が言う。
「そうそう、例の件、今年はトモと済ませておいたから」
それを聞いた本村の目が、一瞬曇った。
その後、固い握手をして二人はレストランの前で別れる。
「で、この後は?」
撮影機材を片付けながら星井が白木に訊ねる。
「本村さんは必ず昼寝をされるんです。これが健康の最大の秘訣だそうで。なので、六時から始まる晩餐会までは撮影はありません。ホテルの部屋ででも休憩しててください。常宿にされている『洛東グリーンホテル』を取っておきましたから」
「それはありがたい。じゃ、我々も昼寝しようか。健康のために」
星井と小林は地下の駐車場に向かった。
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