第一章
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二〇〇九年二月一日。JR京都駅の新幹線ホームは真冬の寒さをよそに熱気に包まれている。総理に一番近い男と言われる京都選出の衆議院議員本村誠一がお国入りするのを多くが待ち受けているからだ。横浜に事務所兼自宅を構えるプロカメラマン星井裕もその一人。『都新聞』からの依頼で本村の京都での動向をルポルタージュする記事の写真撮影が今回の仕事だ。助手の小林健を引き連れて、本村が駅頭に降り立つ瞬間からを追うことになっている。
星井は今年四十六歳になる。質の高い写真と記事で人気を集める雑誌『ラ・ポンテ』で、食や伝統工芸などのグラビアページを担当している。特に、京都の写真を得意としていて、雑誌の京都特集には欠かせない存在となっていた。古くからの慣習が残り、ひとつ筋道を間違えば取材は困難を極める京都だが、雑誌にとってはドル箱とも言える企画のひとつが京都特集である。編集者の頭を悩ませる京都を取材するに当たって、京都人の心を理解し、皮相的なものではなく、京都の深奥にまで迫る写真を撮るフリーのカメラマンである星井は、各雑誌社に引っ張りだこなのだ。
それに加えて最近は、取材中に起きた事件を解決に導き、名探偵などとも呼ばれるようになっていた。
「すみません。遅くなりました。『都新聞』の白木直人です」
人で溢れる狭いホームですれ違いざま、息せき切った男がいきなり名刺を差し出したのに、星井は一瞬後ずさりする。
「あなたが白木さんですか。はじめまして、星井です。よろしく」
星井もウェストバッグから取り出した名刺を渡す。
「随分カラフルな名刺ですね」
臙脂色のロゴマークが印刷された名刺を、星井がまじまじと見る。
「今日からこの名刺に変わったんです。新しいロゴマークですけど、まだ馴染めませんわ」
白木が胸元の社員バッジを見る。
星井が最も苦手とする政治の世界にも拘わらず、今回の仕事を引き受けたのは、地元の情報誌『ルーフ』の編集長金井美智子のたっての頼みだったからだ。京都で取材をする時、金井には何かと世話になっている。加えて、プライベートでも金井の助けを借りる機会が多いことから断り切れなかったのだ。
午前十一時二十九分。『のぞみ一五号』が『N七〇〇系』ならではの流線型を見せつけるようにホームに入って来た。多くの報道陣が待ち受ける中、今や国民的アイドルともいえる本村が、故郷京都駅の十三番ホームに降り立つと、期せずして大きな拍手と喚声が湧き起こった。本村が笑顔で手を振ってそれに応える。群衆が一斉に携帯電話をかざして写真を撮る。星井は手持ちのカメラでその姿を追う。だがそれも僅か一分ほどのこと。山崎一三京都府知事に先導された本村は、SPに囲まれエレベーターに乗りこんだ。
「この後はどうすればいいんだっけ」
「十三時から『京都ホテルキャピタル』のレストラン『桃華』で昼食会がありますので、その様子を撮影して頂きます。勿論許可は取ってあります」
傍らに立つ白木直人が星井に言った。
星井が大きなリュックを背負い、小林は長い筒状のバッグとハードケースを持って、早足で歩いて行く。
駅の駐車場には銀色のカローラフィールダーが待機している。京都取材はレンタカーに限ると星井は常々思っている。分けてもトヨタレンタリースのこの車種を星井はいたく気に入っているのだ。
「この車でよかったですか?」
白木が口元を手で覆いながら星井に訊く。
「そうそう、これです。いつもこいつなんですよ。小回りは利くし荷物もたっぷり積める。何よりナビが優秀なんですよ。今回もよろしく頼むよ」
まるで子供の頭のように、星井が車の天井をなでてから後部座席に乗りこんだ。車は京都駅の駐車場を出た後一旦東に向かい、川端通を北上した。
「冬になると景色は一変するんですね。ほら先生、北山が真っ白ですよ」
ハンドルを握る小林が指差す。
「ほんとだ。あっちはかなり積もってるみたいだね。今年は雪が多いんですか」
助手席に座る白木に、星井が後ろから問い掛ける。
「そうです。何年ぶりでしょうかね。こんなに雪の多い冬は久しぶりです。けど、それは洛北に限った話で、この辺は殆ど降りませんわ。仮に降っても積もるということはまずないですから」
白木も前方の北山をずっと見ている。
「洛北と洛中では、そんなに違うもんですか」
星井は左に見える鴨川の並木に目を遊ばせている。
「ええ。たとえば上賀茂神社の辺りで吹雪いていたとしても、僕の住んでる出町柳ら辺で小雪、この辺やと雪の『ゆ』の字もないことは普通です。京都の天気はだいたい、今出川通辺りを境にして、ころっと変わるんですわ」
助手席から星井を振り返りながら、白木が答える。
「洛北は山に近いからですね」
「いえ、山に近いというより、もう山裾なんですわ。星井さんは、自転車で京都をまわらはったことありますか?」
「いやぁ、それはないですね。歩くか車かです」
「自転車で移動するとよく分かるんです。北から南に行く時は殆ど漕がんでもすいすい進むのに、逆に南から北へ行く時は相当頑張って漕がないと前へ進まへんのです」白木がその動きを再現するかのように身体を前後に揺すっている。「せやから南に行った時は時々自転車置いていきますねん。南へ行くのは自転車、北へ向かうのは電車かバス。大抵僕はそうしてますわ」
「車で走っていると、まったくそれは分かりませんね」
小林が白木を見る。
「北大路通の地面と『東寺』の五重塔のてっぺんとが同じ高さやと、子供の頃によう聞かされましたわ」
「なるほど。それで京都では北へ行くことを『上がる』といい、南へ行くのを『下がる』というんですね」
星井は納得したように膝を打った。
「それにしても、随分川の流れが激しいですね」
小林が横目で鴨川を見る。
「ここんとこ雨が多かったですから。それと北山からの雪解け水もあるんやと思いますけど」
白木が鴨川を覗きこんだあと、口元を手で隠すようにして後ろを振り返る。
「少しまだ時間があるので、この辺の風景も撮影して頂けますか」
「もちろんいいですよ」星井が白木の口元を見る。「白木さん、歯医者は苦手ですか」
「そうなんですわ。あのキーンという音を聞いただけで……」
白木がまた口元を手で覆う。
「でも最近は男でも明眸皓歯ですよ。早く治した方がいいと思うな」
三人は車から降りて鴨川の冬景色を撮影する。
「そろそろ本村さんがホテルに着く頃じゃないですかね」
小林が時計を見た。
「そうですね。予定では十二時四十五分に『京都ホテルキャピタル』玄関とありますから」
白木が皺のよったコピー用紙を広げる。そこには、本村が京都に滞在する三日間のスケジュールが、びっしりと細かい字で記されている。
「大変ですね。料理人を相手にしていても結構疲れますが、分刻みのスケジュールをこなす政治家の取材となると、そんな程度じゃないんでしょうね」
手書きの行程表を見られて恥ずかしかったのか、白木は慌ててそれをポケットに仕舞った。
『京都 美食カメラマンの事件簿 あの日、鴨川で。』は全3回で連日公開予定