今月のベスト・ブック

装幀=柳川貴代
『ジンタルス RED AMBER』
皆川博子 著
河出書房新社
定価 3,960円(税込)
皆川博子の最新長編『ジンタルス RED AMBER』(河出書房新社)が今月のベストだ。19世紀ロシアで農奴として生まれながら絵の才能を見出され、のちに詩も書くようになるミーシャの物語。ミーシャの造形は、ウクライナの国民的詩人シェフチェンコの生涯から着想を得たらしい。歴史を題材にしているが、どんなジャンルにも収まりきらない、皆川にしか書けない作品だ。
本書はミーシャの著した小説『秘密の法廷』が文芸評論家に厳しく批判される場面で始まる。『秘密の法廷』の主人公は、13世紀のバルト海沿岸で北方十字軍に虐殺された民族の生き残りであり、キリスト教に改宗することを強いられたジンタルス。文芸評論家はそんな昔の外国の出来事ではなく、今のロシアで生きる自分たちにとって関わりの深いことに思いを致すのが作家の使命ではないのかと疑問を投げかけるのだ。現代の日本の文学賞の選評においても、似たような意見を見かけたことがある。どうして場所も時間も“今ここ”から遠く離れた世界を描くのか。本書は素晴らしいアンサーになっている。
なかでも引き込まれたのは、タイトルの由来にもなっている紅い琥珀のエピソードだ。幼くして家族を失ったミーシャは、教会学校の生徒兼下僕になった。そこで彼を何かと気遣ってくれた輔祭(司祭の補佐)が、かつて琥珀は海の恵みだと思われていたと教える。琥珀は太古の地層で樹脂が化石になったもの。それが海に流れ出し、他の土地の海辺に流れ着く。琥珀は本来蜂蜜色で、海のように青い琥珀は存在しないけれども、紅い琥珀はまれに発見される。そんな話を聞いて、ミーシャは紅い琥珀に惹かれる。やがて教会を出た彼は、伯爵家の召使いをつとめながら絵を学び、紅い琥珀を描こうとするが……。
ミーシャは伯爵家の図書室で寝起きしているステンカという青年と親しくなる。2人が草の上で仰向けになるシーンがいい。見あげると樫の木のてっぺんが青い空の中にある。でも、てっぺんにのぼると、手の届くところはどこも青くない。ミーシャは〈空って、どこから青くなるんだろう〉と言う。物識りのステンカは、空や水が青く見える仕組みは理論的に解明されているはずだと返す。しかし、ミーシャは理論を超えた無限の〈時〉と無限の〈空間〉に思いを馳せる。そして、紅い琥珀は凝縮された〈無限〉だと感じる。
ミーシャが書いた『秘密の法廷』にも、空について語る場面がある。つまり、彼は自分の作品で無限を表現したいのだろう。ミーシャが19世紀ロシアを舞台にしないのは、“今ここ”だけ見ていても無限は表現できないからではないか。なぜ無限を追い求めるかといえば、無限は自由につながるから。ジンタルス、ミーシャの世界両方で、人々は戦争や圧政に苦しんでいる。ミーシャも自らの芸術に誠実だったために、過酷な旅に出ることになるけれど、最後には光のある場所に辿り着く。無限の未来を感じる1冊だ。
『烏と孔雀』(河出書房新社)の巻頭には、〈いずれも、「ただの物語」として目を通して(読んで)くださいますと幸甚です。〉という著者の言葉がエピグラフとして掲げられている。本書は2022年に逝去した津原泰水の単行本未収録作品を集めた短編集だ。津原はミステリ、SF、ホラー、幻想、音楽、グルメなどなど、いろんなジャンルを横断した小説をものしていて、何を読んでも驚かされる魔法使いみたいな作家だ。
14編の収録作は、コロナ禍のあとに書かれた作品が割合的には多い。読んでいるとウイルスに翻弄されていた当時の記憶がよみがえる。いちばん古いのは逃亡中の殺人容疑者が幼馴染に父親にまつわる不思議な話をする「幻獣たち」(1998年発表)。たった7ページでとんでもないところへ連れて行かれる。最晩年に発表された「リサイクル(亀井省吾の場合)」は、大切なギターを突然失った男に奇跡が起こる話だ。その奇跡の内容がチャーミングで思わず笑ってしまう。日下三蔵氏の解説「津原泰水の足あと」も必読。津原の珠玉の作品群を最良の形で読者に手渡すという、関係者の情熱が伝わってくる。
野沢きみの『宝石のこえ』(講談社)は、第20回小説現代長編新人賞受賞作だ。舞台は現代の日本と似ているが、宇宙人と友好的な関係を築いている世界。主人公の〈私〉は、生まれ育ったクソみたいな街を離れ、ある奨学金制度を利用して都会に引っ越す。その制度とは、〈宇宙人の店〉で働く代わりに、学費や生活費が援助されるというもの。〈私〉の仕事は、宇宙人に本を読み聞かせることだった。テレパシーを使う宇宙人にとって地球人の声は甘美らしく、声を聞かせると宝石を吐きだすのだ。〈私〉は新しい環境で充実した日々を送りつつ、過去を振り返る。
きらきら夢心地の話を想像していたら、思いがけない暗闇に降りていく。とりわけ印象深いのは、レジンに歯を埋め込んで宝石にしていた〈のろちゃん〉という女性の記憶だ。『ジンタルス』の琥珀が〈無限〉を凝縮したものだとしたら、本書の宝石は悲しみや寂しさや痛みを凝縮したもの。繊細で優しい感性は、キム・チョヨプやチョン・セランなど、韓国の女性作家の小説を思い出した。
音読がキーワードになっていることもあって、声に出して読みたくなる文章も魅力的。ぜひ手にとってみてほしい。



