小早川秀秋の寝返りにより西軍が総崩れとなるなか、島津隊は身動きがとれなくなっていた。そこで、島津義弘は死中に活を求めて、家康本陣の鼻先を強行突破! 激怒した家康の厳命で植田茂兵衛は島津を追うが、島津の捨て身戦法に大苦戦する。

 

「小説推理」2026年8月号に掲載された書評家・細谷正充さんのレビューで『三河雑兵心得 拾八 退き口仁義』の読みどころをご紹介します。

 

 

暗夜に君と星をたどる

 

■『三河雑兵心得 拾八 退き口仁義』井原忠政  /細谷正充 [評]

 

関ケ原の戦いが終わっても、植田茂兵衛の必死の奔走は続く。戦国足軽出世物語、絶好調の第18弾だ

 

 天下分け目の関ケ原といわれた戦いは、意外なほど早く趨勢が決定した。「三河雑兵心得」シリーズ第18弾となる本書の冒頭で徳川家康は、昼の八つ(午後2時)を過ぎたところで、東軍が勝利を確信しているのである。だが、最後の最後に、大きな波乱が起こる。ほとんど戦闘に参加していなかった西軍の島津義弘隊が、家康の本陣に突進し、その鼻先をかすめて戦場から去ったのだ。“島津の退ぐち”と呼ばれる、前代未聞の敵中突破による退却戦である。

 

 もちろんこの行動には、戦後を見据えた義弘の考えがあった。だが、戦勝に水を浴びせられた家康は大激怒。鉄砲百人組を率いる植田茂兵衛や、井伊直政隊と松平忠吉隊に、追撃を命じるのだった。

 

 茂兵衛を主人公にした戦国足軽出世物語は、関ケ原の戦いが終わっても、ますます快調。五十を過ぎて孫もいる主人公が、巧みな戦いぶりを見せてくれる。一方で追撃戦では、島津隊の死兵と、泥臭い殺し合いを演じる。幾つになっても我武者羅な茂兵衛の活躍が、楽しくてたまらないのだ。

 

 しかし島津隊の激しい戦いにより、茂兵衛たちは義弘を取り逃がす。しかたなく家康のもとに戻ると、新たに大坂城に居座る西軍の大将・毛利輝元を、城から追い出すように命じられるのだった。

 

 関ケ原の戦いで敗者になった島津家と毛利家は、どちらも生き延びることができた。しかしその行動と結果には、大きな違いがある。この差異を、主人公を絡めて表現することが、本書の狙いであろう。いうまでもなく茂兵衛は作者の創造した人物だが、史実との融合が巧みであり、本当にこうした経緯で時代が動いていたように思ってしまう。そこに作者の手腕が光っているのだ。

 

 また本書で茂兵衛は、家康から従五位下民部少輔の官位を与えられる。さらに三千石の加増により、八千石になった。大出世だ。ラストで匂わされるように、これから先の人生も大変そうだが、茂兵衛がどこまで行くのか見届けたいものである。