今月のベスト・ブック
装画=yoco装幀=坂野公一
『法月綸太郎の不覚』
法月綸太郎 著
講談社
定価 2,090円(税込)
法月綸太郎は1980年代後半の“新本格推理”ムーヴメントからデビューした謎解きミステリ作家の大ベテランであると同時に、常に尖鋭的な論を放つ優れたミステリ批評家でもある。第25回本格ミステリ大賞評論・研究部門を受賞した新保博久との共著『死体置場で待ち合わせ 新保博久・法月綸太郎往復書簡』(2024年、光文社)でも、古典作品を出発点にしながら現代謎解きミステリに接続する鋭い視座を提示していた。今月のベストである『法月綸太郎の不覚』(講談社)は法月の批評家としての資質が遺憾なく発揮された中短編集である。
本書は作者と同姓同名の推理作家にして名探偵の法月綸太郎(以下、探偵・法月)が活躍するシリーズの最新作だ。探偵・法月の初登場作である『雪密室』(講談社文庫)が刊行されたのは1989年のことだが、その後のシリーズでは探偵・法月自身は年を取らず、物語の舞台は現実に即した形で書かれ続けた。『不覚』では2020年代の時代風俗を反映するような単語が頻出し、探偵・法月シリーズもついに令和の世に突入したのか、という感慨に耽る。例えば一編目の「心理的瑕疵あり」では事故物件に住むライターが、前の住居者と同じ首吊り死体となって発見され、探偵・法月が調査に乗り出すという話が描かれる。同編が発表された頃には松原タニシの『事故物件怪談 恐い間取り』(二見書房)のヒットなどで事故物件ブームが起こっていたが、作者・法月はそれを上手く謎解き小説の中に取り入れ、推理の過程に奇妙な味わいを加えることに挑んでいるのだ。
実話怪談的な要素を本格謎解きミステリに組み込む試みを更に発展させたのが「次はあんたの番だよ」である。中年男性がランニング中に老女の霊と出くわす実話怪談風のテキストが冒頭に挿入されるのだが、実はその怪談は探偵・法月の父である法月貞雄警視が抱える資産家殺しの一件に深くかかわっている、という話である。2020年以降のホラーブームにおける実話怪談とミステリの接近をおそらく念頭に置いた作品だが、ホラーとミステリの融合を企図した他の小説とはまた異なるアプローチで、パズル小説としてのミステリに一捻りを加えることに成功している。同編は探偵・法月と父の法月警視が自宅でディスカッションしながら推理を行う、都筑道夫の〈退職刑事〉シリーズへのオマージュを込めた作品だ。このスタイルは〈探偵・法月〉シリーズではすっかりお馴染みのものだが、同編では警視庁のコンプライアンス対策のため、法月親子の会話に録音が義務付けられるという場面が描かれる。“新本格推理”ムーヴメントで誕生した名探偵も常に変化を求められているようで、思わず笑みが零れてしまう。
収録作中の白眉は書き下ろしの中編「平行線は交わらない」だろう。これも「次はあんたの番だよ」と同様に〈退職刑事〉オマージュで始まるのだが、途中で探偵がこれまでのシリーズには無かったような展開になり啞然とする。2020年代以降に名探偵の物語を描くためには、こういう場面を描くことも必要なのだ、というミステリ批評家・法月の鋭敏な感覚を垣間見ることが出来るだろう。
謎解きミステリの人気シリーズ最新作では米澤穂信の『倫敦スコーンの謎』(創元推理文庫)も必読である。“小市民”として生きることを目指すため互恵関係を結んだ小鳩常悟朗と小佐内ゆきの高校生コンビを主役にした〈小市民〉シリーズの第二短編集だ。
表題作は調理実習で作ったスコーンが美味しくなかった、という余りにも些細な謎から連鎖的に推理が進んでいく過程が楽しい一編である。単なる好奇心ではなく、目立たず慎ましく“小市民”としての生活を送るために小鳩と小佐内は推理を行う、というのがシリーズの特徴でもあるが、同編では実に“小市民”らしい動機で謎解きに興じる点がユニークに感じるのだ。いわゆる日常の謎タイプの謎解き小説に属する作品集だがその色合いも様々で、例えば一編目の「桑港クッキーの謎」は美術ミステリの興趣を感じ取ることが出来る。ラストの「維納ザッハトルテの謎」における、青春小説としての幕切れも印象深いものだ。
犯罪小説の分野では深町秋生『血は争えない』(双葉社)が圧巻だった。“歌舞伎町の狂王”と呼ばれ恐れられた隻眼のヤクザの半生を昭和・平成・令和の時代を跨いで追う、年代的な要素を持つ暴力小説だ。
1970年、15歳の不破隆次は歌舞伎町を牛耳るフィクサー・王大偉に会うべく山形から上京した。亡くなった母は王大偉こそが隆次の父親であり、自分が死んだ際には彼を頼るようにと言葉を遺していた。とつぜん訪れた隆次を王の一族たちは相手にしなかったが、隆次は自身も王一族であることを認めてもらうため、異母兄のヤクザである近藤のもとで生活を送るようになる。
深町作品の特徴である壮絶な活劇描写が優れているのはもちろん、同作ではこれまでの作品に無かった雄大な時間の流れが物語に迫力を与えている。暴力団と日本社会の変遷が史実とともに語られているのもポイントで、「自分は社会から認められない」という意識を常に抱きながら生きる主人公の姿からは、単なる荒くれ者の物語ではない、もの悲しさも感じるのだ。



