今月のベスト・ブック
装画=出水ぽすか装幀=川谷康久
『さよならジャバウォック』
伊坂幸太郎 著
双葉社
定価1,870円(税込)
今回より「今月のベスト・ブック 国内ミステリー」を担当する若林踏です。今年9月に亡くなられた香山二三郎さんの遺志を受け継ぎ、「いま最も面白い日本ミステリは何か」を毎月お伝えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
さっそく今月のベストである伊坂幸太郎『さよならジャバウォック』(双葉社)をご紹介する。伊坂が『オーデュボンの祈り』でデビューしたのは2000年のこと。デビュー25周年を飾るに相応しい、驚きと企みに満ちた長編ミステリである。物語は量子という女性が自身の夫を殺してしまい狼狽えている場面から始まる。かねてからモラルハラスメントを行っていた夫は、量子が彼女の大学時代の後輩である桂凍朗と不倫をしているのではないかと邪推し、量子に暴力を振るってきた。その際にふとした弾みで量子は夫を金槌で殴り殺してしまったのだ。混乱状態に陥った量子に追い打ちをかけるように、タイミング悪く自宅へ訪問者が現れる。夫が量子との仲を怪しんだ桂凍朗その人だった。
という具合に序盤はスリラーとしては極めて常道的な展開を思わせるものになっている。いわゆる倒叙推理小説と呼ばれるような形式で量子の物語が進んでいくのかな、と大方の読者は予想するだろう。ところが話は意外な方向へと曲がり、その後も何度か屈折を繰り返し、様々な疑問を浮かび上がらせる。何だこれ。小説の冒頭には「なぜかしら、頭がいろいろな気持ちでいっぱい。何が何だかはっきり分からない。」というルイス・キャロル『鏡の国のアリス』の一節が引用されているが、まさに物語がどこに着地するのか、全く予想できないまま頁を捲ることになるのだ。小説には量子視点のパート以外に、「斗真」と題されるパートが並行して描かれるのだけれど、量子の物語との繫がりがはっきり分からず物語の謎は深まるばかり。果たしてこれは一体、と疑問が最大限に膨らんだところで作者の仕組んだ途方もない仕掛けが発動するのだ。デビューから25年、読者を翻弄し驚愕させる物語の技法を研磨し続けた伊坂が、また新たな技で唸らせてくれた。
『さよならジャバウォック』とは物語の興趣は異なるものの、「えっ、そういう展開になるの」と驚いたのは犬塚理人の『サンクチュアリ』(講談社)である。本作で主人公を務めるのは一色瑞穂という若手の検察官だ。東京地検の刑事部に配属されたばかりの瑞穂は、鏑木という男が4人の女性を殺害した事件を担当することになる。鏑木はSNS上で自殺願望を仄めかす女性に声をかけ、次々と殺害していた。しかし1人だけ鏑木の誘いを受けながらも殺されずに帰って来た女性がおり、なぜ鏑木がその女性を殺さなかったのか、という点に瑞穂の上司は疑問があるという。
このように瑞穂が扱う事件には「なぜ、その人物はそのような行動を行ったのか」という謎が描かれ、瑞穂がそれを解き明かすという連作形式の物語になっている。謎解き小説でいうところの「Why done it(ホワイダニット)」を題材とした連作小説として鑑賞できるもので、各編では人間の極端な心の有り様がもたらす真相に驚かされることになるのだ。
しかし、本書の読みどころはそれだけではない。第4話「聖域」では、それまで描かれた物語の背景に隠されていたものがとつぜん浮かび上がるという連作形式ならではの展開が待ち受けている。しかもその浮かび上がるもののスケールがやたらと大きく、「検事を探偵役とした謎解き連作集」という当初のイメージから想像も付かないものになっているのだ。この本、こんなお話になるの。話の広げ方にやや難を感じる部分はあるものの、物語を膨らませて楽しませる点は評価したい。
連作形式の作品を紹介したところで、今度はノンシリーズの短編集を。梓崎優『狼少年ABC』(東京創元社)は大藪春彦賞を受賞した長編『リバーサイド・チルドレン』以来、約12年ぶりとなる新作である。
それぞれ独立した短編作品だが、登場人物たちの青春模様に謎解きが重なるような形で描かれるという共通点がある。表題作はカナダの熱帯雨林に「狼の写真を撮る」という名目でやってきた3人の日本人大学生の様子を描いたものだ。雨林の中を歩いているうちに、1人の学生が唐突に「俺、昔、喋る狼に会ったことがあるんだよ」と語りはじめ、学生たちはその謎について議論をすることになる。次々と繰り出される推理、鮮やかに浮かび上がる真相と、謎解き小説としての様式が充実していることはもちろん、若者たちの人生模様が短い頁数の中でも細密に伝わる筆致に感嘆するのだ。2編目に収められた「重力と飛翔」は校舎から墜落死したクラスメイトが遺した奇妙な写真にまつわる謎解きが描かれる。使われているアイディア自体は素朴だが、それが却って物語に込められた切実な思いが読者に突き刺さることへ繫がっているのだ。このように本作では謎解きの技法そのもので驚かせること以上に、その技法を使って如何に繊細な青春模様を描くことが出来るのか、という点に力点が置かれている。ハワイを舞台に作中作に似た趣向で読ませる「美しい雪の物語」、同窓会で過去に起きた密室の謎に登場人物が向き合う「スプリング・ハズ・カム」など、各編の舞台や謎解きの趣向が多彩であることも良い。青春ミステリの短編集として胸に染み入る1冊である。



