7
谷口明音さんとは、たしかに一度会っていた。
前回の占いの相談は、売れないミュージシャンのカレシをこの先も支えるべきかというもので、ほとんどの恋愛事には「進め」の方向でカードを出していたけれど、彼女には一考をうながしたっけ。結局どうなったんだろう。
「私がちょっと距離を置いたら、別の女性に乗り換えられました」
「谷口さん自身は、その結果に納得がいってますか?」
「ええ。冷静になってみると、あいつはめんどうを見てくれる人を求めてただけってわかったんです。ユリア先生のおかげですよ。気づくまで、お金を無駄にしちゃいましたけど」
谷口さんが頭を下げてくる。
お金、か。時間や気持ちよりも先にその言葉がでた。やっぱりそれが、この人の行動の軸なのだろうか。
「それで今回は、新たな恋愛運でしょうか」
「いいえ。店を移るかどうかについてです。……って、んふふ。きっとママ、移らない方向に話を持っていってほしいって頼んでいるんじゃないですか?」
谷口さんはにこにこと笑っている。
「そんなことはないですよ」
「そうですかあ? だってユリア先生のことはママから聞いたんですよ。そこ、つながっていてもおかしくないじゃないですか」
頭のいい人だ。だけどここで認めるわけにはいかない。
「つながってはいません。兼光さんは占いのお客さまだっただけ。結果を気に入ってくださって、谷口さんをはじめお店の方を紹介してくれたんです」
「そうですか。私も占ってもらった結果を大変気に入っています。今回も正しい方向に導いてくれると信じてます」
その言葉に笑顔を返し、タロットカードを切る。
「お店を移るかどうかという話ですけど」
と、谷口さんはしゃべりはじめる。
「友達を助けたいってだけなんですよね。別の店で働いている友達がいて、その子、今、体調を崩してるんです。それでヘルプに行ったら、ママに知られて怒られたんですよ。ちょっと手伝っただけなのに、移るって誤解されてねちねちと。いづらいからいっそ本当に移ろうかな、って感じですね」
お金が目的じゃないの?
そう訊ねることはしなかったけれど、質問をかぶせた。
「誤解だったのなら、兼光さんと話をしてみてはどうですか」
「話しましたよ。ただ私、また友達にヘルプを頼まれたら行くと思うんですよね。だって彼女が心配だから。だけどそれ、許されなさそう。ママが知ったの、常連のお客さんをスパイにしてたからなんですよ。つまりどちらの店にも行ってるお客さんがいるんです」
「スパイは言いすぎでしょう」
「そうかも。でもママはけっこう陰謀しまくってますよ」
んふふ、と谷口さんはまた笑う。
だから谷口さんは、わたしを疑ったのか。従業員だけあって、兼光さんをよく分析している。兼光さんは、わかっているだけでも野島さん、谷口さん、とさまざまな陰謀を巡らせて、自分の意に添う方向に動かそうとしている。谷口さんが店を移りたい理由も、嘘をついた。
本当に、兼光さんの指示どおりにカードを出していいんだろうか。
わたしは、悩めるお客の背中を押すために占いをしてるんじゃなかっただろうか。
「あなたの運命は、カードが知っています」
いつものようにそう言って、カードをめくった。
「このカードはなんですか? おじさん? おじいさん?」
谷口さんが問うてくる。
「法王です。法王の正位置。人生の転換や、思いやり、愛情の深まりを意味しています」
兼光さんから怒りの電話が入ったのは、さらに翌日の遅い時間だった。
「なにやってくれてるのよ。明音、辞めるって言ってる。正反対の方向に誘導してどうするの」
「谷口さんの事情をうかがっていたところ、カードがそう出てしまったんです」
わたしはなんの細工もしなかった。カードそのものが、谷口さんの背を押したのだ。
「カードが? なに言ってるのよ。あなた、任意のカードを出せるよね。あなたのやってることは占いじゃなくてマジックでしょ。ううん、いかさま。人を騙してお金を巻きあげてるくせに」
「兼光さんこそ、わたしを騙したじゃないですか。嘘をつきましたよね。谷口さんはお金の不満があって店を移るわけじゃない。お友達のヘルプでほかの店に行っただけ。そのお友達が心配で――」
スマホからの大きな笑い声が、わたしの声にかぶさり、それ以上を話せなくなった。
「馬鹿じゃないの? それはあの子の言い訳。その友達とふたりで店を起ちあげるつもりよ」
「だけど、カードも思いやりを示していて」
「あたしとあの子、どちらを信じるかはあなたの勝手だけどね。同情を引くために舌先三寸で話を盛る子はいっぱいいるのよ」
あれはわたしの同情を引くための演技ってこと?
「だ、だったとしても、お店をはじめるつもりというのが理由なら、兼光さんの言ったお金の不満ってのも嘘で」
「ざっくり言えばお金じゃないの。嘘じゃないわ」
それはざっくりすぎる。この人こそ舌先三寸で話をくるくると変えてくる。
「ともかく責任は取ってもらう。あたしは怒ってるんだからね」
「こっちこそですよ。これで終わりですね」
ゆうなぎのユリアは信用できないと、悪口を言いふらすのだろう。兼光さんの紹介も多かったから、お客の数は確実に何割か減る。だけど兼光さんとはここで手を切るべきだ。切らなくては。
「そうね、終わりね」
「はい、では」
通話終了のマークをタップしようとしたら、あー、と声を張り上げてきた。
「せっかくだからひとつ教えてあげる。あなた以前、あたしがネットで占い師を検索して何人かに会い、指示通りの占い結果を出すかどうかを妹のふりをして試していた、なんてこと言ってたよね。検索なんてしてないわよ」
「え?」
「あたし、あなたのこと、知っていたのよ」
兼光さんが含み笑いの声を届けてくる。……知ってた?
「ええ。ユリア先生こと山下友里さん。あたしたち同じ会社にいたのよ。それなりに人数もいて、部署も違うから、あなたはあたしを知らなかったでしょうけど。でもあなたはいっとき有名人だった。会社で占いの副業をして解雇されたんだもの」
「解雇じゃありませんし、お金ももらってません。会社の業績が悪くなった時期だったから、リストラの対象になっただけです」
「そう思いたいのはわかるけど、いいかげんな占いで問題になったのはたしかでしょ」
「いいかげんでもありません。正しい結果です」
同僚に占いをしてあげたが出た結果が悪く、怒ったその子が人事に訴えたのだ。
「あらそーお? 恣意的なカードを出されたって、騒いでたみたいだけど」
「それも誤解です」
当時は細工もなにもしていなかった。だけど結果を告げたことで恨みを買った。あれから、商売にするなら正直なだけではダメだと思ったのだ。
「あたしも似たようなものだったわよ。病気になった母親の手伝いで店に出ていたら、それを理由にされて会社をクビになった。夜の世界で働く親から生まれた子女は、会社組織で働いちゃいけないってか? ムカつくね。しかも親べったりで自分をかまってくれないなんて理由で離婚もされてさ。そんなちっちぇえ男、こちらも願い下げだけどね。そうか、あなたがあたしを知らないのは、当時は夫の姓だったこともあるのか」
二代目のママ、結婚歴と離婚歴、そういうことだったのか。
「てわけで、野島を騙そうと思ったときに、使える人がいる、ってピンときたの」
「使える……って、わたしはモノじゃありません」
「あらキレた。似たもの同士で助け合っていきましょう、というつもりで教えたんだけど、ずいぶんプライドが高いのね。ああ、占い師としての矜持だっけ。あんないかさまをしておいて、なにが矜持なんだか」
「だからいかさまじゃありませんって」
「まあいいでしょう。あたしの言ったこと、覚えておいて。怒っているってこともね」
電話が切れた。……怒っているのはわたしも同じだ。
8
ムカムカしてろくに眠れなかった翌日、小部屋に置いてあるパソコンでその日の予約を確認したら、キャンセルが続出していた。
ある程度は減少すると思っていたけれど、これほどとは。兼光さんは夜中じゅう、友人知人に連絡をし続けたのだろうか。陰湿な性格だ。
宣伝用のインスタになにか書いておくか、と開くと、文句のコメントで溢れかえっていた。そこにURLが張られている。
なんだろう、と思ってクリックした。
わたしがいた。
占い師の恰好をしたわたしを、タロットカードを扱う手元を、映した動画だった。カードは裏面を見せていて、その映像に重ねて、「ココに注目」「草花の模様で誤魔化されてるけどココがほかと違う」などといった書き込みがあり、「これらの印を覚えていれば好きなカードを自在に出せる」「つまりインチキってことです」と締めくくられていた。
背中をなにかでなぞられたかのように、ぞわっとしたものが走る。これはヤバい。
いつだ。いつの間にこんなものが撮られていたんだろう。
かぶっているベールは刺繍の入っていない古いものだ。わたしの背後に写り込むはずの水晶玉がないことから考えても、人気が出るまえだ。
動画のなか、表に開いていくカードの絵から記憶を探る。最後に出てきたカードは「太陽」の正位置だ。これって、清華さん、いやその名前でやってきた兼光さんを占っていたときじゃないだろうか。映っている角度からみて、相手はわたしの正面にいて、カメラは視線の動きと連動している。
あの日のことを思い浮かべた。帽子の下の、顎下で切ったボブヘア、それから――
眼鏡。
あのとき彼女は、太い黒縁の眼鏡をかけていた。あれは、小型カメラつきの眼鏡だったんだ。
妹のふりをしたのは、指示通りの占い結果を出すかどうかを試しただけじゃなかった。わたしの占いに疑いを持っていた兼光さんが、いざというときの証拠となるものを撮っておこうと考えたのだ。
最初からすべて仕組んでいたんだ。
兼光さんに電話をかけた。つながらない。……つながらない。着信拒否をされているのでは。
「功おじさん、スマホ貸してくれない?」
わたしは小部屋を出て喫茶カウンターへと向かった。功おじさんが不思議そうに見てくる。
「どうしたんだ。怖い顔をして」
「わたしの番号からじゃつながらないの。お願い」
おじさんが差しだしてくれたスマホを奪い取るようにして、兼光さんにかけてみる。無事につながったが、話しはじめたとたんに電話が切られた。もう一度かけるも、二回目はつながらない。やはり拒否をされている。
「友里? なにがあったんだ」
「……なんでもない」
「なんでもないなんて顔じゃないぞ」
「あとで話す。ちょっとでかけてくる」
兼光さんの店に行こう。待ち伏せするのだ。
わたしは駅に向けて走った。
大通りに差しかかったところで赤信号に止められる。信号待ちの間に、再び予約サイトとインスタを確認した。予約がみるみるうちに減っていく。対してインスタの非難コメントは増えている。
インチキ、ひどい、金を返せ、そんな内容ばかりだ。
全部フェイクだったわけじゃない。たいていは普通に占っている。ただここぞというところだけ、お客を励ますために結果を細工した。ポジティブになってほしいから。
人助けなのだ。わたしは人の心を救う仕事をしているのだ。
悔しい。どうやったら信用を取り戻せるんだろう。
わたしは途切れずに流れる車を眺める。進み続ける車の列が、自然に止まることはない。
流れは止められないのかもしれない。一度、店を閉じるしかない。功おじさんには申し訳ないけど、「ゆうなぎのユリア」は閉鎖する。そして違う名前で、仮面をかぶり、オンラインのみで占いをするのだ。
とはいえ兼光さんに文句のひとつも言いたいと、わたしは青信号に変わった横断歩道に足を踏みだす。
背後から腕をつかまれた。
「ユリア先生」
振り向くと、頬に大きなガーゼをあて、首に包帯を巻いた女性が立っていた。目元も青黒く腫れている。
「……板垣さん? いったいどうしたの、それ」
「動画、見ました。全部まやかしだったんですね」
「いや動画とかそういう話じゃなくて、あなたがよ」
「そういう話ですよ。彼、暴力をふるう男だったんです。なぜユリア先生はちゃんと占ってくれなかったんだろう、どうして私に勧めてきたんだろう。殴られながらそう思ってた……。でもあの動画で正解がわかりました。ユリア先生はひどい人です」
たしかに男との相性はよくなかった。だけどすっかり惚れ込んでいるようだったから。板垣さんにポジティブになってほしいから。
「あ、……わたしはただ、あなたの背中を押して、励まそうとしただけで」
それを聞いた板垣さんが、ぎこちなく笑う。
信号機の色が再び変わる音がしている。渡り損ねてしまった。
「背中を押して、ですか。わかりました。じゃあ――」
じゃあ、のあと、なにを言ったかは聞こえなかった。じゃあさようなら、なのか、じゃあ私も、なのか。
板垣さんに背中を押され、わたしは車の流れる大通りへと飛びこんだ。