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ノートパソコンの画面に映る相手の顔がゆがむ。泣いているのか笑っているのか、どちらだろう。
もう一言、続けようか。そう思ったときに、相手の口が動いた。
「……ありがとうございます、ユリア先生。私、つらかったんだって、お話しするなかでやっと気づきました」
「その気持ち、よくわかりますよ。あなたはそのつらさを他人だけじゃなく、自分にも感じさせないようにしてたんですね。まじめで努力家の人は、損をすることが多いものね」
「はい。…………私、懸命に生きてきたんです」
眉間に皺がよる。目が潤んでいるかどうか、画面越しではわかりづらい。次の反応を待とうか、いや、ここは押そう。
「あなたの姿を見ている人はきっといます。上司が全員ダメな人ばかりなんて、ありえません。わたしも会社組織で働いていたことがあります。だいじょうぶですよ」
「だったら転職ではなくて、もう少し今の会社にいたほうがいいんでしょうか」
その言葉を受けて、わたしはうなずいた。
「あなたの運命は、カードが知っています」
webカメラにタロットカードを向ける。カードに描かれた絵の上下が順方向となる正位置の、「運命の輪」だ。そしてもう一枚。
「将来の姿として『運命の輪』、環境の変化によって問題の解決を示すカードが出ています。でも短期的には『太陽』で、成功を示すカードが出ました。まずは待機して周囲の変化を待つ。けれど状況が変わらなければ環境を変える。それがあなたの取るべき道です」
画面の隅にわたし自身の顔も映っている。黒いベールの下、笑顔を作った。安心感を与えられるよう、幾度も練習をした自慢の表情だ。実際に顔を合わせる人にはそう言ってもらえるけれど、オンラインでも届いているかどうかは相手のネット環境による。
それでもこの相談者からは、満足の評価をもらえた。
パソコンの蓋を閉じたわたしは、小部屋にかかるベルベットのカーテンと扉を開けて外に出た。外といっても雑居ビルの一階にある小さな喫茶店兼古本屋「ゆうなぎ」の店内だ。正しくは、本が七十パーセント、雑貨も十パーセントほど置かれた古物商で、かつての喫茶店部分は徐々に減っていって今は残りの二十パーセントほどになっている。
喫茶「ゆうなぎ」は、もともとインテリア代わりに本の並ぶ店で、貸本めいたこともやっていた。高齢者常連客の終活に伴い、段ボール箱単位で古本の譲渡が続いたころ、コロナ禍がやってきた。厳しい飲食業と並行する形で古物商の許可証を取り古書組合に入り、古本屋も営むことにした店主が父の従兄、功おじさんこと山下功三郎だ。身内なのでおじさんと呼ぶが、七十歳超えなので世間的にはおじいさんだ。腰は曲がっていないけれど全体的に細く、枯れた印象がある。とはいえあのタイミングで店を畳まず、業態を変えて生き残ったバイタリティーに充ちた人だ。
「功おじさん、グアテマラある?」
喫茶のお客もいないとみて、わたしはベールを剥ぎとり、伸びをした。おじさんが呆れたような目を向けてくる。
「ある、じゃなくて、淹れて、だろ?」
喫茶店としての残渣はカウンターまわりだけだ。本に調理の際に出る油のにおいが移らないよう、今はコーヒーと菓子類しか出していない。
「喫茶のお客が少なくなったから、銘柄によっては未入荷のときがあるじゃない」
「言うねえ、友里こそお客があまり来てないんじゃないの」
「そんなことないよ。今もオンラインで占ってたし。直接顔を合わせるほうがやりやすいけど、時代の流れなんだよね。占い師によっては、LINEや電話でやってるよ」
そう言うと、おじさんは豆を挽きながら、にやけた顔を見せてきた。
「友里はそのLINEでの占い、やらないんだよな」
「うん。わたしは相手のようすからも運勢を読み取るから」
「コールドリーディングだな。相手の持ち物や表情、会話などから情報を得て言い当てる。あー、この人は自分のことがわかるんだ、信用できる人だ、って思わせるために。それは運勢を読むというよりテクニックだろ」
実はおじさんも占いができる。ジャンルは姓名判断だ。おじさんはわたしたちの地元のお寺の三男で、昔はお坊さんに子供の名づけを相談することがあったため、覚えたのだという。でもお寺は継げず、都会への憧れもあって上京し、一時的だが占いで小遣い稼ぎをしていたそうだ。
わたしは占星術と姓名判断をベースとして、話をするなかでコールドリーディングを行い、タロットカードに未来の姿を示してもらう。タロットカードは、一枚のカードの読み取り方が複数あり、正位置と、絵の上下が反対になった逆位置とで違う意味を持つ。わたしは伏せたカードの返し方でその答えをコントロールしている。
それは占いじゃない、そう思う人も一定数いるだろう。
けれど考えてみてほしい。自分の進む道を、一から十まで他人に決めさせる人がいるだろうか。たいていの人は、無意識ながらも道は見えている。あとは最後の一押しがほしいだけ、あなたの決めた道は間違っていないと、誰かからの賛成の声を待っているのだ。
とはいえお客のなかには、自分の意思がぐにゃぐにゃの人がいないでもない。Aと言われればAのほうに、Bと言われればBのほうに同意してしまい、この人はだいじょうぶかと他人事ながら心配してしまう。そういうときは、明るいほうへと背中を押す。あなたには未来がある、あなたの恋は叶う、どうか自信を持って、と。
つまりは人助けだ。わたしは人の心を救う仕事をしている。
「ほい、グアテマラ。ストレートだったよな」
ありがとう、とカップを受け取ったとき、スマホが震えた。
わたしは宣伝用のInstagramから遷移する形で、占いの予約画面を作っている。
「あ。急な予約が入った。十五分後、ここに来るって。ほらね、お客さん、いるでしょ」
「それ、本当の客なのか? 友里は予約の取れない店のふりをするために、自分で時間を埋めてたろ。いわば自家製のサクラだ」
たしかにそういうこともしているが、予約が入らなさそうな時間だけだ。キャンセル待ちのボタンもあり、その時間を希望する人には、空いたと連絡をする。
「本物のお客さんですよーだ」
「俺らのころは、夜の道端に屋台みたいなのを出して、そこのあなた、ちょっといらっしゃい、なんて声をかけたんだがなあ。ロマンってのがないよ」
「新興勢力はそれじゃ食べられないの。占いの館に店を出すにもショバ代かかるし派閥あるし、周囲の先生方との人間関係に気を遣いそう。わたしにとってはここが一番。これからもよろしくね、功おじさん」
おじさんが苦笑で応えた。
進学で実家を出て以降、後ろ盾になってもらっていたおじさんの店に占いの小部屋「ゆうなぎのユリア」を構えて、七年ほど経つ。それまでは会社員で、二十五歳にしてリストラに遭った。大学時代からイベントで占いのバイトをしていたし、会社でも同僚に披露していたから、その機会に本業とした。最初はカウンターの一角を借りて占っていたけれど、業態の変更にともなって食材をストックする必要がなくなってからは、物置部屋をDIYで改装して専用の部屋を作らせてもらった。四方に赤紫色のカーテンをかけ、星形のオーナメントを吊るし、古めかしいランプなどを飾って、雰囲気も上々だ。とはいえ「ゆうなぎ」が喫茶店部分を縮小していくにつれ、正直、お客の数は下降線をたどっている。SNSでの宣伝にも限界があるし、なにか売り上げを伸ばすよい方法はないだろうか。
2
十五分後にやってきたのは、かっちりした黒いスーツを身にまとった四十歳前後の女性だった。ロングヘアをうしろでまとめ、整った顔立ちをしている。
上着に社章や士業などのバッジはなく、アクセサリーは小さなピアスだけ。指輪は結婚指輪も含めてつけておらず、腕時計は十年程前に好感度満点俳優が宣伝していた国内メーカーの社会人向け、使いこんだバッグも社会人御用達中堅ブランドのA4サイズ対応と、それだけ見るとまじめそうで、営業職か役職者に思える。ただ薄化粧の割には、ネイルは茜色から紺色へのグラデーションで、金ラメの飾りが星を模してちりばめられている。この凝ったネイルが許される会社ならスーツはもっと派手でもいいはず、とちぐはぐに感じた。
「これからのことを占ってほしいんです。あたしを待っている未来を」
女性は緊張気味に、そう言った。
「仕事運、恋愛運、家庭運、どれを重視されますか?」
「だからこれからのことです」
「ポイントを絞ったほうがより詳しいお話ができますよ」
それでも女性は、全般的な話がほしいと譲らない。それならそれでと、いつもやっているように占星術と姓名判断で女性の全体像をつかむことにした。
兼光菜摘、三十九歳、蠍座の生まれだ。本人のベースとなる名前の合計画数の「地格」は吉で、姓を含めた全体もなかなかよい。星座も名前も、一度、こうと決めたら諦めない意志の強さを持っていて、恋愛も仕事も成功に導くことができるだろう。
そういった話をしながら、相手のようすを探る。
「生まれた時間と場所があればホロスコープを作れるので、もっと正確なことがわかります。いかがですか?」
「場所は仙台だけど、時間はわかりません」
「出生時間は母子手帳に書かれていますよ。ご連絡くだされば、追加で作りましょう」
「持っていないし、親はもう死んでいるの」
実家との縁が薄いのであれば、新たな家族に希望を持たせる方向へと持っていこう。
「今、気になっているお相手がいるんじゃないですか?」
占いに足を運ぶ未婚女性の大半は、恋愛のことが頭にあるものだ。まったくないなら、仕事運を、などと目的を決めて依頼してくる。
「……まあねえ。いるようないないような」
「ではその人のことを思い浮かべながら、ひとつの数字を口にしてみてください」
「数字? そうねえ……3?」
兼光さんが不思議そうな表情で答える。
「あなたの運命は、カードが知っています」
わたしはタロットカードを扇状にして、右から三番目のカードを開いた。
「魔術師のカードが出ました」
「……魔術師?」
カードの名前に不安を感じたのか、兼光さんが眉をひそめる。
「怖がらないでください。正位置になっている魔術師は、ものごとのはじまりを示します。一歩を踏み出してみることをお勧めする、いいカードですよ」
そう言うと、兼光さんは満足げにほほえんだ。
種を明かせば、わたしはカードの裏面、蔦や薔薇などの草花の意匠を重ねたゴシック調の模様のなかに、小さな目印をつけている。なにもなければ普通に占うが、ここぞというときはそれを利用して状況に相応しいカードを出す。彼女は数字の3としか答えていないが、右側にぴったりのカードがあったので右から三番目にしたまでで、左側にあれば左から、まったくなければ三回シャッフルして、よいカードが出るようにする。
そうやって、相手の背中を押す。
兼光さんとの会話はそれを機に弾み、占いの最後には彼女も声を立てて笑っていた。
「ありがとうございました。なんていうか、将来に漠然とした不安? もやもや? そんなものがあったんですよね。でも、お話をしているだけで霧が晴れてきたみたい」
なるほど。外見が美しいだけに若さという武器を失いつつある足元の不確かさが、気持ちを鬱々とさせていたのだろう。
「なによりです。占いには、渾沌とした気持ちを整理する効果がありますから。またなにか迷いが生じたときは、いらしてくださいね」
「はい。……あの、妹を紹介してもいいでしょうか?」
少しためらいを見せながら、兼光さんが言う。
「もちろんです」
なにを言いだすかと思ったけれど、お客を紹介してくれるなんてありがたい話だ。
「とても内気な子なんです。それで、こんなことをお願いしていいかわからないのですが、励ましてほしいんです」
「励ます?」
「恋愛関係で悩んでいるんですが、相手はとてもいい人なんです。だから話がまとまってほしいのに、妹は尻込みしていて」
「いい人なのに、どうして尻込みをなさるんでしょう」
「過去のひどい経験から、無駄に構えてしまうんです。そうだ、そのことをお教えしておきます。乗り越えるためのアドバイスもお願いできればと思います」
兼光さんによると、妹さんは二股をかけられて婚約を破棄されたという。ある意味世に転がっている話だったが、当事者であれば男性不信にもなる。これも人助けだ。わかりましたと答えた。
その後、兼光さんを通して予約が入った。
時間になってやってきた女性は、やぼったくて地味なようすだった。帽子の下は顎下で切ったボブヘアで、太い黒縁の眼鏡に化粧気のない顔、頬に大きな黒子があり、カジュアルシャツにガウチョパンツと色味の合わないスニーカーをはいている。それでも兼光さんの妹だけあって、顔のパーツは悪くない。化粧をすればずっとかわいくなるのに、兼光さんはなぜ言ってあげないのだろう、と考えて、ふと気づいた。
この人、兼光さん本人じゃないの?