女性は清華さんと名乗った。生年月日を訊ねたところ、今年で三十歳、わたしの少し下だ。でも肌の張り具合からみて年下とは思えない。

 声も兼光さんと似ていた。同性のきょうだいは似るから不思議じゃないけれど、わざと高い声にして違いを出そうとしているようにも聞こえる。

 訝りながらもいくつか質問を重ね、こちらも兼光さんからの情報を元に、ホットリーディングを行う。

 コールドリーディングがそのとき目に見えるものや会話から相手のようすを紐解くなら、ホットリーディングはあらかじめ調べておいたことがらを元にしている。どちらも相手の信頼を得るための手段だ。わたしがそれらを披露するたびに清華さんは目を丸くしているけれど、この人が兼光さんなら、なかなかの演技力だ。

 それでもわたしは知らぬふりをして、兼光さんが求めたとおり、過去を忘れて今の恋に飛び込む勇気をと、タロットカードで示した。兼光さんから、些少だけどとお金ももらっていたからだ。

 いつものように「あなたの運命は、カードが知っています」と告げ、「太陽」のカードの正位置を未来の姿として示す。成功を意味するこのカードは、幸せな結婚という意味もまた持っている。それまでの話から、わたしは清華さんの信用を得ていたようだ。清華さんは笑顔でわたしの占いの結果を受け入れ、「がんばります」と言って小部屋から出ていった。

 わたしはベールを剥ぎとった。ドレスも脱ぎ捨て、Tシャツとジーンズを手早く身に着けてジャンパーを羽織る。

「功おじさん、ちょっとでかけてくる」

 おう、と答えるおじさんの声は、店の扉が閉まって途中から聞こえなくなった。

 駅のほうへ小走りに向かうと、大通りの先に清華さんの背中が見えた。用心しながらつけていく。髪を覆うベールと体型のわからないドレスという占い師スタイルから、どこにでもいる女の普段着といった今の恰好は結びつかないと思うが、顔を見られるわけにはいかない。

 交通系アプリで改札を入り、清華さんと同じ電車に乗る。少し離れて立った。適度に混んでいるから見つからないだろうけど、降りるときを見逃さないようにしないと。

 繁華街のある駅で降りた清華さんは、雑居ビルへと入っていった。ヘアメイクとネイルサロンの店が入っている。そういえば清華さんの爪には、なにも塗られていなかった。

 どのぐらいの時間、待っただろうか。

 スパイ小説みたいに、尾行をまくために裏口から出ていったなんてオチじゃないよねと不安になったころ、ドレスといっていいほど派手なワンピース姿の清華さんが出てきた。いや、やっぱりあれは兼光さんだ。髪も長くなり、最初にわたしの店に来たときより顔立ちがくっきりと見える化粧をして、とても華やかだ。すれ違う男性が目をやる。

 なおもあとをつけると案の定、クラブやラウンジと呼ばれる店の集まった飲食店ビルへと入っていった。どこまでつけていいんだろう。女性でも入れる店かもしれないけれど、ジーンズ姿ではさすがにためらわれる。

 迷いながらビルに立ち入ると、両側に扉が並ぶ細くて暗い廊下の手前に、定員六人と書かれた小さなエレベーターがあった。箱は上階へと向かっていき、四階で止まった。壁に掲げられた案内看板を見ると、四階には複数の店があり、いわゆる水商売ばかりだった。

 

 どうして彼女はあんな真似をしたんだろう。

 その片鱗がわかったのは、数日後のことだった。

 兼光さんは最初に現れたときと同じまじめそうな会社員姿でやってきた。ネイルはきれいに整えられ、今回は紫系の地にストーンが飾られている。あの日の店でやってもらったんだろうか。

「妹が、勇気が湧いたと言ってました。気になる人にアプローチしてみるそうです。ありがとうございました」

「それはよかったです」

 わたしにバレているとも知らず、平然と言うので笑いだしそうになった。懸命に堪える。

「それでまたもうひとり、占ってほしい人がいて。男性の方で、ユリア先生の占いがすごく当たるって言ったら、興味を持ったみたいなんです」

「男性ですか」

 正直、男性のお客は苦手だ。喫茶店の常連客のおじさんたちは、遊び半分ながらも占いに向きあってくれた。カップルでやってきて恋人が占うついでにというお試し感覚の人も、いいお客といえよう。問題は、最初から因縁をつけたくてやってくるお客だ。誕生日も名前も嘘ばかりで、あれも違う、これも違う、おまえはインチキだと馬鹿にしてくる。こちらの困る顔を見て楽しみたいのだ。そして詐欺師に払う金はないと言って、代金を踏み倒しにかかる。

「お世話になっている歯科医の先生です。歳は四十と少しだったかと」

「具体的に占ってほしいことがあるんでしょうか」

「仕事の拡大を目指しているそうです。分院場所の候補がふたつあって、どちらに作るほうがいいのか悩んでいるんだとか。もちろん市場調査はされてるんですが、決めかねているって言ってましたね」

 自分では下せない決断を、人にしてほしいということか。高い売り上げが望めそうな場所をふたつまで絞っているなら、どちらでも同じだ。単に自分の判断に自信がないだけ。それなら引き受けようという気持ちになった。

「わかりました。ではサイトから予約を取るようお伝えください」

「はい。それで今回もお願いが――」

 兼光さんからその男性、野島聖人について話を聞かされた。

 

 野島さんがやってきたのは、三日後のことだ。

 告げてきた生年月日が正しいなら四十三歳、だが五歳ほどは若く見える。審美歯科というのか、治療よりも歯列矯正やホワイトニングなどを重点的に行っているそうで、本人の歯もAIで描かれたかのように大きさが揃って、真っ白だ。

「うちの患者さんから聞いたんだけど、よく当たるんだって?」

「恐れ入ります。兼光さんとは長いんですか?」

「いや、ごく最近だよ。彼女、営業部に異動したから、思い切ってホワイトニングをやろうと思ったそうだ。あなたもどうかな。人と接するお仕事でしょ」

「考えておきます」

 逆営業をかけられ、笑ってごまかした。兼光さんはここでも、会社員という体にしているようだ。

「青山と白金のどちらに分院を出すか、迷われているというお話でしたね。あなたの運命は、カードが知っています」

 そう言いながら、わたしはタロットカードを一枚引いた。

「悪魔のカードの逆位置……こちらは脱却を暗示するカードなのですが、今のお仕事にご不満がおあり、ではないですよね」

「まさか。天職だよ」

「であれば人間関係です。最近、どなたかとの別れを経験なさってますね」

「……それは」

 野島さんの顔つきが明らかに変わった。それまではにやけて、場合によってはからかってやろうとでも思っている表情が一変している。

「縁を切るよい機会だったのです。悪女、悪友、腐れ縁。そういった相手から解放された。別れを気に病む必要はありません」

「気に病むな、か。まいったな。誰も知らないはずだが」

「カードが教えてくれました」

 教えてくれたのは兼光さんだ。つまりホットリーディング、野島さんの関心を惹いてほしいと言われた。

「兼光さんがすごいすごいと勧めてくるし、正直、ネタ半分でここに来たんだ。まさか当てられるとは」

「悪縁の相手が、仕事のことも邪魔をしていたのでしょう。場所を決めかねていたのはそのせいです。思い出の品物が残っているのではないですか? 手放すことをお勧めします」

「思い出の品……でもないよ。ただ別れたあと、相手から返されたものがね」

「縁を切ったと同時に返されたのなら、邪気が含まれています。相手につき返さなくてはなりません。念の残ったものは、よいものではありませんから」

「なるほど。できればそうしたいが、あいつはどこにいったやら」

「お勤めの方でしたら、会社などではいかがでしょう」

「……なるほど。それなら店でなんとかしてくれるだろう。私のほうは、邪気とやらからは解放されるんだな」

 はい、とうなずいた。そして改めて、分院がより繁盛する場所を占う。どちらを選んでも変わりないはずなので、あとはカードに任せることにした。

「店で」という野島さんの言葉に、やはり兼光さんの目的は、と確信した。

 

 

 満足した表情で帰っていく野島さんを見送った一週間後、そろそろ品物が返されたころかと思い、わたしは兼光さんがいつぞや入っていった水商売系の飲食店ビルに足を運んだ。廊下に置かれた荷物を入れたり、派手な女性の出入りがあったりと、どこも開店準備前だ。たまたま通りかかった女性に兼光さんの写真を見せて、知っているか訊ねてみた。

 そう、わたしは彼女の写真をスマホでこっそりと撮っていた。ドレスに近いほど派手なワンピースに着替えたあとのことだ。「club燦燦」の二代目ママでは、と教えられる。

 この時間なら来てるんじゃないかしら、という言葉をもらい、「club燦燦」の重そうな扉に手をかける。

「野島さんからの品物は、もう届きましたか?」

 そう声をかけると、白い背中を見せた兼光さんが、肩越しに振り向いた。派手な化粧をしている。

「……あら驚いた。あなたのカードは地図も読むの?」

「兼光さんの心も読みます。野島さんの情報として教えてくれた『別れた悪縁』は、こちらの従業員の女性ですね。誰も知らないはずの男女関係を、あなたはその女性から教えられて知っていた。女性が、野島さんからもらった品物……おそらく高級ブランドのプレゼントを彼に返したと知り、横取りしようと考えた。でも方法が見つからない」

 わたしは一歩、兼光さんに近づいた。兼光さんも体を向けてきた。軽くほほえんだまま黙っている。

「なにか野島さんの気持ちを操れる手段はないものかと考えて、わたしに占いを依頼したんでしょう」

 そこまで言うと、兼光さんのほほえみが大きくなった。

「あたしが悪いことを考えてるなんて、わかったうえで引き受けたのでしょう? お礼のお金とともにね。……足りなかったかしら」

「ですねえ。でもそれ以上に、わからない部分があるから、教えてもらおうと思って」

 兼光さんはついに笑い声を立てた。どこか、馬鹿にしているかのような笑い方だ。

「あら。全部、カードでわかると思ってたわ。あなたの運命は、カードが知っています、ってやつ」

 わたしの話し方を真似てくる。やっぱり馬鹿にされている。

「で、なにを教えてほしいって?」

「野島さんは、別れた女性が働いていたこちらのお店を知っていた。でも兼光さんがこちらの方だとはご存じなかった。彼がお店にいらしたことはないんですか」

「一度あるけど、その日あたしは店にいなかったの。別の従業員とトラブったようで、店に来るのは遠慮しておくねと言ってたそうよ。あたしが店に出ていれば太客を逃さなかったのにって残念に思ってたけど、いなかったおかげで知らないふりして近づけたから、結果オーライだったわ」

 野島さんは兼光さんに紹介されて占いにきている。わたしが兼光さんの指示で占いの答えを出したと訝っていないのか、疑問だった。でもなにより、わたしの考えた兼光さんの目的が、正解かどうかを知りたかった。自分の推察力を確認するためにも。

「兼光さんのこと、会社員だと思っているようでした」

「実際、以前は会社員をしてたもの」

 兼光さんはうっすら笑って、わたしの目をじっと見てくる。最初に占いにきたときの会社員のふりは完璧だったでしょ、とでも言いたいようだ。なるほど腕時計やバッグが微妙に古かったのは、当時実際に使っていたものだからだろう。会社員に見えて当然だ。でもわたしはネイルで違和を覚えている。完璧ではない。

「こちらも訊きたいんだけど、いいかしら。どうしてここがわかったの。野島が、別れた女のいた店だって話した?」

「妹さんです。あれは兼光さん、ご本人ですよね」

 いたずらが見つかった子供のように、兼光さんが唇の端を上げた。

「あのあと、つけてきてたってこと? あなたも相当なものね」

「どうしてこんなことをしてるんだろうと思ったので」

「答えはわかったの?」

「ネットで占い師を検索して何人かに会い、指示通りの占い結果を出すかどうかを試していたんですね」

 ふふん、と兼光さんは笑う。

「ま、そんなとこね」

 悔しいが、わたしは釣り上げられたのだ。

「結局、どれだけのプレゼントを横取りしたんですか」

「失礼ね。山分けよ」

「どなたとです?」

「その別れた女、よ。あの子、騙されてたの。結婚を見据えて、なんて調子のいいことを言われたそうだけど、野島は妻子持ちだったわけ。不倫相手にされたと知って、ショックでプレゼントを全部返して田舎に帰った。純粋というかお馬鹿さんというか、相手の思う壺よ。でもあたしが訪ねていったことで冷静になったのね。いいように扱われたのはこっちだ、慰謝料代わりにあれらを取り返したいって気持ちになった。でも意地もあるからもう一度返してとは言えない、なにか方法はないか、って相談されたのよ」

「慰謝料はもらえないんですか? 野島さんは結婚していることを隠したまま関係を持ったってことですよね」

「あなたも純粋ちゃん? あの子がその手の裁判に勝てると思う? こういう商売をしている女性が本気にするとは思わなかった、なんて言われるのがオチで、下手したら野島の妻からあの子が訴えられる。揉めてことを大きくするより、野島がそれと気づかないまま掠め取ったほうがいい」

 そう語る兼光さんの手首には、エルメスのHウォッチが輝いている。Hの部分にダイアモンドのついたお高いタイプだ。今回の戦利品に違いない。その女性が冷静になったのではなく、事情を知った兼光さんがけしかけたんじゃないか。裁判で勝てないという話も、たしかにそういう向きはあるかもしれないけど、金銭の授受で終わった場合は、兼光さんの手にはご挨拶程度しか渡らない。

「揉めないほうがいい、という考えなんですね」

「めんどうは嫌なだけ」

「そうですね。わたしもめんどうは嫌。だから野島さんから占いの内容を怪しまれるまえに、白状したほうがいいかなと思っています」

 兼光さんが睨んでくる。

「それは脅しなの?」

「まさか。でも一方的に利用されるのも嫌なんですよね」

 わたしも睨み返す。

「望む額はいくら?」

 時計をちらりと見ながら、兼光さんが問う。

「脅しじゃないって言いましたよね。これは占い師としての矜持の問題なんです」

「矜持?」

 意味がわからなかったのか、おうむ返しにされた。

「誇りのことです。その代償を払ってください。占い師としての仕事を、お客を連れてきてください」

「……ほかに、あなたの占いで誘導してほしい人、いないんだけど」

「誘導なんかじゃありません。ふつうに、こちらの従業員でもお客さんでも、よく当たる占い師がいると紹介してほしいってことです」

「そんなのでいいの?」

 兼光さんが面白そうだとばかりに笑っている。

「口約束で終わらせはしませんよ。一週間ごとのノルマをお願いします。達成できなければその人数に見合う対価を」

 兼光さんが、つるんとしたきれいな肩をすくめた。

「わかったわ。そのかわり、もしこの先誘導してほしい人がでてきたら、あなたも協力すること。こちらもそれだけの保障はもらう」

 

(つづく)