(休憩)

 

 そうだ。刑事さんは……「脳汁のう じる」という言葉を知ってますか?

 はい、おおむねそうです。

 主にギャンブル界隈で使われている、的中を予感したときの恍惚こう こつ感のことです。

 もうお分かりでしょうが、景品プライズが落ちるときの「ゴトン」という音と共に私が感じた「快感」の正体は、「脳汁」そのものでした。

 私は学校帰り、毎日のようにゲームセンターに通いました。

 景品を落としたときの「ゴトン」という音が聞きたくてたまらなかった。

 もっと「脳汁」を感じたかった。

 JILLのコスメ情報や、可愛い猫、K-POPアイドル、カフェ情報ばかりだったSNSのショート動画は、いつの間にか「クレーンゲームの取り方」「クレーンゲームの裏技」ばかりになっていました。脳が、侵食されていくみたいでした。

 そうそう。クレーンゲームに依存することを「ゴトン病」というんですよ。

 そんな言葉が生まれるほどには、その病にかかっている人がたくさんいるんです。

 言わずもがな私も、その病に罹っていました。

 景品を落とすたびに、自分に自信がついたんです。

 上達するほどに、自分にも才能があると思えたんです。

 でもそれは、父に褒められるようなことではないと、理解していました。

 むしろ、馬鹿にされることだと。

 だから獲得した景品プライズは、クローゼットの中に隠していました。塾をサボったことも。

 だけど思い返せば、たぶん私は、あの頃からもう限界だったんだと思います。

 どれだけ真面目に勉強しても、テストでいい点を取っても、父に褒められることはなかった。

 その理由に、私はもう気づいていたのかもしれません。

 そう。弟が生まれた瞬間、父は私への興味をなくしていたんです。

 八つ年下の弟――燈真とう まが生まれるまでは、私は確かに父からの愛情を感じていました。

 でもそれは、母が二人目は難しいと言われていたから、仕方なく私で「我慢」していたんです。

 父は最初から、男の子がよかったんです。女の私では、不満だったんです。

 父とミニオンの映画を観に行ったあの日は、弟が生まれて一カ月後でした。

 その時点で、父から注がれていた愛情が全て、弟のものになっていたことを、私はまだ知りませんでした。

 だからただ、淋しかった。

 弟が生まれる前なら、父は映画の最中も眠らなかったし、きっといくらかかってもミニオンを取ってくれたはずです。

 ……また、話が逸れましたね。すみません。

 私は週に一度だけ、塾が休みの日に、新宿から電車で三十分ほどの、府中の大型商業施設内のゲームセンターでアルバイトを始めました。

 当然ですが、湯水のごとく使ってお金が無くなっていったからです。

 父に「アルバイトをしたい」と告げた時は反対されると思っていたけど、「社会勉強だな」とあっさり了承されました。ゲームセンターだということも告げましたが、特に反応はなく、「そうか」と言われただけでした。

 嗚呼――私にはもう、微塵の興味もないのだと、その瞬間、はっきりと痛感しました。

 郊外のゲームセンターにしたのは、暇な時にクレーンゲームで遊んでもいいと聞いたからでした。「ゴトン病」に罹って以来、気が付いたことがありました。

 私は、景品が欲しいわけではないと。

 あの……「手に入れた」感覚が好きだったんです。

 それに、景品が増えすぎると、クローゼットにしまえなくなってしまう。だから、一石二鳥だと思いました。

 でも、郊外といえども東京。バイトは忙しくて、暇な時間はほとんどなかった。特に土日なんて、家族連れで店内はごった返していました。

「ゴトン病」に罹っている人もよく見かけました。

 心の中で「仲間」だと思った。

「これ、初期位置に戻せます?」

「けっこう突っ込んだから、サービスしてよ」

「ちょっとだけ位置、ズラしてもらっていいっすか?」

 仲間はそんなふうに頻繁に声をかけてきて、店員わたしを上手く使って、景品を取っていきました。

 私はというと、バイト終わりにクレーンゲームをしてから帰るのが習慣になっていました。

 これなら郊外じゃなくて、新宿の店舗で働けばよかったと最初は後悔しましたが、新宿の筐体は二百円設定が多い上に、アームがシビアに調整されていて、難易度も高めです。

 一方、家族連れが多い府中の店舗は、難易度が低めで、比較的お金を掛けずに「快感」が得られる。

 だから結果的に、郊外の店舗でバイトを始めたのは、私にとっては正解でした。

 ――でも、考えてみれば、バイトを始めたこと自体が、不正解だったのかもしれません。

 バイトなんてしなければ、私は今でも純粋な「ゴトン病」患者でいられたのかもしれないと思うから……。

 バイトを始めたせいで、私はクレーンゲームの裏側をすべて知ってしまったんです。

 ええ。まず、クレーンゲームの大半は「確率機」です。

 簡単に説明すると、一定額に達すると、アームの力が強まるという仕組みになっています。

 私が働いていた店舗では、景品の人気に応じて、千円から三千円の間で設定されていました。

 つまり、どんなに下手くそでも、三千円分投入すれば景品は獲得できるんです。

 あの日、新宿で落としたちいかわも、きっと確率が来ただけだったんだと思います。

 大人気のちいかわがたったの五百円でとれたのは、私の前にあの少女や、他の人たちが何度もプレイしていたからでしょうね。

 もちろん、確率機ではない筐体もあります。

 でも、ある程度金額を入れないと取れない仕掛けであることがほとんどです。

 けれど、どんな筐体でもコツさえ掴めば、一回や二回で落とせることもざらにある。

 それはあの頃、SNSで無限に流れて来たショート動画や、店に来る仲間のプレイを見て学びました。

 私はどんどん上達しました。

 クローゼットに入りきらない景品やお菓子は、クラスメイトに配りました。

 格下のクラスメイトたちは、どんなものでも、喜んで受け取ってくれました。

「樹莉ちゃんって、クレーンゲーム得意なの?」

 でもそう訊かれたときは、咄嗟に「弟がハマってて」と答えました。

 家に景品が溢れて迷惑しているのだと。

 私はたぶん、創り上げた自分のイメージを、崩したくなかったんだと思います。

 コスメをJILLで揃えていたのも、ただJILLが好きだったからじゃない。

 JILLを使っている私が好きだった。

 私にとって、理想の自分を演じることは、日常の一部になっていたんです。

 だから、ゲームセンターでバイトしていることは、クラスの誰にも告げませんでした。

 もしかしたら、郊外の店舗を選んだのも、誰かに見つかるのを、無意識に恐れていたからなのかもしれません。

 そして「ゴトン病」を患ってから、二カ月ほどが経過した頃でした。

 その日のバイトは、大雨のせいで店内はがらがらで、お客さんは数えるほどしかいませんでした。

「暇だし、樹莉ちゃんいつも頑張ってくれてるし、上がりの時間まで遊んでていいよ。景品は取ったら戻してね」

 先輩が言いました。

 ついに――この時が来た。

 私は歓喜しながら、手始めに、初音ミクのフィギュアが景品の筐体で遊ぶことにしました。

 それほどミクが好きという訳ではなく、ただ、箱物を取るのにハマっていました。

 攻略動画を何度も繰り返し見ていた成果もあって、ミクは七回ほどで取れました。

 それから、ウマ娘、SPY×FAMILY、五等分の花嫁、Vチューバー……フィギュアの箱を何個も落としました。

 でも……まるで「快感」が得られませんでした。

 全くといっていいほど、「脳汁」が出なかったんです。

 不思議ですよね。自分のお金でプレイしないと、「手に入れる」感覚が得られなかったんです。

 たとえ景品がいらなくても、自分のものになることが大事だったんです。

 何かが失われた気がして、私はその日を境に、徐々にクレーンゲームに飽きていきました。

 そして一カ月後には、バイトを辞め、ゲームセンターに立ち寄ることもなく、学校と塾に明け暮れる日々に戻りました。

 

(休憩)

 

 再び私がその音、、、を聞いたのは、塾の帰りでした。

 偶然――私の目の前に、落ちてきたんです。人が。

 歌舞伎町の雑居ビルの屋上から飛び降りたのは、私より少し年上に見える女の人でした。

 黒いフリルのワンピースに、厚底の靴――いわゆる地雷系と呼ばれる格好でした。

 ホストに狂って死んだのだと、後から聞きました。

 そのビルが「飛び降りの名所」であることも。

 だから、歌舞伎町にいる人たちにとっては、あの光景は非日常ではなかったのかもしれません。

 誰一人、悲鳴を上げなかった。むしろ、嘲笑している人さえいました。

 異様な空気の中で、私の心臓は、今にも張り裂けそうに波打っていました。

 脳が、溶けてしまいそうでした。

 そうです……「脳汁」が、溢れていました。

 目の前に、人が落ちてきたときの音……。

 割れるような、「ゴトン」という音。

 それは、クレーンゲームなんて比にならないほど、凄まじい音でした。

 私は一瞬にして、その音の虜になりました。

 以来、人が落ちる瞬間を求めて、飛び降りの名所であるそのビルに、何度も通いました。

 でも、その瞬間には立ち会えませんでした。

 考えてみれば、そうですよね。

 どれだけ自殺が多い場所とはいえ、目の前に人が落ちてくる確率なんて、奇跡みたいなものですから。

 でも私はもう……、その音を聞きたくてたまらなかった。

 だから――「自殺を見届けるバイト」を始めました。

 バイトと自分では呼んでいましたが、雇われていたわけではありません。私が勝手に始めたんです。

 見届ける場所は東京限定。

 自殺方法は「飛び降り」に限定して、SNSでひっそりと募集しました。

「飛び降り」だと、遠くから見守るだけでいいし、こちらもリスクが少ないという理由もつけられました。

「女性限定」にしたのは、男性だと妙な気を起こすかもしれないと思ったからです。死ぬ覚悟をした人間に、理性なんて通じませんから。

 料金は、一万円にしました。

 無料だと、からかい目的だと誤解されるし、本気度も落ちてしまうと思ったので。

 一万円は、安くも高くもない、妥当な金額だと思いました。

 需要はありました。

 募集し始めてから一週間もしないうちに「死ぬところを見てほしい」というDMが届きました。

 最初の女性は【さとみ】さん。

 四十代の専業主婦の方でした。本名は知りません。

 夫を亡くし、毎日が淋しく、後を追いたいけれど、一人では死ぬ勇気がないということでした。

 待ち合わせ場所は、彼女が住む高層マンションの前。

 新婚の時から住み続けた思い出の場所で死にたいという彼女の気持ちは、恋愛経験が無いに等しい私にもわかりました。

 彼女は着慣れた様子のエプロン姿で現れました。きっと、料理が好きだったんでしょうね。

 私は、監視カメラ対策に深めの帽子とマスクで変装していました。

 でも今回、さとみさんの「自殺」に対して、警察が捜査に乗り出すことはないだろうと、私は確信していました。

 だってこの「自殺」は彼女が自ら語った通り、明らかな後追い自殺だったから。

「ジルさん、ありがとう。これでやっと、夫のもとに行けます」

 屋上に向かう前、さとみさんは上品に微笑みながら私に告げました。

【ジル】というのは、私がこのバイトで使っていた名前です。

 さとみさんは、四十代にしては若々しく、二十代といっても通じるような、可愛らしい人でした。

 どんな風に、落ちてくるのだろう。

 どんな音が、鳴るのだろう。

 私はわくわくしながら、さとみさんが落ちてくるのを待ちました。

 心の準備が必要だったのでしょう。

 二十分ほどが経ち、ようやくその時が来ました。

 あの時、さとみさんの落ちる音は、力強くて……、とても美しかった。

 愛する人のための死。そして、この世界で、私だけがその音を聞いていました。

 私は見届けたその場で、そっと遺体に手を合わせてから、その場を去りました。

 言葉にできない「充足感」でした。

 そして完全に――私の脳は、その音に支配されるようになりました。

 また聞きたい。はやく。

 そう願いながら、次の依頼を待ち侘びました。

 二人目からDMが来たのは、その二週間後でした。

 二十代前半の女性【あいぴょん】さん。

 死にたい理由は……何だっけ。ああ、そうだ。初めてできた彼氏に浮気された挙げ句に振られたからでした。

 なんだか安直だなと呆れながらも、私は彼女の死を見届けることにしました。

 こちらとしては、音が聞ければ、何でもよかったから。

 待ち合わせ場所は、元彼が勤めているという会社の近くにある、小さな公園でした。

 現われたあいぴょんさんは、髪はボサボサで、服も虫に食われたような穴が空いていて、まだ若いはずなのに、肌も目元も、四十代に見えるほど老け込んでいました。

 一人目のさとみさんとは、何もかもが正反対だった。

「あたしね、思い知らせてやりたいの。あの人をこれほど……死ぬほど愛していたのは、私だけだって。きっとあの人、違う女を選んだことを、死ぬまで後悔すると思う」

 なんて馬鹿で、下品な女なんだろうと思いました。

 元彼が働くビルから飛び降りることが愛の証明になるわけがない――むしろ、飛び降りた後の遺体を元彼が見たとしたら、二人にもあったはずの美しい思い出まで恐怖に変わってしまうかもしれない。

 そう思いながらも、私は彼女に話を合わせました。

 でも彼女が、なぜわざわざ私に依頼したのか、いまいちわからなかった。

 彼女が本当に求めているのは、元彼に死を見届けてもらうことだと、感じたから。

 ぼんやり考えていると、あいぴょんさんが言いました。

「ねえジルさん、あたしが死んだら、あの人に知らせてくれない? 私が飛び降りたあと、すぐに会社から出てくるはずだから。この人だから、覚えてね。一万円も払ってるんだからいいでしょ?」

 強引に見せられたのは、見るからに冴えない男の写真でした。

 振られた相手の顔をホーム画面に設定していることに、少し引きながら私は頷きました。

 最初から、そんな仕事外のことをするつもりはありませんでした。

 ただ私は、はやく飛び降りてほしいだけでした。

 それからあいぴょんさんは、有言実行というべきか――元彼の定時の時刻に合わせて、飛び降りました。

「ゴトン」と、思いきりのいい音が、私の脳を震わせました。

 でも今回、その音を聞いていたのは私だけではなかった。

 ビジネス街で、人通りの多い場所だったから。

 歌舞伎町とは違い、あちこちで悲鳴が上がっていました。

 私はその死を、あいぴょんさんの冴えない元彼に知らせることなく、その場から去りました。

 歩きながら、溜め息が漏れました。

 なんだか物足りなかった。

 彼女が落ちる瞬間、確かに「脳汁」は出たけれど、さとみさんの時のような「充足感」はなかった。

 たとえるなら、百円で取れたクレーンゲームの景品みたいな、お手頃な死でした。

 それからしばらくの間、依頼は途絶えました。

 三人目から連絡がきたのは、一カ月後。皮膚が焼けつくような、真夏の午後でした。

 依頼人は、五十代の女性【パチカスババア】さん。

 パチンコ依存症で借金まみれ。このままだと家族にも迷惑がかかるので、死ぬしかないという内容でした。

 それは大阪の人からの依頼でした。少し迷いましたが、交通費も払うと書かれていたので、引き受けることにしました。

 あの音が聞きたかったから。

 私は東京駅で、いくらと鮭の乗った駅弁を買い、朝から新幹線で大阪へと向かいました。

 一人で新幹線に乗るのなんて初めてで、少し大人になったような気がしました。

 待ち合わせ場所は、難波にあるパチンコ屋が入った雑居ビルの前。

 正午過ぎ、現れたパチカスババアさんの外見は、痩せすぎてはいたけれど、私が想像していた大阪のおばちゃんそのものでした。

 本当にヒョウ柄のシャツを着ていたので、感動しました。

「ああ、あんたがジルさんか。待たせてごめんな。最後に一回打とう思たら、玉出てな。ここ一カ月、負け続けてたのにな。ほんま笑うわ」

 パチカスババアさんは、ヤニで汚れた歯を覗かせて、けらけらと笑いました。

 その嬉しそうな顔は、これから飛び降りようとしている人間だとは思えませんでした。

「そやし今、脳汁出てるから、落ちつくまで待ってくれるか。夕方までには飛ぶさかい」

「のうじる……?」

「ああ、そうか。「脳汁」って言葉、知らんのやな」

 私は頷いて、「どういう意味なんですか」と訊きました。

 そうです。

 まだその時の私は「脳汁」という言葉を知りませんでした。

「まあ、一言で言うたら、脳が溶ける感覚って言うんかな。確変に入ったときの、パチンコ玉が溢れる瞬間……あれが最高に気持ちええんや」

 ――そうか。この人も、「仲間」なんだ。

 その時、そう思いました。

 そして、理解しました。

 私が欲していたのは「脳汁」だったのだと。

「しかし、なんであんたはこんなけったいなバイトしてるんや」

 流石に言えませんでした。

 人間が落ちる音で「脳汁」を出したいからなんて。

「お金が欲しいからです」

 だから私は、嘘を吐きました。

「そうか。そら、そうやな。お金はほんまに大切や。もう二十年前になるんかな。うち、ふらっと寄ったパチンコで大当たりしてな。もう、脳汁出まくったんやろな。そっからハマってしもて、生活費も貯金もみんな溶かした。当然やけど、旦那には捨てられて……、娘も離れていった。でもあの時、淋しくなかったんよ。うち、パチンコのことしか考えられへんかった。死ぬって決めた今もな、パチンコがしたいんよ。終わってるやろ」

 別に、終わってるとは思いませんでした。自分のほうが、よっぽど終わってるという自覚があったから。

「でもな、借金も膨らんで、どうにもこうにもならんようになってしもたんよ。取り立ても酷うなってきてな。このままやと、娘にも迷惑かけるかもしれん。やから、死ぬことにしてん」

 そう言ってパチカスババアさんは、どう見ても偽物のヴィトンの財布から、皺くちゃの一万円札を五枚取り出し、私に渡しました。

「このお金はな、娘がくれてん。離れて暮らすようになっても優しい子でな、温泉でも行って、人生見つめ直してきぃって。でもうち、もう無理や。何も考えられへん。脳、溶けてもうてるから。でもな、これだけはパチンコに使いたくなくて、あんたに払うことにしてん」

 ――脳が溶ける……。

 私はその表現にぞっとしながらも、黙ってお金を受け取りました。

「ほな、そろそろ死ぬわ。話、聞いてくれてありがとうな。すっきりしたわ」

 そして夕方頃、パチカスババアさんは、雑居ビルの屋上から、飛び降りました。

 これまでにない、乾いた、汚い響きでした。

 やせ細っていたからかもしれません。中身が何も詰まっていないような、スカスカの音でした。

 まるで、空き缶を放り投げたような。魂も、情熱も、何もかもが抜けきった人間の、どうしようもない最期の音でした。

「脳汁」は、ほとんど出ませんでした。

 私はもう……ただ落ちる音だけでは、満足できなくなっていたんです。

 さとみさんのような、美しい音が聞きたかった。

 人生の美しさを集結させたような、人間の最期が見たかった。

 私は無力感と共に、夕暮れに包まれたグリコの看板を見上げました。

 それから大阪に来た記念に、たこ焼きを食べて、東京に戻りました。

 

(つづく)