『メメント・モリ』『東京漂流』の衝撃から42年。藤原新也による渾身の書き下ろし最新作が発売されました。
アメリカの9.11、東日本大震災と原発事故、新型コロナウイルスの蔓延、世界的な環境破壊の進行、ウクライナやパレスチナにおける殺戮──。様々な死の風景に囲まれた崩壊時代を生きる私たちに届ける、力強い言葉と思考のヒントが詰まった珠玉の一冊です。
「小説推理」2025年7月号に掲載された書評家・永江朗氏のレビューで『メメント・ヴィータ』の読みどころをご紹介します。
■『メメント・ヴィータ』藤原新也 /永江朗 [評]
『東京漂流』『メメント・モリ』から42年。パンデミックと戦争の時代に、生命を問う。
希代の時代観察者による、すぐれた社会批評である。著者自身には時代観察であるとか批評であるという意識はないのかもしれない。だが写真家のまなざしは、時代の表層の向こうにあるものを正確に射る。
「メメント・ヴィータ」という言葉は著者の造語だ。「メメント・モリ(死を想え)」はペスト大流行の中世ヨーロッパで流布した言葉。藤原新也が『メメント・モリ』を上梓したのは日本経済がバブルに向かっていく1983年だった。当時、西武百貨店の美術洋書売場で働いていたぼくは、「なんと反時代的な!」と驚いた。それから37年後、新型コロナウイルスのパンデミックが襲来すると、藤原はポッドキャストを始めた。そこで放たれた言葉を再編集したのが本書である。感染症と戦争で誰もが死を意識する時代に、敢えて藤原は「ヴィータ(ラテン語で『生命』)」を想えという。やはり反時代的な人。
約440ページもの本書ではさまざまなことが語られている。故郷のことや旅のこと。グッときたのは瀬戸内寂聴や白土三平ら亡くなった人についての思い出。とりわけ『カムイ伝』で知られる漫画家、白土との出会いと交遊は強烈だ。房総の国道127号線をオートバイで走っていたら迫力のある鳥の声が聞こえてきた。何だろうと思って近づくと鳥小屋の中に2羽の七面鳥。しゃがんで観察していると背後に作務衣を着て不機嫌な顔をした白髪の老人が立っている。以降、四半世紀にわたる奇妙な交遊が続く。
日常の一瞬から時代の典型的な部分を抽出して分析する手業が見事だ。たとえば宅配便の出張所で手間取っている青年に助言すると「この老害が!」とうなり声を上げられるエピソード。あるいは原宿の交差点を歩く老人の後ろで「こいつ早く死ねばいいのに」と大きな声で言う少女たち。なんて時代だ。
この本には藤原新也が見た過去と現在が詰まっている。世の中は酷くなっているか? いや昔から酷かったのだ。それでもぼくらは生きていく。