2017年『悪い夏』(KADOKAWA)で横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞してデビューした染井為人さん。冤罪事件の構造を活写した『正体』(光文社)、半グレ集団の罪と罰と赦しを描く『鎮魂』(双葉社)など、数々の話題作を世に送り出す染井さんが新たに描くのは、新宿歌舞伎町に集うトー横キッズ。中学卒業と同時に家を飛び出し、歌舞伎町に流れついた15歳の少女。彼女を取り巻く人間模様は、優しさと危うさが交錯し、行き場のない子どもたちを搾取しようと大人たちが蠢く。
トー横キッズという存在が抱えるリアルな社会問題をテーマにした本書を通して、染井さんが伝えたい思いとは。魅力的な主人公が生まれた過程についても、あわせてうかがった。
取材・文=碧月はる
撮影=川口宗道
書いているうちに魅力的な人物がたくさん出てきて、物語が一気に動きはじめました
──『歌舞伎町ララバイ』刊行にあたり、新宿歌舞伎町で社会課題となっているトー横キッズを執筆テーマに選んだ理由を教えてください。
染井為人(以下=染井):編集さんとの打ち合わせの中で、トー横キッズの話が出てきたのがきっかけです。彼らが表に出てきたのはここ4~5年の話で、これまで実態が見えてきませんでした。家に居場所がない若者が歌舞伎町に集まり、危ういその日暮らしで生をつなぐ。その存在に関心を抱き、小説の題材にすることを決めました。
──主人公の七瀬をはじめとして、愛莉衣、ユタカなど、10代の子どもたちの個性が際立っていたのが印象的でした。「トー横キッズ」と一括りにされがちな若者が、実際は一人ひとり違う人間であることが本書からうかがえます。
染井:執筆に際して、トー横キッズに関する資料をルポルタージュ中心に読み込みました。その中で彼らが抱える背景が見えてきて、それぞれ異なる理由があって歌舞伎町に集まっていることを知りました。主人公の七瀬は父親から性虐待を受けていて、その後も周囲の人間に傷つけられることが重なり、中学卒業と同時に家を飛び出します。七瀬のバックグラウンドは実話をもとにしているのですが、このように「家が苦しい」10代の子どもたちがいることに胸が痛みます。
母親が宗教に傾倒したことで悩んだり、学校の勉強がストレスになったりと、若者が歌舞伎町に集まる理由はさまざまです。本書に登場する10代の子どもたちにも、それぞれの背景があります。本書の前編が七瀬の視点なのに対し、後編を七瀬以外の人物の視点に切り替えたのは、彼らの過去を含めた人間的な部分を描きたかったからです。
──本書は、ある人物の死をきっかけに七瀬の復讐劇がはじまります。法律では裁けない喪失を前にして、残された者が泣き寝入りをするか、罪を犯すかの2択しかないとき、後者を選んだ七瀬を安易に批判できないと感じる人は多いのではないでしょうか。
染井:僕は、彼らに鉄槌を下したいという個人的な思いはないんです。ただ、七瀬の正義の中では、彼らはそこから外れたんでしょうね。七瀬なりのルールがあって、そこから外れた人たちを一掃しようとしたわけです。七瀬本人の台詞にある通り、「街を掃除している」「悪者を一掃する」などの感覚ですね。一方で、自分を大事にしてくれた人たちに対して、七瀬は恩義を尽くします。そういう多面的なところから、七瀬本来のキャラクターが伝わるといいですね。
──七瀬をかわいがるスナックの店主・サチも魅力的でした。石原慎太郎東京都知事が行った「歌舞伎町浄化作戦」を酷評するサチの台詞は、世論でもたびたび聞かれますよね。
染井:僕にとっても、サチは書いていて面白いキャラクターでした。高齢のサチは昔の歌舞伎町をよく知っていて、年端も行かない少女が歌舞伎町に住みついてしまうのは、それ相応の事情があることを肌感で理解しています。
サチの台詞は、僕の気持ちを代弁させているところがあるんです。昔の歌舞伎町は、見るからにヤクザみたいな人がいっぱい歩いていたけれど、今はそういう人をほとんど見かけなくなりました。でも、今と昔でどれだけ環境が良くなったんだろうと考えると、正直よくわからなくて。明らかに怖そうな人が減ったとしても、今も犯罪は多数起きていて、むしろ表に見えにくい犯罪が増えてきています。そんな矛盾から、サチが漏らす「昔はよかった」と捉えられる台詞が生まれました。
──サチの「綺麗にされちまったら生きづらくなる人間だっているんだもの」という台詞が印象に残っています。
染井:それはやっぱりあるんじゃないですかね。みんながみんな同じ方向を向いて生きていけるわけじゃないと思うんです。歌舞伎町の煩雑さは、おそらく生活しにくいと感じる人が多いでしょう。でも、そういう街でしか生活できない人たちもいて、七瀬のようにその煩雑さが気楽だと感じる人もいる。つらい出来事から逃げるように地元から出てきて、歌舞伎町の自由な空気を気に入って住みついて。そのうち街そのものが好きになって、だからこそ七瀬の正義から外れる人を歌舞伎町に住まわせてはおけないと思ったのでしょうね。
──七瀬は物語冒頭ではすごく冷めていて、感情の起伏が乏しい少女でした。でも、物語が進むごとに七瀬の感情が色づいてきて、失われていたものを取り戻していく過程にハッとしました。
染井:そうですね。歌舞伎町で暮らす中で徐々に人間らしくなっていく七瀬は、まだ15歳の少女なんです。これまでの人生がつらくて心を閉ざしていたけれど、歌舞伎町でさまざまな人たちから刺激を受けて、喜怒哀楽を取り戻していく。地元では「人形だった」と己を振り返る七瀬が、人間らしく怒ったり悲しんだりする様が、物語を書き進める中で自然と浮かび上がってきました。
本書には颯太という18歳の少年も出てくるのですが、彼も書いていて魅力的でしたね。昔気質の性格で情に厚く、18歳なのにSNSもやらないような颯太の姿は、現代のSNS社会を生きるトー横キッズとの対比として描きたかった人物です。僕はいつもプロットなしで書き出してしまうのですが、書いているうちに魅力的な人物がたくさん出てきてくれて、そこから物語が一気に動きはじめました。
(後編へつづく)