序章 Sadness ―終わりのはじまり
家の前でママ友たちがお喋りを楽しんでいる間、小さな子どもたちは道路で縄跳びをしたり、あたりを駆け回って楽しそうにはしゃいでいる。
普通なら「危ない」「やめなさい」と怒られそうなものだが、この場所に限ってそんなことを言う親はいない。
鈴木佳恵と夫の忠彦、そして五歳になる娘の芽衣が住んでいる家は、地元の不動産業者が造ったファミリー向けの住宅街にあり、道路の両脇には統一されたデザインの一軒家が建ち並んでいる。
このあたりは一番奥が行き止まりになる「コの字型」の道路が多く、どこも住人専用の私道なので、通り抜けする車がなく、外で子どもが遊んでも危なくないのだ。
ここは再開発で十年前に造成された住宅地で、住んで日の浅い人も多く、鈴木家のように幼い子どもを抱える家庭が大半だ。外で遊ぶ子どもの声をうるさいと怒る人はおらず、敷地が独立した住宅地なので治安もいい。
住人全員が見知った者同士ということもあり、子どものいる家は、昼間は玄関に鍵をかけることも少なく、子どもたちは互いの家を自由に行き来しながら遊んでいる。
まるでひと昔前の地方都市のような光景だが、実は東京都練馬区という、都会の真ん中に造られた住宅地である。
佳恵も移り住んだ当初は驚いたが、娘の芽衣が幼稚園の友達だけでなく、近所に住む同世代の子どもたちと楽しそうに遊ぶ姿を見るたびに、自分は恵まれた場所で子育てをしているのだと実感させられた。
ここでは住人同士の付き合いが深いので、「今日は〇〇ちゃんの家」というように、各家持ち回りで、同世代の子どもたちを預ったりもする。
今日は笹原さんの家で、優香ちゃんママが子どもたちの面倒をみる予定だったが、急用で役所へ行く用事ができたので、代わりに佳恵の家で、娘と仲良くしている同世代の女の子たちを預かることになってしまった。
どんなに可愛くても、他の家の子には気を遣つかう。
すでに佳恵の頭の中では、五人分のおやつが家にあっただろうか……という考えが巡っている。
「急にごめんね…明日はウチだから」
申し訳なさそうにしながら、急いだ様子で自転車にまたがる優香ちゃんママに、佳恵は笑顔で「うん、大丈夫、大丈夫」と返事をした。
「芽衣ちゃんママを困らせちゃダメよ」
「いい子にしててね」
「夕方には帰って来るのよ」
母親たちが口々に声をかけると、子どもたちは、「わかってるー」「はいはーい」と返事をしながら、芽衣を先頭にして元気に佳恵の家へ入って行く。
「ごめんね」「よろしく」と言うママ友たちに手を振ると、はしゃぐ子どもたちの後を追って佳恵は玄関をくぐった。
佳恵の心配は的中した。
キッチンの買い置きを確認すると、あるのはジュースがほんの少しだけで、おやつに出せそうなものはひとつもない。
他所の家に預けると、美味しそうなケーキやお菓子をご馳走になることも多いので、急なこととはいえ、何もおやつを出さないというのは気が引ける。
佳恵は室内を駆け回る子どもたちの中から娘の芽衣を呼ぶと、「ママはおやつを買ってくるから、うちの中で遊んでね。外に行っちゃダメよ」と留守番をお願いした。
そして、包丁やハサミを子どもの手が届かない棚にしまい、ガスの元栓を締めて、風呂場の浴槽に水がないことを確認する。よし、これで大丈夫。
佳恵は家を出て自転車に乗ると、近所のスーパーへ買い物に向かった。
* * * * *
子どもたちは、家の中を使って「かくれんぼ」をすることにした。
じゃんけんをして鬼を決めると、きゃあきゃあと騒ぎながら、子どもたちは家のあちこちへと散っていく。
のんびりしている芽衣は出遅れてしまったので、隠れやすそうな場所をのぞくと、すでに別の子が隠れていて、「あっちに行って」と追い払われてしまった。
クローゼットの中。ベッドの下。浴槽の中。みんな他の子が隠れている。
見つからない場所は、他にどこがあるだろう。
鬼役の子が「もーいーかい」と急かす声に、「まあだだよ」と返事をすると、芽衣は焦りながらきょろきょろと周囲を見回した。
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