4人の人気作家が描く、美味しいたべものを題材にした極上のミステリを集めた一冊。
心と身体に沁みる絶品ポトフ、酸っぱくて甘いふわふわのレモンパイかき氷、バルサミコ酢で和えたトマトのサラダ、甘くてにがいチョコレート……思わず食べたくなるものばかり。

 心ほかほかの短編集『おいしい推理で謎解きを たべもの×ミステリ アンソロジー』の読みどころを文庫巻末に収められた書評家・細谷正充さんの解説でご紹介します。

 

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おいしい推理で謎解きを たべもの×ミステリ アンソロジー

おいしい推理で謎解きを たべもの×ミステリ アンソロジー

 

■『おいしい推理で謎解きを たべもの×ミステリ アンソロジー』近藤史恵 友井羊 深緑野分 矢崎存美 /細谷正充[編]

 

「大雨とトマト」深緑野分

 

 深緑野分のデビュー作は、2010年に第7回ミステリーズ! 新人賞の佳作となった「オーブランの少女」だ。この作品を表題にした短篇集『オーブランの少女』には、5作が収録されている。その中のひとつが本作品である。

 

 正直にいうと『オーブランの少女』収録作の中で、本作の印象がもっとも薄かった。なぜなら独自の世界を構築した表題作だけでなく、ヴィクトリア朝ロンドンを舞台にした「仮面」、昭和初期の女学校を題材にした「片想い」、どこかの皇国の裁判劇と悲劇に圧倒される「氷の皇国」と、癖のある作品が並んでいたからだ。その中で本作は舞台になっている国こそわからないものの、どこにでもあるような、ごく普通の料理屋だ。登場人物も4人しかおらず、小ぢんまりとした物語になっているのである。だが、このアンソロジーに収録する作品を探して、本作を再読したところ、作品の印象が大きく変わることになった。

 

 父親から継いだ、築40年の料理店。店主は自分の腕がたいしたことなく、安食堂だと自覚している。メインの客は、近所に住む、家族や勤め人。それに15歳になる息子が所属している、青少年向けフットボールクラブの保護者たちが、週に一度集まって、お喋りに興じるくらいだ。

 

 だから日曜とはいえ大雨の日に、客がひとりしかいないのも当然である。その客は10年来の常連だが、名前もどこに住んでいるのかも知らないことに、今頃になって店主は気づいた。そんなとき、見知らぬ少女が店にやってくる。注文を聞くと「トマトサラダをください」というので、店主はサラダを差し出す。

 

「店主は頷くと、大ぶりのトマトを一つ冷蔵庫から出し、水でよく洗った。熟れて柔らかい果肉に包丁を刺し込んでヘタを取り、大きいサイの目に切り分けた。ボウルにバルサミコ酢、塩、オリーブオイルと乾燥バジルを混ぜ、切ったトマトを和える。量が多いのはサービスだ。冷蔵庫からタッパーを取り出し、サラダ用に下ごしらえしておいたレタスを皿に敷くと、トマトを盛り、玉ねぎのドレッシングをかけ、スライスレモンを載せた」

 

 という描写を見ると、たしかに普通のサラダである。ただし量を多めにするなど、店主の気のよさが伝わってくる。ところが少女の言葉から、店主の心にある疑惑が持ち上がる。16年前、妻の妊娠中に浮気した、名も知らぬ女性との間に生まれた娘が、この少女ではないかと思うのだった。

 

 あらためて読んで感心したが、本作は必要最小限の場面だけで物語が創り上げられている。しかも少女の件の陰で、別の件も進行しているのだ。意外な推理合戦により、ふたつの件の真相が明らかになると、最初から伏線が縦横無尽に張り巡らされていることが分かった。まだ新人の時期に、これほどのテクニックを、どうやって身につけたのか。凄い才能である。

 

 ところで作者は『オーブランの少女』の後、初の長篇となる『戦場のコックたち』を刊行。第二次世界大戦中のヨーロッパを舞台に、合衆国陸軍のコック兵を主人公にした、ユニークなミステリーであった。また、2020年に刊行されたアンソロジー『注文の多い料理小説集』に「福神漬」、2024年に刊行された『アンソロジー 料理をつくる人』には、「メインディッシュを悪魔に」が収録されている。食べる人と作る人という違いがあるが、どちらも料理を題材にした面白い物語である。こうした作品を読むと、作者が料理や食べ物に関心が深いことが窺えるのだ。きっとこれからも折に触れて、美味しい作品を楽しめることだろう。

 

 

「割り切れないチョコレート」近藤史恵

 

 食事の締めはデザートということで、ラストの作品は斯界のベテラン・近藤史恵の「割り切れないチョコレート」にした。下町の片隅にある小さなフレンチ・レストラン〈ビストロ・パ・マル〉の三舟忍シェフが探偵役を務める、シリーズの一篇である。

 

 周知の事実だが作者は、1993年に『凍える島』で第4回鮎川哲也賞を受賞して、作家デビューを果たした。以後、常に第一線で、多彩な作品を発表している。シリーズ作品も多いが、なかでも人気があるのが、第10回大藪春彦賞を受賞した『サクリファイス』から始まる、自転車ロードレースを題材にしたスポーツ・ミステリー「サクリファイス」シリーズと、本シリーズなのだ。

 

 主人公の三舟シェフは、10年以上にわたりフランスの田舎町のオーベルジュやレストランを転々として修行したという、ちょっと変わった経歴の持ち主。無精ひげを生やし、長い髪を後ろで束ねている無口な男だ。その三舟シェフを含めて、店のメンバーは4人。ギャルソンの高築智行が物語の語り手である。

 

 その日、〈ビストロ・パ・マル〉の片隅で、険悪な空気を漂わせている男女の客がいた。痴話喧嘩だろうか。さらに男の方から、チョコレートの味に文句をつけられる。実際に味見したところ、他店から仕入れていたチョコレートの味は、たしかに落ちていた。文句をつけた男が、チョコレート専門店〈ノンブル・プルミエ〉のショコラティエの鶴岡正だと知った店の面々は、高築を視察に行かせる。高築の買ってきたチョコレートの味は、本当に美味しい。

 

「とろり、と舌の上でチョコレートがとろけた。それからすぐにフィリングのキャラメルの味になる。甘いだけでなく、しっかり焦がして苦みのある、大人のキャラメルだった」

 

 なんて描写を読んでいると、こちらまで食べてみたくてたまらない。だが、セット販売のチョコレートの数は、なぜかすべて素数だった。ちなみに素数とは、3・7・11のように、1とその数以外では割り切れない数のことである。なぜわざわざ素数にするのか。鶴岡と女性が再び来店し、ふたりの関係は判明した。話を聞くことができた。だが、やはりチョコレートの数が素数なのは謎のままだ。しかし女性の話を聞いた三舟シェフの推理により、思いもかけない事実が浮かび上がるのであった。

 

 短篇といっても話の長さはマチマチ。本作はかなり短いといっていい。もちろんシリーズの一篇なので、人物の説明や設定など、省略できる部分はある。それでもこの短さで、物語を綺麗にまとめる手腕は、さすがというしかない。素数の謎が解かれたときは、あっ、そういうことかと驚いた。さらに本作のタイトルが、素数の数のチョコレートだけでなく、鶴岡の心情も表現していることに感心。しかも言葉で説明することなく、ラストのあることで、物語の着地点が温かなものであることを伝えてくれる。掉尾を飾るに相応しい、気持ちのいい作品だ。

 

 なお作者には本シリーズの他に、料理を大切な題材とした『みかんとひよどり』がある。フレンチのシェフと猟師が出会いドラマが生まれる。ミステリーとジビエ料理が楽しめる一冊だ。本シリーズと併せてお薦めしておきたい。

 

 最後に本書の意図について、簡単に説明しておこう。収録するのは現役の人気作家。テーマは食べ物を題材にしたミステリー。それだけでは珍しくないだろうが、殺人などを扱った物語を外し、読み味のいい作品を集めてみた。ただ、傾向の同じ作品を並べたのではアンソロジーの魅力が減じるので、ちょっとビターな深緑作品を入れている。作品数も抑え、手軽に買えて、手軽に読める本にしたつもりである。4人の人気作家による、美味しいミステリー。どうかじっくりと味わってほしい。