4人の人気作家が描く、美味しいたべものを題材にした極上のミステリを集めた一冊。
心と身体に沁みる絶品ポトフ、酸っぱくて甘いふわふわのレモンパイかき氷、バルサミコ酢で和えたトマトのサラダ、甘くてにがいチョコレート……思わず食べたくなるものばかり。
心ほかほかの短編集『おいしい推理で謎解きを たべもの×ミステリ アンソロジー』の読みどころを文庫巻末に収められた書評家・細谷正充さんの解説でご紹介します。
■『おいしい推理で謎解きを たべもの×ミステリ アンソロジー』近藤史恵 友井羊 深緑野分 矢崎存美 /細谷正充[編]
「嘘つきなボン・ファム」友井羊
「嘘つきなボン・ファム」は、2013年11月に刊行された『「このミステリーがすごい!」大賞作家書き下ろしBOOK vol.3』に、「つゆの朝ごはん第一話 ポタージュ・ボン・ファム」のタイトルで発表。その後、他の短篇を加えて、2014年11月に刊行した『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』に収録された。友井作品の中でも人気の高い「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん」シリーズの、記念すべき第一作である。
本書の主人公は会社で、フリーペーパー「イルミナ」を制作する部署にいる奥谷理恵だ。仕事が忙しいうえ、なぜか部署の雰囲気が悪くなり、ストレスが溜まっていた。直属の上司で「イルミナ」の編集長の今野布美子は、カリカリしている。入社半年の長谷部伊予は、理恵を敵視しているようだ。新入社員でムードメーカーの井野克夫も調子が悪そう。
さらに理恵の部署に置いてあった理恵のポーチが消えてしまった。翌日には現れたが、誰が持ち去っていたのか。また、すぐに返したのはなぜなのか。部署の人々の変化とポーチの謎に苛まれる理恵だが、たまたま入った早朝営業中のスープ専門店「しずく」の店主・麻野の推理によって、意外な事実を知るのだった。
初めて麻野を見た理恵の感想は、
「犬みたいな人。初対面の相手に失礼だが、第一印象はそれだった。昔飼っていた柴犬を思い出す。顔立ちは凛々しいのに、妙に人懐っこい瞳で見つめてくる愛犬によく似ていたのだ」
というものである。本人も思っているが、たしかになかなか失礼だ。だが彼の推理力は抜群である。ささいなピースを組み立て、真相に到達するのだ。
さらに、早朝営業をしている理由や、スープに対するこだわりに、人柄のよさが表われている。しかも、出てくるスープが絶品だ。
「モロヘイヤとコリアンダーのスパイシースープには、たっぷりの刻んだモロヘイヤが使われていて、濃い緑色から栄養が詰まっているのがわかった。シナモンやクローブ、胡椒などたくさんの香辛料の匂いが、隣にいても伝わってくる」
といった文章だけで、食欲が掻き立てられる。美味しいもの好きの作者ならではの描写なのだ。
だからだろう。作者の他の作品にも、よく食事シーンが出てくる。たとえば沖縄を舞台にした「さえこ照ラス」シリーズでは、いろいろな沖縄の料理を登場人物が食べていた。また、本シリーズ以外にも、食べ物を題材にしたミステリーがある。『スイーツレシピで謎解きを 推理が言えない少女と保健室の眠り姫』『放課後レシピで謎解きを うつむきがちな探偵と駆け抜ける少女の秘密』『100年のレシピ』だ。『スイーツレシピ~』『放課後レシピ~』は作品世界が繋がっており、スイーツなどを扱った日常の謎を題材にしている。どちらもデリケートな問題と向き合っていて、そこに作者らしさが感じられた。『100年レシピ』は連作短篇集だが、一話ごとに時代を遡っていくという、凝った趣向が楽しめる。
おっと、凝った趣向は『スープ屋しずくの謎解きごはん』にもある。本作だけで独立した作品として読めるが、実は後の話に繋がる伏線(布石というべきか)が、いろいろと張られているのだ。だから本作を気に入った人は、是非とも『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』を手に取ってほしい。それを切っかけに多彩で美味しい、友井ワールドを堪能していただければ、これほど嬉しいことはないのである。
「レモンパイの夏」矢崎存美
矢崎存美の「ぶたぶた」シリーズが好きだ。大好きだ。ということで、たべものをテーマにしたミステリアンソロジー編纂の依頼がきたときに、絶対、「ぶたぶた」シリーズを入れようと思った。なぜなら「ぶたぶた」シリーズには、『キッチンぶたぶた』『ぶたぶたカフェ』『ぶたぶた洋菓子店』『居酒屋ぶたぶた』『森のシェフぶたぶた』など、ぶたぶたが料理人やパティシエをしている話が、それなりにあるのだ。
おっと、本作を収録できた喜びのあまり、肝心のぶたぶたの説明を忘れていた。シリーズの主人公である山崎ぶたぶたは、ピンクの豚のぬいぐるみである。だがなぜか、生きて歩いて人間の言葉を喋る。結婚していて子供もいる。そして登場する作品によって、職業が違っている。先の料理人やパティシエの他に、刑事・本屋・医者・ホテルのバトラーなど、変幻自在なのだ。各話の主人公は、ぶたぶたの存在に驚くが、なぜか周囲の人々は当たり前のように受け入れている。そんなぶたぶたが、さまざまな悩みや鬱屈を抱える人と触れ合い、いつの間にか、心をほぐしていくというのが、シリーズの基本ラインとなっているのである。なお、ぶたぶたのモデルは、作者が所持している豚のぬいぐるみだ。
本作「レモンパイの夏」は、ぶたぶたが名探偵を務める5作を収録した『名探偵ぶたぶた』の一篇だ。主人公は高校生の丸井佳孝。年末くらいから学校を休みがちになり、春休みを機に連絡が取れなくなった、同級生の友人・泉谷穣のことを心配し、その行方を捜そうとしている。といっても、周りの同級生に聞いても分からないし、担任の先生に転校したのかと聞いても「よくわからない」と口を濁される。いったいどうなっているのか。
どうしたらいいのか困っているうちに夏になってしまう。佳孝は、かつての穣の話などを手掛かりに、海の街の海水浴場にあるはずの、海の家「うみねこ」に向かう。しかしコロナ禍により、海水浴場は閑散としていた。そこで佳孝が出会ったのが、ぶたぶたである。
実は、海の家「うみねこ」は、カフェ「うみねこ」を経営しているぶたぶたが出店したものだった。カフェ「ぶたぶた」で連れて行ってもらい、穣が美味しかったといっていたレモンパイがかき氷だと知った佳孝。一方、佳孝から詳しい話を聞いたぶたぶたは、彼の友人捜しに協力するのだった。
日常の中のささいな謎を題材にしたミステリーは数多い。いわゆる“日常の謎”ものである。本作も、そのひとつといっていい。しかし当事者にとっては、日常の謎でも重大事件だ。ぶたぶたの尽力により佳孝は穣と連絡を取れるが、それを喜ぶと同時に、少しの切っかけで人の行方が分からなくなることにショックを受けて、
「今年の夏に行動を起こさなかったら、穣とは本当に二度と会えなかったかもしれない。夏が来るたびにそれを思い出していただろうか。それとも忘れてしまっていただろうか。穣はどうだったんだろう」
と、考えてしまうのである。そのような、ささいな日常の謎が、人の心や人生に与える影響の大きさを、ぶたぶたはよく理解している。シリーズを読んでいる人なら分かるだろうが、酸いも甘いも噛み分けたぬいぐるみなのだ。ぶたぶたの調査方法には、ずば抜けた推理や、派手な行動はない。ただ話を聞いた少年のために、手間のかかる作業を実行しているのである。さらりと、お節介を焼いてしまうぶたぶたが、なんとも魅力的なのだ。
さらに「うみねこ」の料理も見逃せない。ぶたぶたが作った焼きそばは、見た目こそ普通だが、
「熱いうちにさっそく頬張る。シャキシャキとした野菜と少し硬めの麺の歯ごたえにちょっと驚く。いや、これ硬いっていうより、麺を焼いているんだ。カリカリなところとモチモチなところがある。玉子の白身がちょっと固まるくらいの熱い。ソースはけっこうスパイシー。黄身とからめると甘くなる。
うう、うまい! 三口くらいで食べられそう!」
と、実に美味しそうに描かれているのだ。佳孝、テレビのグルメ・レポーターが向いてるんじゃないかな。それは冗談として、焼きそばの次に出てくるレモンパイのかき氷も、これまた美味しそう。ぶたぶたが料理をしてくれる飲食店が、なぜ近所にないのかと、悔し涙を流してしまった。
なお、穣の行方が分からなくなった理由は、さらっと触れられているが、重いものである。「ぶたぶた」シリーズは優しい世界だが、けして現実から目を背けているわけではない。だから山崎ぶたぶたの存在が、温かな輝きとなって読者を包み込むのである。
(後編につづく)