吉川英治文学新人賞と日本SF大賞をW受賞し、本屋大賞にもノミネートされた小田雅久仁さんの『残月記』がついに文庫化された。同作は、中国SFブームの火付け役『三体』を連載した雑誌「科幻世界」24年10月号にも掲載され、評判を呼んでいる。今回は、同時掲載された小田さんへのインタビューを特別公開します。
月は太陽とともに世界中の神話を彩り、多くの物語の源泉になっている
──短編集『残月記』に収録されている作品はいずれも「月」を重要なイメージにしていますが、先生は月に何か特別な感情を持っていますか。あるいは、月は何か特別な象徴だと思いますか。
小田雅久仁(以下=小田):地球に月のような巨大な衛星が存在したおかげで、夜の世界が豊かになったと思います。もし月がなければ、夜は象徴を失い、かなり味気ないものになったでしょう。月のおかげで、夜は暗くて危険なだけの世界ではなくなり、太陽の統べる昼に対抗しうる魅力的なものになったのではないでしょうか。実際、月は太陽とともに世界中の神話を彩り、多くの物語の源泉になっています。また、月は夜を象徴するばかりではなく、女性、死、眠り、静けさなどともイメージでつながっており、太陽と表裏一体をなして、二元論的な世界観を支えていると思います。
──先生の『残月記』は第43 回吉川英治文学新人賞受賞、2022 年本屋大賞ノミネート、第43 回日本SF大賞受賞などを果たしましたね。おめでとうございます。これらの受賞のあと、自身・生活に変化を感じたことがありますか。
小田:幸いにも、受賞の前から、こなしきれないほどの仕事をいただいておりましたので、日々の生活に特段の変化はありません。ただ、受賞やノミネートによって、自分の作品がひろく読まれる可能性があるとわかり、少しではありますが不安がやわらぎました。しかし、中国も同様だと思いますが、日本の出版不況は年々悪化しており、そこにさらに生成AIの急激な進化が重なり、小説家という職業は、ますます先が見通せないものとなってきていると感じています。もしかしたら、私たちの生きる二十一世紀は、小説家という職業が成立し得た、最後の時代になるかもしれません。
──先生の創作歴を紹介して頂けますか。たとえば、小説を書き始めた理由・重要なきっかけなどとか。
小田:子供のころに、母がよく図書館に連れていってくれました。子供のころに読んでいたのは、挿絵付きのファンタジー小説がほとんどで、大人になって日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビューし、いまもファンタジーを書いているわけなので、振りかえってみれば、そのまままっすぐ来たんだなと思います。また、漫画も好きでたくさん読んでいましたので、中高生のころはむしろ漫画家になりたかったのですが、画力や体力の不足により、結局、小説家を目指すことになりました。デビュー後も、超自然的な要素を含んだ作品ばかりを書いてきたのは、私が、不思議なことが何も起こらない現実に退屈しているからでしょう。書きながら、少しでも自分の作品に新鮮味を感じていたいといつも思っています。
──先生の作品には、SFだけでなく、ファンタジーやホラーなどの要素も含まれているようです。SF小説をどのように考えていますか。ご自分の中のSFの定義は何でしょうか。
小田:私は自分をファンタジー作家だと考えており、要素のあるSF作品を書くときでも、アイディアについて科学的な説明をこまごまと加えないよう気をつけています。それはまず、私がSF的なアイディアや科学に疎いという理由があるのですが、科学的にあり得るアイディアよりも、理屈では説明のつかない不思議なアイディアに、より惹かれるからでもあります。だからと言って、SFに魅力を感じないわけではありません。私にとって、SFは、人類あるいは生命の可能性を描き出す文学です。今後、どのように人類・生命が発展してゆくのか、あるいはどのように衰退してゆくのか、小説家が独自の展望やアイディアを競いあう、それがSFの魅力だと思います。
たとえばミステリの場合、犯人は誰か、どうやってやったのか、などの謎で読者を惹きつけるわけですが、SFの場合、世界観そのものが謎となって物語を牽引していくと考えています。また、現行の世界に囚われずに想像の翼を自由にひろげることができるので、他ジャンルと較べると、未開拓の世界がはるかに広大だと感じられます。しかし残念ながら、書き手の想像力が豊かであればあるほど、読者がついていくのが困難になる、という宿命的なジレンマを抱えており、少なくとも日本においては、あまり人気のあるジャンルとは言えません。
──特に気に入った作家や作品がありますか? 先生にどのような影響を与えましたか。
小田:影響という意味では、やはり若いころに出会った作家・作品を挙げることになります。小説家になってからもたくさんの優れた作品にふれましたが、多感な時期を過ぎてしまったということなのでしょう、近ごろはあまり大きな感銘を受けることがなくなってしまいました。とくに印象に残っている作品を三つだけ紹介いたします。
・『魔術師』ジョン・ファウルズ
・『悪童日記』アゴタ・クリストフ
・『すべての美しい馬』コーマック・マッカーシー
SFやファンタジーが含まれていないのは、これらの作品から、もともと私のなかになかった要素を学びとりたいと思ったからです。『魔術師』からは、主人公の心、そして読者の心を揺さぶることを学び、『悪童日記』『すべての美しい馬』からは、意識的に自分の文体をつくりあげることと、無情な世界観を学んだと思います。
──先生の作品からは、人間性と自然への深い思考が感じられますが、小説を書くときに、こだわっているところはありますか。たとえば、ストーリー、キャラクター、気持ちの表現、言葉の選びなど。
小田:自分の人生の手綱をしっかりと握り、強い意志と能力で未来を切りひらいてゆく英雄的な主人公ではなく、どうにもならない巨大な運命に翻弄されながらも必死に生きてゆく、庶民的でちっぽけな主人公を描きたいとつねづね思っております。物語の最後で、主人公はわずかな希望を手にすることもありますが、けっしてハッピーエンドとは言えません。物語としては、最上の瞬間に筆を措けば、ハッピーエンドとなるわけですが、人生にハッピーエンドはないというのが私の考えです。盛者必衰という言葉の通り、どれほど華やかな人生であっても、最後には、死という敗北が待ち受けています。その結末を受け入れるにせよ受け入れないにせよ、敗北するまでが人生だと思っています。
(後編につづく)