一日一名限定、会えなくなってしまった人との思い出の料理を提供する「あなたに会える、ごはん屋」。訪れる客は過去を思い出しながら、不思議な再会を果たす。
悲しみに寄り添い、心を解放するハートフルストーリー『あなたに会える杜のごはん屋』は、邦画やドラマの宣伝業務に携わってきた篠友子氏による二冊目の小説。異例の経歴や本作の執筆、物語の舞台となった山梨県北杜市での生活について、お話を伺った。
「死」と隣り合わせの状況を経験したことはその後の生き方や死生観に影響を与えました
──若くして起業されていたり、数々の映画・ドラマの宣伝を手掛がけられたりと「異例」の経歴を持つ篠さんですが、あらためて作家デビューの経緯を教えてください。
篠友子(以下=篠):人生の岐路は思わぬところに出現するものだと痛感しています。コロナという感染症が流行しなかったら、おそらく書いていませんでした。
頭の中で物語を構想するのは子供の頃から好きでした。いわゆる空想、妄想の世界です。文章を書くことも好きでしたが、頭の中の物語を文章で表現したことはありませんでした。自分の文章力もどのレベルなのか考えたこともありませんでした。そんな私が書く文章を「上手い」と褒めて下さった方がアーティストの長渕剛さんと、角川春樹さんでした。それぞれ主演映画と監督作映画の宣伝プロデューサーとして関わらせていただいたことがきっかけです。マスコミ向けのリリースと呼ばれる書面を書くのがプロデューサーの仕事の一つなのですが、大御所二人のリリースの作成はとても緊張しました。今でも褒めていただいた時のことは覚えています。「上手いなぁ」「いいよ」の言葉と共に一文字も修正が入らなかった時には狐につままれたような気分で、その後もずっと私の記憶に残っていました。
しかし、コロナ禍によって宣伝の仕事が一時中断。途端に不安に襲われました。60代に突入していた私にとって、年齢的な不安もあり、このまま宣伝という仕事ができなくなったらどうしようと少々鬱になりかけた時期もありました。そんな状況を少しでも変えたいと思った時、ふと大御所お二人に褒められたことを思い出したのです。単純な発想で気恥ずかしいですが、「ひょっとして私は文章が書けるかもしれない」と思ったのです。デビュー作の『うえから京都』というタイトルは、書き始める前から決めていました。コロナ渦で鬱屈としてしまった精神状態を脱するために楽しめる物語を書きたかったし、当時の国の対応に少なからず不満を持っていたことも重なり、物語の骨子はすぐに出来上がりました。
宣伝でお世話になった編集者の方に本にするための文字数をヒアリングして書き始めましたが、出版の予定など全くありません。そして二カ月ほどで書き上げ、出版社に提出し、角川春樹社長にご一読いただけることになりました。回答を待っている間、ダメ元だと思いながら極力意識しないようにしていましたが緊張していたと思います。編集の方から電話をいただき、社長からOKが出たと聞いた時には涙が出ました。まだ涙が溢れるような感覚を持っていたことにも驚きましたが、人生の中での奇跡だと思いました。
──本作では、多様な思いを残したままの別れが描かれていますが、ご自身の経験とリンクする部分もあったのでしょうか。
篠:2023年4月にステージ4の癌が見つかり、闘病生活を経験しました。「死」に対する恐怖はなかったですが、「死」と隣り合わせの状況を経験したことはその後の生き方や死生観に影響を与えたと思います。
本作は治療が終わり、社会復帰後の冬に書き下ろしたものです。物語の構想は、自分がもしも死んでいたら残された人たちが何を思うだろうかと考えたことから始まっています。故人との思い出とごはん、そんな繋がりの中から物語を構築していきました。どんな物語を書く時も同様ですが、どこかに自身や自身の経験が投影されています。本作では一話の「ニラ豚」が父との思い出の料理です。父の好物でした。二話の「煮込まないカレー」は、仕事で忙しかった私のリアルな工夫レシピです。シングルマザーではありませんが、娘や息子が小さい頃によく作った料理です。さらに娘を会社に連れて行き、電車で帰る時のエピソードも私自身の経験から生まれたものなんです。
──食べ物が出てくる小説はファンが多いジャンルです。書いていくなかで、他作品を意識されたことはありますか。
篠:「ごはん」というテーマは私の中に全く想定のなかったテーマでした。ですから他作品を意識するということはなかったです。ただ同じような内容にならない工夫はしなければと思いましたが、世に出ている全ての作品に目を通すこともできないので、まずは自分の中の軸を決めようと思いました。そして、日常の何でもないような料理を軸にすると決めました。人との思い出、家族や身近な人との思い出は、決して高級料理や特別感のある料理にだけ残る記憶ではないと思います。むしろ何気ない日常に温かな思い出が残るものだという観点で書きました。
──全六話で構成されている本作ですが、特に思い入れのある話はありますか?
篠:オムニバス形式は今回初めて書きましたが、どれも楽しかったです。それぞれの世界に没入していたので、特に思い入れがあるということはないです。先ほど述べましたが、自身の経験にした物語には父が登場したり、娘が登場したりで感情移入していたと思います。書いている時にかなり自分が楽しんでいたのは、三話です。少しだけサスペンス仕立てになっているのですが、イケメンホストを想像しながら書いていました(笑)。四話は先に料理名が浮かんできて、物語を後から構築しています。料理をかつ丼にしなかった点は、自分でも「ナイス!」と思っています(笑)。
更に拘った点は、二つ。一つ目は主人公の名前です。このアイディアは「クレヨンしんちゃん」からいただきました(笑)。二つ目は主人公のエピソードです。主人公の存在を印象付けながら、ラストまでどう引っ張っていくかは、頭に浮かんだ映像を文章に変換しながら書き進みました。
私は物語を書く時、宣伝という職業のせいなのか、映像になった時のことをイメージしてしまう癖があります。本作でも私の遊び心として、映像化に対しての施策を一つだけ入れています。それが何かを想像しながらお読みいただけるとより楽しんでいただけるのではないかと思います。
(後編)に続く
【あらすじ】
杜のなかにひっそりとある「あなたに会える、ごはん屋」。ここは一日一名限定、亡くなった人との思い出の料理を提供する。訪れる客はみな、別れに後悔があるが、不思議な再会を果たすことができる。和解できぬまま父を亡くした娘、子供と突然の別れを余儀なくされたシングルマザー、客との思い出を抱える元ホスト、仲間を想う営業マン。そして、店主の天国の使命と過去も明らかに……。悲しみに寄り添い、心を解放するハートフルストーリー。