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 ドードーとは、かつてこの世界に生息し、いまはもう絶滅した鳥の名前です。ダチョウのような見かけで、くちばしがカギ状になっているのが特徴です。飛べない鳥なのは同じですが、ダチョウのように大きくも足が速くもありません。だから、人間や他の生き物に卵が狙われ、やがて種を残せなくなってしまったのです。
 なにせ名の由来が「のろま」なのですから、致し方ありません。こんなのろまな鳥でも穏やかに暮らせていた時代が、かつてはあったのだ、そんなことを主張しても、きっと想像すら出来ないでしょう。
 けれども、もしそんな世界があったのなら、と、願わずにはいられません。木々が繁り、庭のあるこの古い建物で喫茶ドードーを運営している店主のそろりは、賑やかで混乱する街の片隅で、忙しく働く人たちにせめて少しの間でもドードーが暮らせるような安らかな時間を持って欲しいと、そんなことを願っているようです。
 どんよりと曇った天気が続きます。けれどもそろりは今日もゆっくりと店を開け、客を迎え入れています。

 絶滅したのろまな鳥のくせに、よく喋るな、とお思いでしたら、自己紹介をしましょうか。もしご存じでしたら、ああ、と頷いていただくだけで結構ですので。
 私は、喫茶ドードーのキッチンの柱にかかっている小さな額に入ったドードー鳥のイラストです。この店の常連に磯貝睦子という客がいます。七十歳を過ぎたいまも活躍している現役のテキスタイルデザイナーです。かつて、彼女が私を産み出し、つまりイラストに描き、そろりにプレゼントしたのです。絵となった私が額に入り、こうしてキッチンに飾られている理由がおわかりいただけましたでしょうか。今宵も喫茶ドードーのキッチンで、そろりと訪れる客を見守っているのです。
 あ、いまカウンターの一番奥まった席で、肘を突いた手に両頬を預けているのが睦子です。私の声が聞こえたのか、ふと目をこちらに向け、微かに微笑んだあと、またぼんやりと視線を宙に浮かせました。

 客席はカウンターのほかに庭にもあるのですが、今宵のような雨模様では庭のチェアに案内することはできません。カウンターに並んでいるスツールは五脚だけですから、自ずと定員は五名。その店内のスツールがいまは全て埋まっています。夕方に開店し、まだそんなに時間が経っていないのに、満席です。大人数で訪れた客がいたわけではありません。なぜならこの店はおひとりさま専用の喫茶店ですから、みなそれぞれがひとりで訪れた客なのです。
 隣り合った客同士はひとつのカウンターを分け合うため、軽く会釈程度はするけれど、互いに名乗り合ったり、多くの会話を進めたりすることはなく、各々が自分の時間を保つ。
 静かな店内の光景は飲食店にしては幾分異様に見えるでしょうか。でも店主のそろりにとっても、おそらく訪れた客にとっても、このくらいの距離感がちょうどいい。そう思っているようですよ。
「あの、本日のおすすめをお願いできますか」
 控えめな声でオーダーしたのは、そろりからみて左、出入り口に近いところに座っている女性でした。


 ずっと行きたいと思っていた店だった。時任翠は、年季の入ったカウンターテーブルに落とした目をそっと上げる。こぢんまりした店内には、五脚の椅子がカウンターに並んでいて、翠が入店したときには、既に四席が埋まっていた。
 いずれも女性客で、年齢層はさまざまだったが、三十二歳の翠よりはおそらくみな年上だろう。余裕のある落ち着いた空気が満ちていた。翠はかろうじて空いていた出入り口に近い席のスツールを引いた。
 テーブルを隔てた向こうはキッチンになっていて、背の高い男性が、緑色のコーヒー缶を手にうろうろしていた。
 この人が店主のそろりさんだな、と翠はネットで得た情報を整理していく。彼は常連らしき奥の客に控えめながらも馴染んだ笑顔を見せていた。もじゃもじゃの髪に丸眼鏡。オフホワイトのサマーセーターに黒のエプロン姿。一見素朴な風貌ではあるけれど、黒縁眼鏡の奥には、なかなかに整った涼しげな顔立ちが隠されていた。もちろんマスクをしているから口元は見えないのだけれど、その上で風貌を認識することに、わたしたちはこの数年ですっかり慣れてしまった。

 SNSのオススメ機能はユーザーの視聴傾向に合わせているのだろうが、それにしてもピンポイントで好きなものを探り当ててくることに驚かされる。この店の情報も、そうして目にした投稿に掲載されていた。わあ、素敵、と翠はすぐさま画像をタップし、キャプションから場所を確認した。都内の落ち着くカフェを投稿していたページで、ほかにもいくつも魅力的な店が紹介されていた。いつか行きたい、と画面をキャプチャーして保存した。
 自分の願望を先に提示してくれるこの機能のおかげで、朝活や断捨離に励んだこともある。まるで自分よりも自分のことを理解している水先案内人だ。
 ただ、その精度は必ずしも優れていることばかりではない。
 ある時期、翠のオススメ画面が、ダルメシアンで埋め尽くされたことがあった。『101匹わんちゃん』でお馴染みのあの白黒の斑柄の犬だ。
 ダルメシアンを検索した記憶などない。犬や猫にはさほど興味はない。フォローしているページにもそれらしきものはない。
「なんで?」
 音声はミュートにしていたけれど、キャンキャンという元気な鳴き声が聞こえてくるような動画や画像を前に、翠は首を捻った。ページをスワイプしているうちに、あ、これか、と手を止めた。
 仕事以外の趣味を持ちたい、と通っていた陶芸教室の仲間のひとりが、SNSに作品を投稿していた。デザイン系の専門学校出身という二十代の彼女は、翠と違い上達も早く、若さゆえのバイタリティもあった。投稿している作品の多くも新作で、その一部に『ushi』というシリーズ名を付けて展開していた。湯呑み、飯碗、平皿。全て白に近い淡い灰の地に、黒の模様がホルスタイン柄のようにあしらわれたデザインだった。
 牛柄の焼き物の写真の下には、開催予定のグループ展の案内がキャプションとして添えられていた。幾度となく開いたそのページから、AIが牛柄をダルメシアンと勘違いし、勝手に翠をダルメシアン好き、と判断したのだろう。
 翠は乾いた笑い声を漏らし、再び牛柄の作品が並ぶページを開く。グループ展の案内の投稿には、二十に近いコメントが寄せられていて、全てに彼女は丁寧な返信を送っていた。その中には翠の寄せたコメントも含まれている。
〈展示会、楽しみ! 絶対行くね〉
 程よい数の絵文字を交えたテキストに、
〈翠さん、わあ、来てくださるんですね。お会いできるのを楽しみにしています〉
 と、こちらも感じのいい笑顔の絵文字とともに返信コメントが付けられていた。

 

『いつだって喫茶ドードーでひとやすみ。』は全3回で連日公開予定