夫婦仲は良好。反抗期の娘も、手を焼くほどではない。仕事も順調で、何不自由ない暮らしのはずだった。妻の絵梨が逮捕されるまでは──。理不尽に勾留され続ける妻を救うべく、元教師のライター・芳晁は立ち上がる。ようやく釈放が告げられ警察へと向かった芳晁に突き付けられる、信じられない異常事態。そして凶悪な惨劇の幕が切って落とされた!!

 書評家・細谷正充さんのレビューで、『いっそこの手で殺せたら』の読みどころをご紹介します。

 

いっそこの手で殺せたら

 

■『いっそこの手で殺せたら』小倉日向  /細谷正充[評]

 

不可解な状況で妻が消えた。誘拐か、失踪か。事件に翻弄される元教師のライターは、やがて唾棄すべき犯罪と向き合うことを余儀なくされるのだった。

 

 小倉日向は、デビュー作の『極刑』や、「東京ゼロ地裁」シリーズで、許されざる罪と、人が人を裁く意味を書き続けている。そうした作者の姿勢が強く示された作品が、2022年に双葉社から刊行された本書だ。今回の文庫化に伴い依頼された書評のため再読し、あらためてその尋常ではない迫力に圧倒された。過激な描写もあるので注意は必要だが、とにかく読んでほしい物語なのだ。

 主人公の筒見芳晃は、元高校教師で、今は教育関係のライターをしている。家族は妻の絵梨と、中学1年の娘の沙梨奈。最近、娘が反抗期で、干渉の多い妻に反発しているが、それも含めてどこにでもある普通の家庭だ。だがある日、絵梨が行方不明になる。バイト先も知らないため、どこを探したらいいか分からず、やきもきしていた芳晃のもとに、警察から連絡がきた。杉並警察署生活安全課の小柴の話によれば、迷惑防止条例に違反した容疑で逮捕されたという。接見もできないため雇った弁護士に行ってもらうが、すでに妻のバイト先が雇ってくれた沼田という弁護士が担当になっていた。あやふやな沼田の態度に不信感を強めながら、釈放される妻を迎えに行った芳晃。だがそこから事態は、予想外の方向に転がっていく。

 妻が釈放された場面で、意表を突いたサプライズがあるのだが、詳しく書くのは控えよう。えっ、これからどうなると、一気に物語に引き込まれるはずだ。以後、酷い言葉をぶつけたから母親が出ていったのではないかと悩む沙梨奈の心を守りながら、芳晃は妻に何があったか調べようとする。警察を信じられない芳晃が、五里霧中の状態で前に進もうとするのだ。しかし、沼田が殺されるなど、思いもかけない事態が続き、妻をさらったらしい犯人から接触を受けた彼は、自身の教師時代の学校で密かに行われていた、教師による女子生徒への性犯罪を取材することになるのだった。

 実は本書の冒頭で、男性教師が女子生徒をレイプする場面が描かれている。その教師が芳晃ではないかという疑問が、薄っすらと付きまとい、モヤモヤした気持ちでページを捲ることになる。読んでいるうちにそうではないと分かるが、この疑問が物語への興味を深めていることは間違いない。作者がどこでこのような腕前を磨いたかは知らないが、リーダビリティは抜群なのだ。

 それはストーリー全体にもいえる。本書のテーマが性犯罪であり、それがいかに被害者を苦しめる罪であるのか、芳晃の取材によりしっかりと描かれているのである。レイプ犯の正体は途中で分かるが、その後すぐにとんでもない展開を迎え、芳晃は翻弄され続ける。絵梨が行方不明になった理由や、一連の事件の全体像が判明しても、それは変わらない。終盤まで先の見えないストーリーから、人間の罪と罰、そして人が人を裁くことの是非が問われているのである。

 だから、一連の事件を経て芳晃が選んだ道に、考えさせられる。本書のラストを痛快だと思うのか。複雑な思いを抱いてしまうのか。一人ひとりの読者によって、感じ方は違うだろう。しかし誰もが、重いものを作者から受け取ったと確信するはずだ。その重さに、本書の価値がある。