ラップバトルを通じて親子の絆を描いた意欲作『レペゼン母』が書店員からの激賞を集め、本屋大賞2023ではデビュー作ながら11位にランクイン。いま最も注目すべき作家の一人である宇野碧の最新作『繭の中の街』は、自らのルーツである神戸の街を舞台に、読み口も、時代も、時には世界設定すら異なる様々な出会いを描いた短編集。挑戦的でさえある今回の作品に込めた想いを語ってもらった。

 

恋は、喪うことに本質があるんじゃないか。書き終わって、そんなふうに感じました。

 

──今回の作品『繭の中の街』は多様な物語からなる短編集ですが、まずは作品を通じて最も描きたかったテーマについて教えていただけますでしょうか?

 

宇野碧(以下=宇野):神戸の街を舞台にしようと考えた時、「恋」というものを真摯に描いてみたいと思いました。港町の神戸は、早い時期から異文化が流れ込んできて土着のものとスパークを起こしてきた場所。神戸出身の作家陳舜臣さんが、「異国情緒がその土地の風土と触れ合ったときのスパークを、とらえうる人にして、はじめてそれを芸術的に昇華できる」と書かれていて、自分というフィルターを通したそれを描くことにチャレンジしたいと思いました。私にとっては、スパーク=恋だったんです。

 かつては恋を描く名手がたくさんいましたが、今の時代は恋愛小説が書かれない・売れないと言われています。ライトノベルなどで、願望を満たす系の恋愛ものは今も多いのかもしれませんが、もっと深いところに触れるものが読みたい――と読者の立場からも思っていました。

 

──物語で描かれる「恋」の形は、非常にバラエティに富んでいるように感じました。

 

宇野:「恋愛」という言葉でひとくくりになっていますが、恋は刹那的、短期的で、「愛」とはまったく違う質感のものです。恋っていったい何だろう、恋を描く意味とは何だろう、と問い続けながら書きました。そして、書くほどによくわからなくなりました。

 だけど結果的に、最も描きたかったテーマは、最終話の「待ち合わせの五分前」で書いた詩に集約されたと思います。スパークには必然的に終わりがあり、喪う時が来る。スパークの仕方によっては、静かな喪失にも燃え尽くされた焦土にもなるし、閃光が大きいほど喪失も大きくなるけれど、そうして残された空白の中にこそ、その人の創造性が宿るのではないか。何かを生み出すために喪う。恋は、喪うことに本質があるんじゃないか。書き終わって、そんなふうに感じました。「卵」のモチーフが「エデンの102号室」と「プロフィール」に出てきましたが、それが空白に残されたものの象徴になったと思います。

 

──一方で、どの短編でも「出会い」が共通したテーマになっているように感じます。宇野さんにとって、誰かとの「出会い」とは、何をもたらしてくれるものだと思いますか?

 

宇野:「日々の生活の中で無数の人とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言い換えれば、人と人が出会うことの限りない不思議さに通じている」星野道夫さんのこの言葉がとても好きなのですが、出会うこと、それ以前に「出会いたい」と願うことが人生そのものを作っているように思います。それは人だけでなく、本や映画や音楽、風景、異文化などにも言えることですが、出会うことは生きる喜びそのものだと思います。

 

──本作は短編ごとに読み口も、時にはジャンルさえも大きく異なっているのも非常に印象的です。執筆の際にどういった意図をもっていたのでしょうか?

 

宇野:「音楽アルバムのような作品集にしたい」という思いがありました。

 シングルカットされるキャッチーなメイン曲、バラード、アップテンポの曲、インタールード、エンディング的な役割の曲……それぞれまったく違う曲たちが、ひとつのテーマのもとで響き合う、アルバムを聴き終わったような読後感があるものにしたかった。

 まったく違う楽器たちがそれぞれのパートを奏でながら、ひとつのグルーヴを生み出すフリースタイルジャズにも喩えられるのではないかと思います。

 感覚的に心地よい読書体験を生み出したくて、言葉のリズムや余白、漢字とひらがなのバランスなどにもこだわりました。

 

──物語の舞台となる神戸はご自身の出身地でもあります。どういった印象や想いを神戸という街に対してお持ちでしょうか?

 

宇野:テロワールというものが作物だけでなく人間にもあって、自分が生まれ育った土地というのは絶対に書くものに影響してくると思うのですが、私の感性や志向も神戸という土地に影響を受けていると思います。そのせいか、時代が違っても神戸出身・神戸に住んでいた人の書くものにはすごく共鳴します。

 キーワードで言うと、自由・雑居感・風通しのよさ・軽さ・飄々としたユーモア・越境・幻視的な雰囲気・浮遊感……といった感じです。逆に、しがらみや屈託や重厚感はないというか……。稲垣足穂や、西東三鬼の『神戸』『続・神戸』は、本当に神戸的だと思います。

 

──デビュー作の長編『レペゼン母』、2作目の連作短編『キッチン・セラピー』とは全く違ったタイプの作品です。今回のチャレンジについて教えてください。

 

宇野:この本の主幹である「エデンの102号室」の基になった短編は、20代で初めて書いた小説でした。その時は技術がなさすぎて、表現したい世界観を描けないまま終わってしまったので、いつかちゃんと書き直したいと思っていました。そういう意味では、自分の原点に立ち返ったという感じです。

「言葉」がテーマとして表れる点では、結果的に前2作と共通しているとも思います。『レペゼン母』では武器としての言葉が変容していくさまを、『キッチン・セラピー』では滋養と毒としての言葉を。そして今回の『繭の中の街』では、相反するようですが「言葉の限界と無限の可能性」がテーマとして立ち表れてきたような気がします。

 小説を書く人間として、言葉について考えるというのはあまりにも当たり前かもしれませんが、関係性と言葉についてはこれからも書き続けると思います。

 読者として色んなタイプの小説が好きなので、自分が読みたいものを書くと毎回変わるし、似たようなものを書くと飽きるので毎回違うものに挑戦したいという気持ちもあります。

 どんなタイプの小説であっても、単に物語として面白いというだけではなく、世界の真理に触れた気持ちになれるような、生きることに資するようなものを創っていきたいという部分は同じです。

 

──最後に、本作を手に取ってくれる読者に向けて、メッセージをお願いします。

 

宇野:誰かと出会うこと、関係を作ること、そして喪うことまでも、この世界でしか体験できないことです。

 そのことを、怖れずに求める原動力になるような作品を目指しました。ずっと手元に置いて、人生の折々で読み返してもらえたら幸せです。

 

【あらすじ】
歴史の中で多くの出会いを見届けてきた神戸の街を舞台に、様々な形の出会いと別れ、あるいは破壊と再生を描く短編集。
ある時は運命的な男女の出会いを、ある時は破滅的でさえある恋を、またある時にはパラレルワールドに存在する神戸での不思議な邂逅を描く。
読後感も、時にジャンルさえも全く異なる独立した物語である一方、それらは確かな繋がりを持ち、それぞれに響き合って世界を美しく彩る。
読み終わった後、誰かと語り合い、分かち合いたくなるような魅力に溢れた1冊。