2021年本屋大賞第3位に輝いた伊吹有喜さんの『犬がいた季節』。1月に文庫化され、好評を博しています。高校生の夢や決意などを瑞々しく描いた本作の舞台となっているのは、著者の母校である三重県四日市高校。文庫化を記念し、在校生の方々に想いを寄せていただきました。伊吹さんからの温かなエールをご紹介します。

 

四日市高校の生徒さんから寄せられた、たくさんのメッセージ

 

今、硬式野球部に所属しているのですが、正直、勉強との両立に悩んでいます。部活を続ければ、社会に出てから役立つことがあると思いますし、勉強だけに集中するという選択肢もあります。伊吹さんなら、こういう人生の岐路に立たされたときどうしますか?

 

 

 こんにちは、伊吹です。メッセージをくださってありがとうございます。

 

 硬式野球部とうかがい、古関裕而先生の「全国高等学校野球大会の歌」と水島新司先生の『一球さん』という漫画を思い出しました。

 呼びかけるお名前があるといいな、と思ったので、歌詞にある「純白の球」より「白球さん」と仮の名をお呼びしますね。

 

 さて、白球さん。部活と勉強の両立か、勉強に専念するかで悩んでいらっしゃるとのこと。この悩みは昭和の高校生たちも持っていました。令和の白球さんも同じように悩まれているんですね。今も昔も同じ。それはつまり、今も昔も「正解がない」のかもしれません。

 

 まず最初に思いましたのは、「部活を続けていれば社会に出てから役立つ」ということは、この際、あまり考えてなくてよいと思うのです。

 十代に粘り強く頑張った部活の体験は大きな財産です。でも、白球さんが社会に出るまで、まだ時間があります。たとえ高校で部活をやめたとしても、次の進路先でさまざまなお力をじっくり培えば、社会に出るときにじゅうぶんに間に合います。

 

 そうなりますと、純粋に時間配分の悩みになりますね。

 白球さんは、部活がどれぐらい好きですか? 練習していてワクワクしますか? 野球、たまらなくお好きですか?

 もし、野球がお好きで、素敵な仲間に恵まれているのなら、「高校時代に野球をしていた」「甲子園の地区予選で戦った」という思い出は、高校にいる今、野球部にいる方にしか体験できないことです。

 

 さらには部活を辞めたからといって、その時間をみっちり勉強にあてるかといえば、案外そうではないかもしれません。

 ……と申しますのも、私は茶道部にいましたが、部活はほとんどしていませんでした。その時間を勉強に専念しようと思ったのです。しかし、振り返ると、その時間は好きな剣豪小説ばかり読んでいました。勉強もせずに!

 

 白球さんは真面目な方だと思われますので、そんなことはないでしょう。ですが、もし、部活をやめて時間ができたことに安心して、別のことをしてしまう可能性があるのなら、グラウンドで白球を追いかけたほうがよい気がします。かけがえのない思い出ができます。

 

 もし、野球への思いがそこまで強くはない……ようでしたら、勉強に専念するのも良いことだと思います。高校野球は今しかできませんが、大学入試の勉強もまた、高校時代にしかできません。第一志望の大学で、部活や同好会で野球を再開することもできます。

 

 さて、私ならどうするか、というおたずね、じっくり考えてみました。

 私でしたら……。

 

●期限を切って、部活と勉強の両立に取り組んでみる。

●その結果、部活も勉強も中途半端に終わりそうだったら、今、自分にとって最優先のものは何かを考え、そちらに専念する。

 

 ……と考えます。

 とはいえ、その期限をいつにするかという問題もあるし、こんなふうに割り切れないから、白球さんは悩んでいらっしゃるわけですよね。やはり、今も昔も難しい問題です。

 

 もうすでに頑張っている白球さんに、頑張れと申し上げるのは心苦しいです。そこで、ますますのご健勝を願い、心からのエールをお送りします。

 弥栄いやさか、白球さん。どんな道を選んでも、あなたのお力が存分に発揮されますように。「栄冠は君に輝く」日の到来を祈っております。

 

 

将来の夢は出版社で働くことです。本当は東京の大手出版社に入社して好きな作家さんと仕事したり、アニメ制作などに関わりたいです。しかし家の都合で恐らく無理です。縁を切ってでもやりたいことなのか、頑張れることなのかわかりません。

 

 

 メッセージを拝読して、フェイ・ウォンの「夢中人」という歌を思い出しました。古い映画になりますが「恋する惑星」という香港映画で使われていた曲です。

 もともとはアイルランドのクランベリーズというバンドの曲ですが、映画の影響もあって、中国語で歌われるこの歌も私は好きです。

 

 夢中人とは「夢のなかに出てくる人」という意味だそうです。歌詞は「今はまだ遠い」けど、「心をときめかせる」、夢のなかに出てくる人のことを歌っています。

 ラブソングですが、私たちの胸をときめかせる夢や希望は、心の恋人とも言えます。

 そこで仮の名を夢中人さんとお呼びしましょう。

 

 さて、夢中人さん、出版社に限らずどんな仕事も、新卒者は希望の会社に入社できても、望んだ職種に就ける確率は意外に低いのです。大きな会社であればあるほど、最初のうちはいろいろな部署で経験を積み、ようやく望みの部署に配属という形が多く見られます。

 

 さらには、小説や漫画が、映像化やアニメ化といった別の分野に進出する場合、出版社にはメディアミックス担当の専門の部署があります。作家と作品を作るのと、アニメ化に携わることは、ほぼ別の仕事と捉えたほうがよいと思います。

 

 そうした事情から考えますと、ご家族に反対されて、その道に入っても、すぐに希望の仕事に就くのは難しいかもしれません。さらには作品作りに関わるか、アニメに関わるか、どちらかを選ばねばなりません。

 

 でも、今はそこまで進路を決めていかなくても大丈夫だと思います。大学に入っていろいろ見聞するうちに、どちらを選ぶか自然に決まっていきますし、将来の希望がまったく変わる可能性もあるからです。

 

 さて、夢中人さんは、ご懸念を一つお持ちですね。ご家庭の事情で望んだ職種にはつけないかもしれない。そして、その仕事が、ご家族の反対を押し切ってもやるべきことか、と迷っていらっしゃるとのこと。

 

 その迷いをはらすために、将来の職種について、一度別の角度から検討してみるのはいかがでしょうか。いろいろな方法があると思いますが、私がおすすめするのは、まず、自分の「好き」を仕事にすることについて考えてみることです。

 

 メッセージを拝読して……。

 夢中人さんの「好き」は「小説」や「アニメ」。

 そして「ストーリーを形にして世の中に送り出す」ことを「仕事」になさりたいのだと拝察しました。

 

 さて、次に夢中人さんの「得意」なことを考えてみましょう。

 たとえば……。

 

 書く、描く、読む、観る、楽しむ、分析する、伝える。

 どんなことが得意ですか? 

 たくさんの人と広くコミュニケーションを取れるタイプ? 

 一対一で関係性を深めるタイプ?

 物事を素早くこなすほう? あるいはじっくり行うほう?

  

 小さなことから、大きなことまで、自分の得意なことを見定めて、書き出してみましょう(謙遜せずに、思い浮かんだ良いところをどしどし書きましょう)。

 

 書き終わったら「好き」のなかに「得意」なことがないか、探してみましょう。「好き」で「得意」なことを仕事にしようと思うと(あるいは仕事にすると)、夢中になれるのです。

 多少の時間の経過は気になりません。何をしてもワクワクして、常にそれが頭にあり、少しでも良い状態にしたくて、ずっと追いかけていたくなります。そうしたものに出会えたら「縁を切ってでもやりたいことなのか、頑張れることなのか」という問いの答えは迷うことなく出ます。だって、夢中になってしまったのですから! 

  

 その情熱をご家族に伝えることができたら、応援してもらえる可能性も出てくるかもしれません。夢中が生み出す大きな熱量は、人の心を大きく動かすのです(恋愛がその一例です)。

 もしかしたら、夢中になれることは仕事ではないかもしれませんね。そうしたら仕事は、「夢中」と「生計」を支える手段と割り切るという考え方もあります。それもまた人生の大きな励みになります。

 

 お家のご事情がどのようなことかわからないので、軽はずみなことを申してはいけないのかもしれません。でも夢中人さん、あなたの可能性は広くて大きいのです。

 望んだ進路へ堂々と進んでいけますことを、かげながら願っております。

 

 

私の今の友達はすごく優しくて、人に手を差し伸べることを当たり前にできて、それでいて全くおごらない人です。そんな友達と一緒にいると、ひどく私は浅はかで小さくてずるい人間のように思えます。『犬がいた季節』を読んで、私とは違うけれど同じように窮屈な思いをしている高校生が等身大に描かれていたのが嬉しかったです。

 

 

『犬がいた季節』に、嬉しいお言葉をありがとうございます。

 メッセージを拝読して、ふとマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』の主人公「スカーレット・オハラ」と「メラニー・ハミルトン」のことを思いました。

 

 そこで「スカーレット」さんとお呼びしますね。私はこの強くて、美貌で、計算ができて、くじけない「スカーレット・オハラ」が好きです。

 

『犬がいた季節』のなかの「スカーレットの夏」は、当初「ロッカーの秘密」という仮題でした。作品内にある二つの文がきっかけで、短編を書き始めたからです。

 でも、「スピッツ」の美しい歌と、フレアスタックの炎の色、美貌の青山詩乃にスカーレット・オハラのイメージが重なって、「スカーレットの夏」というタイトルになりました。

 

 話が少し横道にそれましたが、親愛なるスカーレットさん。素敵なお友だちをお持ちですね。でもそんなお友だちの美質がわかり、それを素直に認められるあなたも、たいそう素敵な人です。 浅はかで小さくてずるいのではありません。深いところまで見通せる、素晴らしい目をお持ちなのです。

 

 そうした目をご自分に向けたとき、謙虚な方は、厳しく自己採点してしまいがち。

 大丈夫です。あなたはお友だちとは違う種類の美質をすでに持っているのです。

 

 とはいえ、自分の欠点ばかりが目につき、みじめな気分になるお気持ちはわかります。 私もそうした傾向があるので、いろいろ研究してみました。長年の考察の結果をお伝えしますと、こうした思いに囚われて抜け出せないときはたいてい……。

 

 1.疲れている 2.お腹が空いている 3.睡眠不足

 

 この三つが絡んでいます。好きなものを食べて、身体を温めて眠りましょう。数時間でもいいので眠って、英気を養ってから勉強した方が、ミスが少なく効率があがります。ちょっぴり休憩ですよ! スカーレットさん!

 

 さて、もう一つ。自分と他人をくらべて、窮屈な思いになったときは、否定的なことを明るい方向に転じて考えてみましょう。なぜなら、ものごとはコインのように表と裏があります。否定的なことの裏には、必ず肯定的な要素があるものです。

 たとえば……。

 

 作業が遅い→慎重でていねい。

 (大量生産はできなくても、一点物を作るときに力を発揮できます)

 

 コミュニケーションが苦手→孤独に強い。

 (物作りの際に、この特質は圧倒的な力を生み出します)

 

 優柔不断→ものごとをあらゆる分野から見られる。

 (だから迷うのです。時間をかければ最上の選択ができます)

 

 性格が暗いと言われる→落ち着いていて、状況に流されない。

 (本質をとらえて行動できる可能性が高まります)

 

 否定的な見方を肯定的な方向からの視点に変えると、自分のなかに頼もしい力が潜んでいることに気づきます。

 スカーレットさんは、とても思慮深くて真面目な方だと私は思います。あなたの聡明さは、世の中をきっと、明るい方向へ進めていくことでしょう。

 窮屈な思いに囚われたら、あなたのメッセージを見て、そう感じた先輩が、ここにいることを思い出してください。

 あなたは素晴らしい目と心をお持ちの方なのです。

 

 

■おわりに

 

 令和の高校生の方々は、どんなことを考えているのだろう?

 そんな気持ちから始まった呼びかけに、応えてくださってありがとうございます。

 

 カードにしたためられたお気持ち、深く心に響きました。

 皆様にいただいたメッセージ、大切にしてまいります。

 

 さて、梅がほころんできました。

 春を楽しみにしながら、私もこつこつ小説を書いていきます。同じ学校で学んだ者として、今後もお気に掛けてくれたら嬉しいです。

 

 後輩の皆さん、桜咲く日は間近ですよ! 

(最後にちょっとだけ、先輩風を吹かせてみました)

 

 皆様の春が明るく、希望に満ちたものでありますよう願っております。

 

伊吹有喜 

 

 

【あらすじ】
夏の終わりのある日、高校に迷い込んだ一匹の白い子犬。生徒の名にちなんで「コーシロー」と名付けられ、その後、ともに学校生活を送ってゆく。初年度に卒業していった、ある優しい少女の面影をずっと胸に秘めながら……。昭和から平成、そして令和へと続く時代を背景に、コーシローが見つめ続けた18歳の友情や恋、逡巡や決意をみずみずしく描く。2021年本屋大賞第3位に輝いた、世代を超えて普遍的な共感を呼ぶ青春小説。