女による女のためのR-18文学賞大賞受賞作を収録した『甘いお菓子は食べません』で、40代女性の心の澱を描き出し、同世代の読者から圧倒的な支持を集めた田中兆子氏。その後、出産をめぐる男女間の壁を打ち破ってみせた『徴産制』でSense of Gender賞大賞を受賞するなど、確かな手応えのある作品を生み出している著者の最新刊が刊行された。51歳の会社員女性と70歳の素封家男性の出会いから始まる小説『今日の花を摘む』は、二人の恋愛の行く末を描きながら、作者自身も想像していなかったという物語展開を迎える。執筆の背景を語ってもらった。

撮影=下林彩子

 

■男女平等を実現させたいなら、女性も、白馬の王子様を待つのではなく自分で馬に乗って探しに行け! ってことですね。

 

――男性とのいわゆる「アバンチュール」を愉しんでいる女性主人公の造型が斬新でした。このようなヒロインの物語を書こうと思った発端を教えて下さい。

 

田中兆子(以下=田中):2019年の最初の打ち合わせに伺うときのメモを見返してみると、「悪い女」と書いてありました。わかりやすい悪女ではなく、人知れず男遊びを楽しんでいる他人から見ればごく普通の中年女性、というのを描いてみようと思ったのがきっかけです。

 

――この作品は、2020年7月号から「小説推理」で3ヶ月ごとに掲載され、最終回は2023年1月号です。この長期連載を振り返っていかがですか?

田中:怠け者のうえに遅筆なので毎月締切のある連載を乗り切れる自信がなく、隔月どころか3か月ごとでお願いしました。実はデビュー7年目にして初めての長篇だったのですが、あせることなくじっくりと取り組むことができて、とても良かったです。連載中はコロナ禍ど真ん中でしたが、この作品はコロナ禍以前の設定にしています。

 

――主人公の愉里子は出版社の製作部で働いています。出版社というと編集者をイメージすることも多いかと思いますが、あえて製作部を選んだ理由は?

田中:製作部は、用紙を手配したり印刷所とやりとりをして、出版物の品質や刊行スケジュールの管理を行う部署です。私はインドの鬼手更紗や江戸時代の小袖の裂といった古い布を集めるのが趣味なのですが、布と同じく紙という素材も大好きです。男性を紙にたとえて、新しい男性が登場するごとに違う用紙を使う単行本はどうですか、と提案したこともありました。また、ベテランの製作部の方に職人のようなカッコよさを感じたこともあり、出版物を支えるこの渋い部署にスポットを当ててみたかったのです。

 

――愉里子は自分の欲求にとても正直な女性です。彼女が密かに「花摘み」と称する、男性との肉体を伴った一過性の恋愛は、最たるもののひとつです。愉里子の造型には、田中さんのどんな思いが込められているのでしょうか。

田中:愉里子という名前は、田辺聖子さんの「乃里子三部作」の乃里子へのオマージュです。乃里子は、本命の男には「言い寄れない」けれど、あんまり愛していない人間には「言い寄れる」。でも、今の日本の中高年女性は、私もそうなのですが、どんな男性に対しても「言い寄れない」人が多いのではないでしょうか。もちろん、既婚者の場合はいろいろと問題があるとは思いますが、私の場合は、いい年して傷つくのが怖いのですよね。そんな自分に、それで一生終わってもいいの? とハッパをかけるつもりで愉里子を登場させました。男女平等を実現させたいなら、女性も、白馬の王子様を待つのではなく自分で馬に乗って探しに行け! ってことですね。

 

――愉里子と万江島の出会いのきっかけは茶の湯です。その後も、二人は茶室でお互いを深く理解していきます。お茶のシーンを描くにあたり、どんなこだわりをお持ちだったのでしょうか。

田中:茶の湯を題材にしたこれまでの小説が取り上げてこなかった脇役的な事柄、例えば茶会までの準備や半東という役割、湿し灰を作る場面などは、意識的に書きました。またこの作品では、茶室でセックスを語るシーンが多いのですが、これについては批判が起こるのは承知の上で、私自身、覚悟を持って書き、茶の湯に関する監修者もお願いしませんでした。茶室でセックスを語ることが正しいと声高に主張するつもりはありませんし、不快感を持つ方がいることも理解できます。けれども、私が考える「茶の湯」(ここでは「茶道」とは違う意味で使っています)は、懐の深い総合芸術であり、人間同士の魂が触れ合う場でもあり、単に点前や道具や着物を披露する社交の場ではないということを小説の中で描きました。

 

――作中、谷川俊太郎の詩や宇野千代の小説、若山牧水の短歌が効果的に引用されていて、愉里子と万江島に共通する素養が感じられ、二人が惹かれあうことに、より説得力がありました。特に谷川俊太郎の詩集『はだか』は担当編集者も感銘を受け、今は装丁を担当したブックデザイナーのアシスタント女性が読んでいるところです。

田中:自分の好きな本、趣味、アイドル、テレビ番組などを、好きな人と思う存分語り合えたら、こんなに楽しいことはないですよね。それとは別に、私が上記の文学作品を登場させたのは、文句なしに素晴らしいからです。この本をきっかけに読んでみようかなと思っていただければ、これほどうれしいことはありません。

 

〈後編〉に続きます。

 

【あらすじ】
私の趣味は、男性との肉体を伴ったかりそめの恋。それを、ひそかに「花摘み」と呼んでいる――。
出版社に勤めるかたわら茶道を嗜む愉里子は、一見地味な51歳の独身女性。だが人生を折り返した今、「今日が一番若い」と日々を謳歌するように花摘みを愉しんでいた。そんな愉里子の前に初めて、恋の終わりを怖れさせる男が現れた。茶の湯の粋人、70歳の万江島だ。だが彼には、ある秘密があった……。

 

田中兆子(たなか・ちょうこ) プロフィール
1964年富山県生まれ。2011年、短編「べしみ」で第10回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞する。14年、同作を含む連作短編集『甘いお菓子は食べません』でデビュー。18年『徴産制』で第18回Sense of Gender賞大賞を受賞。その他の著書に、『劇団42歳♂』『私のことならほっといて』『あとを継ぐひと』がある。