2008年の刊行以来、単行本と文庫あわせて370万部以上を売上げ、映画版も大ヒット。今では世界各国で翻訳されている湊かなえの国民的ベストセラー『告白』。デビュー15周年の今年、函入りの豪華本『告白』〈限定特装版〉が刊行されるが、時を同じくして、映画版で北原美月を演じた俳優・橋本愛さんの朗読でオーディオブック化もされた。
映画版『告白』の公開時、北原美月を演じた橋本愛はわずか14歳だった。それから13年──27歳の橋本愛は『告白』をどう“読んだ”のか。そして、それを聞いた原作者・湊かなえはどう“感じた”のか。国民的ベストセラーの深部を二人の表現者が語る。
(取材・文=立花もも 撮影=干川修)
■踏みとどまるか、一線を超えるか。その違いは「孤独」かどうか。
湊かなえさん(以下=湊):『告白』が映画化されて、橋本さんの演技を観たとき、「これが美月なんだ」と教えてもらえたような気がしました。学校にいるときの顔と、外に出たときの顔はこんなふうに違うんだ、修哉といるときはこんな表情を見せるんだ……と。私も書いているときには映像を思い浮かべていたはずなのに、一つずつ上書きされて、今では思い出せないくらいです。
橋本愛さん(以下=橋本):『告白』に出演したのは、まだこの仕事を始めたばかりのころで、役者としても人としても私はあまりに拙くて……。この作品で描かれているものの奥深さを、つかみきれていなかったと思うんです。原作を読み終えたあと、心に残り続けていた重い鉛のようなものの正体も、把握しきれていなかった。今ふりかえると、登場人物たちの孤独ややるせなさ、人生におけるとりかえしのつかないことが、のしかかってきていたのだと思います。それが理解できる今なら、もっと美月の思考と感情を表現できるのに……。
湊:十分、なされていたと思いますよ。いちばん印象に残っているのは、直樹の家に連れていかれた場面。ウェルテル(編注:森口悠子先生の後任の熱血教師)が的外れに「待ってるから」と叫んでいる、その横に立っているときの美月の表情です。私は今、何に付き合わされているんだろう、この世にこんなにも無駄なことはないのだと、この人にはなぜわからないんだろうと、ウェルテルに対して抱いている怒りや葛藤が、セリフも動きもないのに伝わってきた。映画を観ている人も、美月と同じ顔で画面を見ているんじゃないかな、と思ったくらい。
橋本:それは、現場で監督やスタッフの皆さんが一丸となって美月をつくりあげようとしてくださったおかげだと思います。のちに、とある助監督さんから「心理は外に見えないから」とボソッと言われたことがあって。見えないはずの心理を伝えるのが演技なのだとしたら、当時の私はまだ、自力でそれをなすすべを持っていませんでした。現場の皆さんが導いてくださったおかげで、観客の皆さんに美月が届いたと思っています。
湊:一方で、今回のオーディオブックでは「演じない」ことを決めていたとうかがいました。どういうことなんだろう、と現場にうかがってみたら、ちょうど第三章のクライマックスを収録しているところで。直樹の母親の日記から、それを読んでいる姉の視点に切り替わる場面に立ち会ったとき、「オーディオブックって新しい芸術なんだ」と思ったんです。ただ読み上げるのではなく、橋本さんの解釈はちゃんと感じられるのに、演じるのともまた、やっぱりちょっと違っている。朗読にしか表現できない世界がそこには広がっていたんです。
橋本:そう言っていただけると嬉しいです。
湊:正直、私はオーディオブックの存在自体に、最初は懐疑的だったんです。本は自分で読んでこそのものだろう、と。でも今は、そんな自分を戒めています。こんなに贅沢な体験はないと、みんなに勧めたいくらい。
橋本:『告白』は全編、視点を変えての口語や日記などの独白調なので、登場人物たちの心の声が溢れているんですよね。第一章で悠子先生の声を口に出しているときは、彼女の無念や怒りがあれほど体のなかに渦巻いていたのに、加害者である直くんのお母さんの視点になったら、なぜそんなことに至ってしまったのか、問題の根深さに思いを馳せざるを得なくなる。一方的に誰かを裁くことができなくなるわりきれなさこそが、この作品に描かれていることだと思うので、私ひとりの解釈に限定させるような演技はしたくなかったんです。
湊:デビュー作である第一章の「聖職者」を書くとき、意識していたのは「引き留める人がいてはいけない」ということでした。先ほど、孤独とおっしゃってくださいましたが、踏みとどまる理由をくれる誰かがそばにいてくれることは、それだけで孤独ではないということ。でも、森口先生には、誰もいなかった。だから、最悪の事態まで突き進んでしまったんです。それは、他の登場人物たちも同じ。話を聞いてくれる人、手を差し伸べてくれる人、そんなのはダメだと正しく叱ってくれる人が誰もいなかったからこそ、彼らは境界線を越えてしまった。
橋本:彼らは根っからの凶悪犯などではなく、私たちみんなの心のなかに、少しずつ存在している感情を持った人たちなんですよね。悠子先生の、最愛の娘を失った悲しみも、お母さんの息子を守りたいという気持ちも、直くんや修哉の鬱屈も想像できてしまう。自分がその一線を越えずに済んだのは、ただ、そうしなくてもいい状況があっただけなのだということがわかるから、誰のことも裁くことができないんです。私たちはみんな、彼らと同じ当事者なのだということを突きつけられるのも、この作品が広く読まれている理由のような気がします。
湊:だからこそ、私は書いているとき、誰か一人に心を寄せないようにしたんです。森口先生の視点のときは、直樹も修哉も心の底から憎んでいるし、娘を失った悲しみに泣く。でもその感情を残したままでは、直樹の母親として森口先生をなじろうとしたときに、迷いが生じてしまうでしょう。それを、ある程度距離をとりながら、全員分読みあげていくのは、きっと大変だっただろうなと思います。
橋本:難しかったですが、1日1章のペースで録音していたので、切り替えることができたのはよかったですね(笑)。演じないと決めたものの、口語体ではどうしても感情が入ってしまうこともありましたし。ただ、湊さんの文章は音楽のようなリズムがあるので、読むのは楽しかったです。ここで跳ねたい、ここで息継ぎしたい、と私が思うところでできる、身体にフィットしたテンポの良さがあったので。
湊:それでいうと、橋本さんの間のとりかたが、印象的でしたね。これは『告白』刊行時の初代担当編集者に言われたことなのですが、「えっと……」とか「あっ」とか、そういう間をとるようなセリフは全部カットしたほうがいいと。「っ」がたくさん並ぶと視界的にもストレスになるし、書かなくても読む人が勝手に自分の間を入れるから大丈夫、と。半信半疑だったのですが、実際そうしてみたら確かに読みやすかった。でも、Audibleになったときはどうなんだろう、と心配していたんです。だけど橋本さんは、私が省いたはずの間を違和感なく再現してくださっていた。
橋本:そういうことだったんですね。実は、読みながら「ここは間をとらないと、どうしても読めない」という場面がいくつかあったんです。どれくらいの間をとるかは、もちろん、文章によって異なっていて、「ここは3秒必要だったんだ」などとわかる瞬間が、とても楽しかった。あえて間をつくらないことで不穏さをあおる文章もあったので、どっちがいいんだろうと悩んだときは、ディレクターさんと相談していました。
湊:きっと、私以上に『告白』を理解してくださっているんだろうな、と思います。今年でデビュー15周年になりますが、『告白』は今も、私を新しい世界に誘い続けてくれている。15周年を記念して、限定特装版もつくっていただいたんですよ。
橋本:拝見しました。びっくりして「なにこれ!」って声をあげちゃった(笑)。表紙に、牛乳を模した液体が入っているんですよね。
湊:日本初の液体入りカバーだそうです。その中には、英語版の章タイトルのタグが入っていて、血の色も連想させるという……。箱の裏側はプールが表現されていて、各国で翻訳されたタイトルも書かれているなど、なかなか凝っているんですよ。こんなにもたくさんの国で読まれていると考えると、なんだか畏れおおいような気持ちにもなりますが、言葉や文化、宗教が異なっていても、人の内面にあるものはみな同じで、しっかり向き合って書けばどんな立場にある人にも伝わるのだな、と励まされてもいます。今回、橋本さんに新しい表現の扉を開いていただけたことで、これまでとは違う読者に届くのだとしたら、それもまた嬉しいですね。
橋本:こちらこそ、改めて『告白』に触れることができて、とても嬉しかったです。ありがとうございました。
湊かなえ双葉社オフィシャルサイト
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豪華特装版『告白』発売のお知らせ
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