いつ、誰から、恨みを買ったのか? 覚えていないほどのささいな行為が、日常を破滅させるほどの巨大な悪意へと肥育する。どこまでも追い詰められる主人公の絶望に煽られて、ページを繰る手が止まらない! 第35回小説推理新人賞受賞作である増田忠則のデビュー作が文庫化された。

「小説推理」2017年7月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで『悪意』の読みどころをご紹介します。

 

悪意

 

悪意

 

■『三つの悪夢と階段室の女王』(※文庫化に伴い『悪意』に改題)増田忠則  /大矢博子[評]

 

暴走する集団心理、蓋をする罪の意識、保身のための無関心──人の心に巣食う無自覚な悪を、巧緻な仕掛けと息詰まる展開で描いた、驚異のデビュー作!

 

 なんとも言えない嫌な気分に搦め取られながらも、読むのをやめられない。恐怖と不安と嫌悪感、そして「自分ならどうするか」を考えずにはいられなくなる。増田忠則のデビュー作『三つの悪夢と階段室の女王』(※文庫化に伴い『悪意』に改題)は、そんな短編集だ。そのタイトル通り、まさに、悪夢。

 収録作は4編、そのうち「マグノリア通り、曇り」は第35回小説推理新人賞を受賞した作品である。

 ある日突然娘を誘拐したという電話を受けた斉木。だが犯人の目的はお金ではなかった。3ヶ月前、斉木は友人たちと飲んだ帰りに、ビルの屋上に人が立って投身自殺を図ろうとしている現場に遭遇したのだ。野次馬が集まり、中には面白がって「飛べ!」と野次る者もいた。斉木も、酔った仲間に乗せられ、つい「さっさと飛んじまえ!」と言ってしまう。そして直後、その人物は飛んだ。

 誘拐犯は、許せない、と言う。そして野次馬の中から斉木を選び、みせしめとして絶望に突き落とす、と。

 その方法がすごい。誘拐犯もあの時と同じようにビルの上に立ち、野次馬が「飛べ」と叫んだら飛び降りるというのだ。その前に娘の居所を突き止めねばならない。いや、飛ばせてはならない。だが野次馬は次第に高揚して……。

 粗筋の紹介に行数を使ってしまったが、これだけでどれほど緊迫した物語かわかっていただけるだろう。しかもここからさらに捻った〈見せしめ〉のための作戦が展開される。息を吐く暇もない。そして何より、集団心理が暴走することの恐ろしさがひしひしと伝わってくる。

 2作目の「夜にめざめて」も、自らを正義と勘違いした者たちによる集団心理の暴走。第3話「復讐の花は枯れない」は高校時代のいじめ自殺に対し、20年後に遺族が復讐を企む話で、これまた二段構え、三段構えの復讐が展開される。いずれも視点人物が狂気の犠牲になる側や復讐される側なので、物語が終盤にさしかかるにつれて心臓を絞られるような焦燥と恐怖が増してくる。

 最後の「階段室の女王」は少し毛色が違う。マンションの階段室で倒れている人を見かけた主人公が、関わり合いになるのを恐れその場を離れようとする。だがひょんなことから、逆に巻き込まれてしまうというもの。奇妙な味の一編とも言えるが、主人公の心の底に潜む冷ややかな無関心と静かな悪意がそら恐ろしい。

 読み始めたら最後までノンストップ、技と力のある短編集だ。注目の新人の登場である。

 

出典:小説推理 2017年7月号