『カレーの時間』『ガラスの海を渡る舟』など今大注目の作家・寺地はるな。 最新作は、今この社会を生きるわたしたちに切実な問題を投げかける、一度読んだら忘れられない物語だ。

 29歳の原田清瀬は、ケガをして意識不明となった恋人の部屋を訪れた際に、彼が自分に隠していた3冊のノートを見つける。そこには、自分の知らない秘密が書かれていて──。

 職場では「仕事の出来ない困ったアルバイト」に悩まされ、私生活では恋人の「隠し事」に頭を悩ませる。そんな真面目な清瀬を通して見ていた世界が、恋人のノートを彼女と共に捲る度に一変していく。

「正しさ」とは何なのか。自分が見えていなかったものとは何か。

 大切な人の手を二度と離さないよう、清瀬がとった行動とは──。

「小説推理」2022年12月号に掲載された書評家・大矢博子さんのレビューで『川のほとりに立つ者は』の読みどころをご紹介します。

 

熱い感想が続々!  この物語を、繰り返し読みたいくらい好きだと思った。(アカデミア サンリブシティ小倉店 山本舞さん)  生きるために、大切なことがここにある。(精文館書店 荒尾店  樋江井千恵さん)  描かれている以上のことを考えさせてくれる本だった。読んでよかった。(図書館関係者)  読後、あなたの心に大切な灯りがともる。 『水を縫う』の著者が〝今〟を問う傑作長編!

 

新型ウイルスが広まった2020年の夏。 カフェの店長を務める29歳の清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いていた。 原因は彼の「隠し事」のせいだ。 そんなある日、松木が怪我をして意識を失い、病院に運ばれたという連絡を受ける。 意識の回復を待つ間、彼の部屋を訪れた清瀬は3冊のノートを見つけた。 そこにあったのは、子供のような拙い文字と、無数の手紙の下書きたち。 清瀬は、松木とのすれ違いの〝本当の理由〟を知ることになり……。  正しさに消されゆく声を丁寧に紡ぎ、誰かと共に生きる痛みとその先の希望を描いた物語。

 

■『川のほとりに立つ者は』寺地はるな  /大矢博子:評

 

こうあるべき、という「正しさ」が呪いになる──痛みや事情を抱えた人の思いをこまやかにすくいあげた、寺地はるなの「読むデトックス」の真骨頂。

 

 寺地はるなの小説を読むといつも、「当たり前」の危うさに気付かされる。自分が「普通」と思っていたものが、どれだけ狭い知見の中で勝手に編み出した楼閣であったかが炙り出される。だからとても痛い。痛いはずなのだけれど、同時にとても心地よい。それは鋭いテーマを優しさでくるんで差し出してくれるからだろう。

 新刊『川のほとりに立つ者は』もまた、そんな痛みと心地よさに満ちた物語である。

 カフェの店長を務める29歳の原田清瀬は、ある日、突然病院からの電話を受ける。恋人の松木圭太が大ケガをして意識不明だというのだ。圭太は小学校時代からの友人・岩井樹と一緒に歩道橋から転落したという。ケンカをしていたようだとの目撃情報もあった。

 しかし清瀬と圭太は数ヶ月前にケンカをして以来、連絡を絶っていた。しかもそのケンカは圭太が清瀬に頑なに隠し事をしていたのが理由。離れていた数ヶ月の間に、いったい彼に何があったのか。圭太の部屋を久しぶりに訪れた清瀬は、そこで3冊のノートを見つける。そこには圭太が隠したかった「真実」が書かれていて……。

 と、導入部をまとめてはみたものの、これでは何も語っていないに等しいと反省している。寺地作品は細部が大事なのだ。たとえばカフェの店員が「使えない」女性で清瀬に皺寄せがくること。それを圭太に愚痴ると意外にも店員の肩を持ったこと。圭太の家にあった文庫本。圭太と同じく意識不明になっている樹の恋人が、どこかずれた感じの人だったこと。さまざまな違和感が少しずつ積み重なり、それが3冊のノートが示す「真実」へとつながっていく。

 物語の大事なキーワードを隠しているので、どうしても持って回った表現になることをご容赦願いたい。これは想像力の物語なのだ。何かを見て「普通じゃない」と思うのは、自分の中で勝手に決めた「普通」に合っていないだけであり、「普通じゃない」人にはそれぞれ事情や背景がある。それを斟酌せず、たまたま安全で恵まれた場所にいる人が「普通」を判断することの愚かしさと危うさが浮き彫りになる。そんな例を、本書はいくつものエピソードとともに次々と描き出す。

 自分を「ちゃんとしている」と思っている人、他者に対して「ちゃんとして」と思いがちな人にこそ、本書を読んでほしい。それはあなたの目を曇らせる呪いになってはいないだろうか。